第4話:毒か呪か、それとも作為か
王宮・東苑に設けられた仮の診療所は、普段であれば寂れた納戸である。しかし、今日に限っては、東苑の高官どもが順番を争って列をなし、噂を囁き合っていた。
──昨日、皇子の身の回りを世話していた尚侍が、謎の発熱と嘔吐に倒れた。
──その尚侍、少し前まで元気そのものだった。
──まさかまた“あの呪”が……?
噂は風のように駆け巡り、やがてそれは帝の耳にさえ届く。
「診たのか、おまえが?」
問われたのは、ふたたび都に招かれた辺境の女医・ツキシロだった。
「ええ。わたしの診立てでは、毒ではありません。だが“作為”はある」
女医は唇の端をつり上げた。呪や毒よりも、恐ろしいものがある──人の手による“偶然を装った必然”だ。
「何を根拠に?」
「ひとつ、食べたものが皇子と同じであること。ふたつ、寝所も同じく、昨夜は同室で寝たそうです。ならばなぜ、尚侍だけが倒れたのか?」
「体質かもしれぬ」
「そう。だが、彼女は皇子に比べて丈夫なのです。遠乗りの際も、山道を駆け登ったのは彼女だった」
文官が眉をひそめる。「つまり?」
「──毒物は、ごく少量。毒性の発現には“ある条件”が必要。そうでなければ、皇子も倒れているはずです」
「条件?」
「体内の酸性度です」
一瞬、場が凍る。
「たとえばですが、空腹時に飲めば毒となる成分があるのです。あるいは、柑橘の類と一緒に摂ると毒化する成分もある。皇子は食後、尚侍は空腹のまま──その違いで、毒が働いたのです」
「証拠はあるのか?」
「彼女が食したもの、残っていた蜜柑。それと──」
ツキシロは袖からひと包みの粉末を出した。
「彼女の嘔吐物から検出された、キノコの胞子です」
重臣たちはざわつく。
「キノコ?」
「“灰花茸”というものです。単体では弱毒。しかし、柑橘の皮と混じると、胃内で“灰酸”を生成し、吐き気と眩暈を引き起こします」
「偶然……なのか?」
「いいえ。灰花茸は都には自生していません。持ち込まれたと考えるべきです」
そこに、宦官が慌てて飛び込んできた。
「報告にござります! 灰花茸、皇子の食膳を作った厨房からも発見されました!」
どよめきが広がる。
では、これは毒殺未遂なのか? 誰が、何のために?
「ただ、ひとつ妙なのです」
ツキシロは淡々と続ける。
「毒が仕込まれたのは、“青花の碗”に入っていた膳だけだった。皇子は金器、尚侍は青花の碗。それぞれに盛られていた内容は同じはず──なのに」
「まさか、器に──?」
「その通り。青花の碗に、ごく薄く塗布されていた成分があったのです。“柑皮の煮染め粉末”──匂いでしかわからぬほどの量。ですが、それと灰花茸が反応すれば、胃の中で化学変化が起きます」
文官が呻いた。
「器と、食材。両方が揃わなければ発症しない──」
「はい。いずれか一方では無害。ですが、条件を知っていれば、狙って引き起こすことは可能」
「では、それは“呪”でも“病”でもないと?」
「ええ、“作られた事故”です」
ツキシロの目は、静かに高官たちの列を見渡す。
「そしてこれは、警告です。皇子が倒れなかったのは偶然。ほんのわずかの差で、毒は“的”を外したに過ぎません」
「狙いは……」
ざわめきが増す。すると、その静寂を破ったのは、ひとりの女官の声だった。
「……わたくしの、せいかもしれません」
顔を伏せたその女官は、尚侍の膳を運んだ者であり、かつ、器を洗う役でもあった。
「……昨夜、尚侍様のご機嫌を損ね、叱られまして。そのとき、八つ当たりに──匂いだけで吐く柑皮の粉末を、碗に……」
「なぜ、それを?」
「……地方の館で流行った、“女官同士の嫌がらせ”です。体調不良の原因にされにくく、しかも無害と聞いておりました……まさか、あの料理に、あの茸が入っていたなんて……」
女官は泣き崩れる。
その場の誰もが言葉を失う。毒殺でも、呪殺でもなかった。悪意は、ほんの気まぐれの“意趣返し”だった。
「だが、灰花茸が厨房にあったというのは?」
「それが奇妙なのです」
ツキシロが囁いた。
「厨房頭は言いました。『茸は昨日、森から採ったものです』と。ですが、灰花茸は“炭地の茸”。炭を焼いた跡にしか生えません。都の周辺に炭焼き場などないはず」
「つまり?」
「誰かが、持ち込んだ。だが、厨房頭には悪意がないように見えた。ならば──“何者かが、彼に持たせた”のです」
つまり、この事件は“偶然”ではなかった。
見せかけの意趣返しの裏に、もっと大きな仕掛けがある。
「──これは、序章に過ぎません」
ツキシロは、冷たい目で言った。
「何者かが、“皇子の命を奪う前に”、まずは周囲を試している。毒も、器も、行動も、どれだけ計算通りに動くかを」
その言葉に、場がしんと静まった。
誰かが、試している。
王宮という、最も守られた空間の中で。




