第四章:消えゆく火
風が、少し涼しくなってきた。
草むらの虫の音が夜を包み、空には星が戻っていた。
それでも、日々の暮らしに変わりはなかった。
毎朝、川まで水を汲みに行き、拾った芋の皮を煮て食べ、雑草と豆のスープで空腹をしのぐ。
子供たちは役割を持ち、火を絶やさず、寝る場所を交代で掃除した。
「なあ、これって意外とちゃんと生きてるよな」
進が焚き火をつつきながら言った。
「贅沢できねーけど、食えてるし、笑えてるし」
「……そうね」
鈴が笑った。
「生きてるだけで、すごいことだもん」
そのとき、初音は何も言わなかった。
その“笑顔”の奥に、どこか不安な影が差していたことに、気づいていたから。
数日後、鈴が咳き込み始めた。
最初は、風邪かと思った。
朝晩が冷えるようになっていたし、少し喉を痛めたのだろうと……
だが、彼女の肌に紫色の斑点が浮かび、髪が抜け始めたのは、その二日後だった。
「熱が下がらない……節々が痛い……」
鈴は横になったまま、小さな声で言った。
誠司が水で絞った布を額にあてがい、修平が冷やした雑草の煮汁を口元に運んだ。
達也は黙って火の番をし、進は一人で町まで歩いて、薬らしき瓶を三本拾って帰ってきた。
「これが効くかどうか、わかんねえけど……」
「ありがとう、進」
鈴は微笑んだが、唇の色がもう、違っていた。
初音は、ずっと鈴のそばにいた。
夜中、みんなが寝静まっても、鈴の咳を聞いては起き、背中をさすった。
「……ねえ、はつね」
「なに?」
「わたし……死ぬのかな……」
初音は、強く首を振った。
「だめ。だめだよ。そんなの……だめ」
「でも……おかあさんに……会えるかな……」
「……だめ……まだ……だめなの……」
言葉が、喉の奥で震え、声にならなかった。
この家族は、何も失いたくなかった。
もう、これ以上。
そしてある朝……
まだ太陽が顔を見せる前、薄い靄のかかる静かな朝。
初音が目を覚ますと、鈴の呼吸が、止まっていた。
目は閉じていて、顔はとても静かで、まるで、眠っているようだった。
「……すず……?」
返事は……ない。
初音はその手を握った。
冷たくて、もう何の力もなかった。
「すず……ねえ……」
修平が目を覚まし、隣に座る。
その顔が、すぐに歪んだ。
「……なんでだよ!……うそだろ……」
進が外に出て、大声を出した。
「なんでだよーーー……くそ……!」
誠司は黙ったまま、毛布をかけなおした。
達也が、木で小さな十字の杭を作り始めた。
初音は、泣けなかった。
涙はもう枯れたのか、それとも心が追いつかないのか。
火は、ただ静かに燃えていた。
鈴のいない朝が、やってきてしまった。
そしてその日、夕暮れ。
修平がふと、咳をした。
「……ちょっと喉が……」
初音が振り返ると、彼の鼻から、赤い筋が流れていた。
みんなが言葉を失った。
誰もが、鈴と同じ運命が、またひとりを連れていこうとしていることを悟った。
でも、誰も『次』だとは言わなかった。
言葉にすれば、それが現実になるような気がして。
そして、夜……
鈴の小さな遺体を、丘の上の桜の木の下に葬った。
布にくるみ、花を添え、皆で手を合わせた。
「すず、やすんでいいよ……でも、いつか、また会おうね」
初音がそうつぶやいたとき、誠司がそっと肩を抱いた。
「言葉、残してやってよかったな」
「うん……でも、さみしいよ……」
「当たり前だ。俺もだ」
ふたりは、星のない夜空を見上げた。
小さな火がひとつ、消えた。
だが、それを知っているのは、この子どもたちだけだった。