第三章:こどもたちの国
初音が目を覚ましたとき、そこは鳥居の下ではなかった。
焦げ臭さはまだ残っていたが、屋根がある。壁がある。
畳のようなものの上に寝かされており、身体の下には古い布団が敷かれていた。
かすかに、人の声が聞こえる。
「起きた? ……ねえ、痛いとこある?」
目を開けると、黒い髪の女の子が初音をのぞき込んでいた。
大きな目。細い腕。包帯を巻いた左足。
「……あなたは?」
「村井鈴。七つ。あなたとおんなじくらいだね」
「……田島初音。はつねって、呼んで……」
ふたりは、それだけでなんとなく通じ合った気がした。
子ども同士にしかわからない距離感が、すぐにふたりの間に橋をかけた。
「お、起きたか」
戸口から入ってきたのは誠司だった。
その後ろに、三人の男の子が続いていた。
「こっちは小林修平、十二歳。火起こしの天才」
「どうも……」と、修平は遠慮がちに帽子を取った。
「それから高木進、十三。腹が減ってると不機嫌になるけど、怒ると早口になるだけ」
「失礼な紹介すんなよ、誠司兄……」
「で、こっちは山根達也、十五。無口だけど力持ち。どんな扉でもこじ開ける」
達也は無言で軽くうなずいた。
その瞳の奥には、大人びた静けさがあった。
「……みんな、ここで暮らしてるの?」
「そうだよ。最初は俺と修平だけだったけど、少しずつ増えたんだ」
誠司がそう言いながら、古い地図を広げる。
「このあたり、医科大の裏の納屋。焼けたけど、なんとか雨はしのげる」
屋根には、拾ってきたトタン板が継ぎはぎされ、雨が降るとみんなでバケツを並べて水を溜めた。
それをろ過して、火で煮沸し、慎重に分け合った。
水の役目は修平。
川まで行き、桶に水を汲み、途中のがれきでこぼさないように歩いた。
食べ物は、進が木の実を探し、達也が封鎖された店の残骸を漁る。
誠司はときどき郊外まで歩き、農家に頭を下げて、干し芋や米ぬかを分けてもらった。
「交換するもんもないのに?」
「人の情ってのは、意外と残ってるもんさ」
誠司は肩をすくめて笑った。
炊き出しを見かけると、列に並んで小さな容器を持ち帰る。
量が足りないときは、米ぬかを水でこねて「だんご」にした。
味はない。でも、腹は膨れた。
寝るときは、全員が身体を寄せ合った。
布団は数枚だけ。火を絶やすと朝は冷えるので、交代で番をした。
「……火番って、眠くなるよね」
ある夜、初音がぼそっと言うと、鈴がくすっと笑った。
「でもね、火を見てると、夢みたいな気持ちになるの」
「どんな夢?」
「……みんなが、家に戻って、ごはんを食べてる夢」
ふたりは火の音を聞きながら、しばらく黙って空を見ていた。
天井の穴から、星がいくつかのぞいていた。
日中は、納屋の周囲を少しずつ片付けて、畑の真似事を始めた。
拾ってきた種をまいてみたり、残飯の中の豆を土に埋めてみたり。
「育つわけねーだろ」と進は言ったが、
「……やってみなきゃ、わかんないでしょ」と鈴がむきになった。
「いいんだよ、遊びのつもりで」と誠司がなだめた。
初音は、木の枝で地面に絵を描いた。
母の顔。家の窓。縁側の風鈴。
それは誰にも言えない、ひとりきりの祈りだった。
そして、彼らの「国」は、誰のものでもない場所にひっそりと広がっていった。
名前のない政府も、税金もない。
あるのは信頼と、火と、分け合うごはん。
誰も、「明日」を保証してくれない場所で、
彼らは毎日、生きるという行為そのものを積み上げていた。
ある日、修平がぽつりと言った。
「なんかさ、オレらって、難民ってやつ? ほら、海外の映画で観た……」
「ちがうよ」
初音が、きっぱり言った。
「わたしたちは、ここで生きてるんだもん。逃げてなんかいない」
誠司はそれを聞いて、火をつつきながらつぶやいた。
「……いいこと言うじゃん、ちびすけ」
こうして、子供たちは今日も、明日を知らないまま、
でも確かに“生きている”ということを、誰よりもまっすぐに証明し続けていた。