二章六話 従者ココア
「──そっ、か」
カオルの口元が悲しく歪む。
ココアの笑顔に込められた意味がわからないほど、カオルは馬鹿じゃなかった。
「はい」
「──そっか、ごめんね。でも、いつでも話してくれていいからね」
そう、カオルは笑顔で呟く。
ココアの本心を引き出せなかったことは、カオルの心に傷を残した。
──どこまで行っても、カオルはココアを覚えていない。
ココアに信じてもらうのは、無理なのだろう。
「──落ち着いたら、出発しよう。待ってるね、ココアちゃん」
「──はい」
ココアの、作ったような笑顔を背に、カオルは馬車へと戻る。
──あの子を解放するには、どうしたらいいのだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「──はぁ……」
腹の底に溜まった重い鉛のような想いをため息とともに吐き出す。
「──どうするのが、正解だったのでしょう」
小さく零せば、誰からも返答のこない静かな空間が、ココアの声だけを虚しく響かせる。
ココアは、カオルのことを愛している。
それは、恋だとか愛だとか、普遍的な言葉では表わすことの叶わない、もっと高尚で、替えのきかない特別なものだ。
だから、ココアはカオルに迷惑をかけたくなかった。
ただでさえ記憶を失って大変な思いをしているカオルに、これ以上負担なんてかけられない。
「──大丈夫です。間違ってません。それよりも、爆発の条件を考えないと──」
カオルがココアを慰めてくれたおかげで、だいぶ頭の中が整理された。
最初、少女に現れた紋様と、カオルの首に現れた紋様は同じだった。
そして、現れる地点は、街まで50メートルを切ったあたり。こればかりは、ココアの記憶で予測を取るしかないため、曖昧だが。
それから、首に紋様が現れ、閃光が発現するのと同時に対象の人物の肉体は爆散する。
カオルを抱いて空へ飛んでも意味がなかったから、地面の中になにかトラップがあって、距離を置けば解決できるだろうという土壇場で浮かんだ甘い考えはお門違いだったということになる。
「──地点……あの場所がいけないのでしょうか? なら、迂回して、ルートを変えれば……」
『お姉ちゃん、ありがとう!』
「────」
手のひらに、覚えている温もりが宿り、脳裏には少女の笑顔が過ぎる。
「──死の恐怖が、命の価値を軽くしている」
それは、錯乱した時に気づいた、今のココアの精神状態だ。
ココアは、死ぬのが怖い。だが、それ以上に、カオルに同じ思いをさせてしまうことが、怖くて怖くて仕方がない。
カオルに指摘された、笑えていないということについても、カオルを守ることを最優先にした結果、自分の感情がどこか置いてけぼりなのだ。
「──仕方、ないよね。だって、わたししか、ご主人様を守ってあげられない」
そんな風に呟き、ココアは首を振る。
今考えるべきはそれではなく、あの少女たちのこと。
閃光の原因があの場所なら、あの家族が死ぬのは、ココアが手を差し伸べたからだ。
ココアたちが関わらなければ、あの少女と家族は別の道から行き、何とか生き延びられるかも、しれない。
「──わたしが、余計なことをしたから」
街へ向かう道は5つある。
あの家族から命を奪ったのは、ココアなのだ。
「──もう、関わったらだめ。その方が、ご主人様のことも、守れるから」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「──失礼致します。遅れて申し訳ありません」
メイド服を翻し、ココアは黒曜石のように美しい黒髪をカーテンのように舞わせながら頭を下げる。
ヒールがカツンと音を鳴らし、向日葵のような瞳で、心配そうにこちらを見つめるカオルの顔を見る。
「──ココアちゃん、体調は?」
「平気です! お騒がせして申し訳ありません」
にこりと笑顔を浮かべれば、カオルの口元がぴくりと震える。
そして、
「──そっか。アウルさんが、準備できてるって」
「了解しました。行きましょうか、ご主人様」
カオルの隣に並び、耳に残る音とともにココアは歩く。
そして、そんなココアのことを、
「────」
カオルは、何も言わずに見つめていた。
そして、それに気づくこともなく、ココアはアウルに声をかける。
「アウルさん、道の変更は可能ですか?」
「ん? うん、大丈夫だよ。でも、どうして?」
「──能力が、発動しまして」
「──! ……そっか、わかった」
「──ココアちゃん、能力ってなに?」
「いえ、なんでもありません。ご主人様はお気になさらず……早く馬車に乗りましょう」
「──うん」
不安そうな顔をするカオルの手を握り、馬車に乗り込む。
──これで、閃光からは逃げられるはず。
あの家族は、元々5つある道の内3つ目の通りにいた。
左折したせいであの地点に送ってしまったが、あのまま放置していれば、そのまま3つ目の道を誰かに送ってもらえるはずだ。
「──何人も助けるなんて、無理ですよね」
ココアに出来るのは、カオルを助けることだけだ。
そんな、潔いいといえば潔いい、不完全な諦めが、ココアの胸を占めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「──アウルさん、街への到着まで、あとどれほど?」
「そうだね……40分くらいかな?」
「そうですか……ありがとうございます」
中腰になっていたのを、すとんと音を立てて座り直す。
一度街で宿をとって、それから数日かけてレルド共和国へ向かうというのが今回の道中になるが、閃光が人為的なものなら、あまり時間をかけるのは得策ではない。
「──自然的なものだとしても、それはそれで最悪ですね。対抗手段がない」
がたがたと、揺れている感覚がココアの細い体を揺らす。
そして、そのまま30分ほど走行を続け、
「ココアちゃん、そろそろ休もうか。馬が疲弊している」
「そうですか。では、一度降りますね」
カオルに、小さく「わたしが先に降りますから、手を差し伸べたら降りてきてください」と告げ、ココアは馬車から降りる。
地面を踏み、カオルの方へと手をゆるりと伸ばす。
と、
「──?」
音がした。
何か、針が刺さるような音。
猫特有の聴力が、たしかにそれを捉え、ココアは瞳を急かすように動かし、そして見た。
「──魔法陣?」
床に、数字の書かれた魔法陣が。
「3」と、書かれている。
「──! ご主人様、失礼致します!」
ココアが、カオルの腕を乱暴に引っ張り、上空へふわりと投げる。
その次の瞬間、
「────」
魔法陣がゼロを刻むと同時に、魔法陣はココアの首へと絡みつき──、
「アウルさん! 距離を取っ」
紋様となり、そして、
「───────が」
閃光とともに、ココアの体は、ただの肉塊と化した。




