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第37話:芽生える誇り

第37話:芽生える誇り

 蜀と魏の、甘い毒のような文化侵攻が始まってから数ヶ月。

 玉蘭は、一つの決断を下した。彼女は、都から来た学者や商人たちが帰った後の広場に、建寧の子供たちと、希望する若者たちを全て集めた。

「これより、この建寧に、学びの場を開きます」

 彼女の宣言に、人々はどよめいた。

「都の学者様が教えてくださるような、難しい学問ではございません。わたくしたちが学ぶのは、この土地の歴史。我々の先祖が、いかにしてこの厳しい自然と共存し、独自の文化を育んできたか。そして、あなたたちが毎日口にしている、この『赤珠果』にまつわる、古い古い神話についてです」

 彼女が開いたのは、後の世に「建寧学堂」と呼ばれることになる、民のための小さな学びの場だった。

 玉蘭は、自らが教師となり、子供たちに文字を教え、建寧の土地に伝わる物語を語って聞かせた。姜維もまた、剣術師範として、若者たちに自衛のための武術だけでなく、武人としての誇りと、仲間を守ることの尊さを説いた。

 最初は、都の華やかな文化に憧れていた若者たちも、次第に自分たちの足元にある、ささやかだが確かな歴史と文化の豊かさに気づき始める。

「俺たちのじいちゃんも、そんな祭りやってたって言ってたな」

「この剣の構え、都のやり方とは違うけど、なんだか俺たちの体に合ってる気がするぜ」

 憧れだけではない、自らの土地への「誇り」という名の小さな種が、彼らの心に、確かに蒔かれた瞬間だった。


 さらに玉蘭は、魏から供与された鉄製の農具を、ただ使うだけでは終わらせなかった。彼女は、建寧の腕利きの鍛冶職人たちを集め、こう命じた。

「この農具を、一度溶かし、我々のやり方で打ち直してみなさい。魏の鉄の強さと、我々が古来より培ってきた、この土地の土に合わせた刃の角度。その二つを融合させることができれば、これはもはや魏の模倣品ではない、我々だけの『建寧具』となるはずです」

 職人たちは、夜を徹して炉に火を入れ、試行錯誤を繰り返した。そしてついに、魏の物よりも軽く、それでいて頑丈で、南中の粘り気のある土を驚くほどスムーズに耕すことができる、画期的な鍬を生み出したのだ。

 それは、ただの農具ではない。二つの大国の文化を飲み込み、それを自らの力へと昇華させた、建寧の「独立」の象徴だった。


 その夜、久しぶりに同じ寝室で、玉蘭と姜維は穏やかな時間を過ごしていた。

 先の対立以来、二人の間にはどこかぎこちない空気が流れていた。だが、今日、学堂で生き生きと学ぶ子供たちの顔と、新しい鍬を手に誇らしげに胸を張る職人たちの顔を見て、姜維は、彼女のやり方が、決してただの屈辱的な策略ではなかったことを、理解し始めていた。

「……見事な手際だったな」姜維は、彼女の髪を優しく梳きながら、感嘆の声を漏らした。

「ふふ、当然でしょ」玉蘭は、彼の胸に心地よさそうに頭を預ける。「わたくしは、誰かの真似事をするのは、大嫌いですもの」

 二人の間にあった氷は、完全に溶けていた。彼らは、ただ耐えるのではなく、共に戦う道を選んだのだ。為政者としての彼女の「知」と、武人としての彼の「魂」。その二つが、この建寧を守る両輪となって、再び回り始めた。

 だが、そんな彼らの小さな勝利をあざ笑うかのように、水面下では、二人の英雄による、次なる揺さぶりのための、より巧妙な罠が、静かに張り巡らされようとしていた。

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