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占い師は嘘をつく

作者: 夏生 羽都

 私が初めて彼との事を占った時に出てきたカードは『誠実』だったが、そのカードの向きは逆向きだった。逆向き、つまり逆位置のカードが指し示すのはそのカードが暗示する内容とは逆の意味を指す。つまり『誠実』ならばその反対である『不実』という言葉をカードは暗示していた。


 彼と婚約をして三年、私は毎年彼との関係を占ってきた。


 一年目は『不実』二年目は『背信』三年目の今年出たカードは何と『終焉』だった。



 ◆ ◆ ◆



 夏が終わり、秋を迎えたこの時期は豊穣祭と呼ばれる豊穣の女神を称える祭りが数日間、王都で開かれる。


 誰と一緒に祭りに行くのか学園全体がそわそわと浮足立っているこの時期に、私は学園の廊下を一人で歩いていた。


 私は学園で一人で過ごす事に慣れていた。挨拶や軽い世間話をするくらいの学友なら何人もいるが、伯爵令嬢である私には、たとえ学生であっても学友たちに弱いところは見せられない。何気なく話した事が家門や自身の将来で足元をすくわれることに繋がるかもしれないからだ。


 私は前の日に借りた本を返すために図書室へと向かう。この学園の図書室は蔵書も豊富な上に放課後は利用する生徒が少ないので、私のように一人でゆっくり本を探したい生徒にとって放課後の図書室は気楽に過ごせる場所だった。


 図書室のある北校舎は本校舎と渡り廊下で繋がっている。そして渡り廊下からは裏庭がよく見える。そこに置かれているベンチは恋人たちの指定席で、図書館へ行くには嫌でも目に入ってくる光景だった。


 私の瞳に二人の姿が映る。見たくないと思っても見えてしまう二人。


 少しクセのある濃い金色の髪と深い青色の瞳を持つ彼。薄い唇が少し冷たい印象だが彼の顔立ちは整っている。


 隣に座る彼女は彼よりも薄い金髪で、瞳は彼と同じ深い青色の瞳。雪のように白い肌だが頬はほんのりと色づいていて、彼とは形の違う唇は小さくもぽってりとしていて彼女の印象を優しくも儚げに見せる。


 彼女は私と同じ二年生で、彼は二学年上の四年生。学年が違うのに彼らが一緒にいる姿はよく見かける。


 美男美女の彼らが座るだけで裏庭に置かれただけのベンチもロマンチックな場所に見えてしまう。


 裏庭は他の生徒の目が少ないせいか、彼らの距離は校舎内で見かけるよりもずっと近く、ため息が出てしまうほど彼らは完璧な恋人たちだった。


「あっ……」


 彼が彼女の掌を両手で優しく包んだと思ったら、急に彼が自分の顔を彼女の顔を近づけたので、私は思わず小さく声を漏らしてしまった。


 小さく声を上げただけでは、お互いしか見えていない彼らに私は気付かれる事は無かった。


 彼らは額を寄せ合って止まる。濃い金色と薄い金色の髪が重なる。何事かを話しているのだろうが、私のいる場所までは声が聞こえない。しかし彼の瞳が柔らかに彼女を見つめているのだけは分かった。


 甘い雰囲気の彼らからは目を背け、私は図書室へ向かう。刺繍の本を読もう。図案が豊富なあの本は、昨日はまだ貸し出されていなかったはずだ。今日は恋愛小説だけは絶対に読みたくない。



 ◆ ◆ ◆



 私の名前はジュディ・ウェルズ。伯爵家の次女で婚約者は一応いる。二ヶ月に一度の交流を目的とした婚約者とのお茶会は、王都の外れにある植物園に併設されたカフェの個室でいつも行われている。


 植物園の中にはほどほどに人がいるのに、来園者のほとんどが子供連れなので同じ学園の誰かと行き会ってしまう事はほぼ無い。


 カフェのメニューも飲み物はお茶と珈琲のどちらか、他は日替わりのケーキしか無いので学友たちの話題にも上らないカフェだ。園内の散策に疲れた時に少し休むにはちょうど良いのだが、休日でも客は少ない静かなカフェだった。


 お互いの家に行く事で交流を深めるはずだったお茶会は、彼の希望でこのカフェに変更してからもう三年が経つ。


 そのカフェに私は一人で訪れて、お茶を飲んだ後は一人で帰る。


 家族連れを見ながら私は将来自分に子供が生まれてもこの植物園には来たくないと思ってしまう。もう何回も通ったカフェへの小道はいつも一人きり。


 温まる事なんて一度も無かった彼との関係は、占いで引いたカードのように終焉へ向かっているのかもしれない。


 カフェで彼が注文するのはいつも珈琲一杯。それを飲み終えると彼はさっさと帰ってしまう。今日の私は冷めきった私たちの関係に一度だけ抗ってみようと思った。


「……あのっ」


「何?」


 私にとっては勇気を出して話したひと言だったのに、彼の声色は思いのほか冷たくて私は一瞬だけ怯んでしまった。


「…………」


「…………」


 彼は無言で私を見つめる。いつも彼女を見ているような温かさはそこには無く、けれども私は今日だけはと思って彼を見つめ返した。


「既にご存知かと思いますが、学園でノースロット様との事が噂になっています」


 彼女の名前を出した途端、彼の表情が分かりやすく苛立ったものへと変わっていく。


「キミも知っている通り、ベリンダと僕の母は従姉妹同士で、僕たちは生まれた時からの長い付き合いだ。勘違いをする者にはさせておけばいい」


「しかしデイヴィッド様は最終学年です。学生時代の醜聞が後々の社交界での立ち位置を決めてしまうかもしれません」


 そう話してから私はしまったと思った。『醜聞』という言葉を使った途端、普段は美しいはずのデイヴィッド様の表情が醜く歪んだのだから。


「キミは僕とベリンダとの関係を醜聞だと思っているのか?」


 いつもより低い声は彼の怒りの感情を表していた。


「私は……」


 彼は突然ドンと乱雑に強くテーブルの天板を叩き、私が言おうとしていた言葉を遮ると怒鳴り出した。


「結婚したら僕は君に縛られるんだっ!学生の時くらい好きに過ごしたっていいだろうっ!」


 それだけ言うと彼は私に背を向けて乱暴にドアを閉めて個室から出て行ってしまった。

 

 私の瞳にはいつの間にか涙が溢れていて、それが膝の上に落ちる。


 ぽつりぽつりと降り始めの雨のように落ちる涙は止まらない。


 この三年間で私が彼に意見をしたのはこれが初めてだ。私はこれまで一度も彼女との関係を咎めた事はなかった。


 しかし彼は私との婚約の先にある結婚を束縛と考えている。彼にとっては私という存在が枷となっているのだ。そう思ってしまうと、私の中の彼への前向きでいようとする気持ちさえも崩れ落ちてしまう。


 彼と彼女は母親同士の実家が同じ伯爵家でも、嫁いだ家の爵位の差があるので彼は子爵家令息で彼女は侯爵家令嬢。


 彼らの家は身分差がある二人を結婚させようとまでは考えなかったようで彼には私が、彼女には少し年上の侯爵家次男である婚約者がいる。


 いずれ終わる関係だと思っていたし、いつか彼が私にも彼女のように優しい表情を浮かべてくれることを少しだけ期待をしていた。


 しかし、彼は私との結婚を束縛と考えていたのだ。私が彼を縛りつける?


一体いつ私が彼を束縛した?


 月に一度を予定していた交流会を彼の希望で二ヶ月に一度に減らされ、場所は寂れたカフェの個室にされた上に、彼は珈琲一杯で去ってしまう。美味しくない紅茶に一度だって文句も不満も言った事は無いし、彼は私にそれを言わせなかった。


 一度溢れた涙は止まらない。この涙は何の涙?


 学園で仲睦まじい二人を何度も見てきた。学園で彼と話をした事は一度だって無い。彼との事を聞かれるのが怖くて友達だって作らないできた。政略で婚約した彼に愛情を求めようとは思わなかったけれど、彼は私という人間を一度たりとも見てくれなかった。


 理解のある婚約者のフリをしてきたけれど、それでも彼は私が彼を束縛すると言った。


「私だけっ…、馬鹿みたいだわっ」



 ◆ ◆ ◆



 伯爵家に着いた時にはもう日も暮れかかった時間で、私の涙はとうに乾いていた。


「おかえりなさい、今日はずいぶん遅かったのね。寄り道でもしてきたの?」


 領地にいる両親の代わりに六歳年上の姉はいつも私の事を気にかけてくれる。


「お姉さま、私とデイヴィッド様との婚約はどのような経緯で結ばれたのかはご存知ですか?」


「そうね、食事の後に応接間へいらっしゃい。ゆっくり話しましょう」


 そう言ってお姉さまは私をふわりと抱きしめてくれた。


「酷い表情をしているわ。すぐに用意をさせるから湯あみをしていらっしゃい」


 お姉さまの優しい声色はデイヴィッド様とは逆の理由で私の瞳に涙を溢れさせた。


「はい、……ありがとうございます」


 私たちは少し歳の離れた二人だけの姉妹だ。だから姉は学園に入る前から当主としての教育を受けていて、当主教育が落ち着く来年の春に婚約者との結婚を控えている。


 なので姉よりも六年遅く生まれた私は最初から嫁入りする事が決まっていて、13歳の時にキース子爵家の跡取りであるデイヴィッド様と婚約を結んだ。


 絵本に登場する王子さまのように、金髪で青い瞳のデイヴィッド様は顔立ちも整っていて、息を呑むほどの美少年だった。


 だから私も自分が将来結婚する相手がこんなに素敵な方だなんて幸せだと最初は思っていたのだが、その気持ちはすぐにがらがらと崩れていく。


 婚約した時からデイヴィッド様は私への関心が薄かったのだ。会話も「ああ」とか「うん」とかその程度の相槌でしか答えてくれないし、彼の誕生会にだって一度も呼ばれた事が無く、私が一方的にプレゼントを贈るだけだった。


 さらに私の誕生会に招待しても、彼はいつも用事があるからと断られ、誕生日当日に小さな花束がひとつ贈られるだけだった。


 これでは彼に期待は出来ないと、婚約一年目にして私は悟ったのだが、婚約二年目に彼と同じ学園へ入学した事で彼の気持ちが誰にあるのかを知らされる事になるのだった。


 入学してすぐの頃、私の周りの令嬢たちは婚約者と一緒にランチを食べ、放課後は同じ馬車で一緒に買い物に出かけていくのをよく見かけていたので、もしかしたら彼も一度くらいは私をランチや買い物に誘ってくれるのではないかと期待していたが、彼はいつも彼の再従兄妹であるベリンダ・ノースロット侯爵令嬢と一緒にいた。


 そして彼は彼女と食堂でランチを食べたり、放課後は一緒に馬車に乗ってどこかへ出かけて行くのだった。


 ベリンダ・ノースロット侯爵令嬢は学年で話題になるほどの美少女で、彼女に寄り添うようにいつも隣に立つ彼も美しい容姿をしているから二人は学園でも有名で、そして誰が見ても二人はお似合いだった。


 彼らがお互いに見つめ合って微笑む姿を見て、ため息をついていた同級生は何人もいた。


 母親同士が従姉妹という事で血の繋がりのある彼らは兄妹ほどではなくてもどこか似た雰囲気があって、二人で一緒にいることは当たり前のようになっていた。


 だから生まれた頃から一緒にいる彼らの間に私が入りこむ余地なんて全くないのを私は学園での彼らを見せられる事で思い知らされてきた。


 そして彼の婚約者であっても見向きもされないほどに蔑ろにされている私は、学園の生徒たちからは腫れ物のように扱われるようになっていった。



 ◆ ◆ ◆



「あなたたちの婚約はデイヴィッド様のキース家からきたお話だったのよ」


「そうだったのですか。あちらからというのが、その……、意外でした」


「領地同士が近い令嬢で経済的に援助をしてくれる家を探していたようなの。更にデイヴィッド様はお顔立ちが整っていらっしゃるから、子供同士のお茶会で令嬢たちに囲まれる事が多かったらしいのよ。特に低位貴族の令嬢たちの強引な行動に嫌な思いをたくさんされたらしく、大人しい性格の貴族令嬢を希望されていらして、ジュディはキース家の求める条件にぴったりの子だったの。初めての顔合わせの時はジュディが頬を赤らめていたから、きっとデイヴィッド様のことを気に入ってくれたと思って、我が家もこの婚約を受ける事にしたのよ」


 お姉さまの話を聞くだけではデイヴィッド様のキース家にとってばかり良い条件に聞こえてきてしまう。そんな条件の婚約者に対してあそこまで冷たい態度を取れる事が私には理解できなかった。


「キース家にとってこの婚約が利になる事は分かりました。それで、当家にとってはどのような利があるのでしょうか?」


「そうねえ、我が家にとっては領地が近いから結婚後もジュディが近くにいてくれる事かしら?」


「それだけ、ですか?」


「ええ、家を大きくしたかったら政略的に有利に働く家と縁づく事も考えたのだけれど、私は今のままで充分だと思っているの。出来れば息子を三人くらい産んでさっさと引退したいって思っているから、家を大きくするのは私の子供たちに任せたいって思っているわ。まだ産んでいないけれどね、ふふふ」


 そう言ってお姉さまはころころと笑う。


「だからウチはジュディがデイヴィッド様との婚約を白紙にしても全然構わないの。むしろ困るのはあちらよ。ジュディはデイヴィッド様との事をどう思っているの?」


「今日のお茶会でデイヴィッド様に、結婚したら私に縛られるのだから、学生の時くらい自由に過ごしたいと言われてしまいました。私はこれまで学園でデイヴィッド様とお話しをした事は一度もありませんし、そうしたいと言った事もありませんでした。お茶会でも会話らしい会話もなく、このまま結婚をしてもデイヴィッド様は私に束縛されているのだと思いながら夫婦として一緒に過ごす事が出来るのか分からなくなってしまいました」


「そう、そんなことを言われてしまったのね。かわいそうなジュディ……。婚約の事は私からお父様に相談してみるわ」


「ありがとうございます。お姉さま」


「そうそう今年の豊穣祭でもね、あなたに依頼がきているのよ。気晴らしにどうかしら?」


 そう言いながらお姉さまは含みのある表情を浮かべる。多分これは断れない用件だ。


「………一日だけでしたら」


「良かったわ。色々あって断れない相手だったからジュディに断られたらどうしようかと思っていたのよ」


 そう言ってお姉さまは両手を軽くぽんと叩き、花が咲いたように微笑みを浮かべた。



 ◆ ◆ ◆



 七日ある豊穣祭の三日目は豊穣の神の使いに扮したつもりになって仮面を被って皆で踊る。王都のあちこちで誰もが思い思いの楽器を手にして曲を奏でたり、踊ったりしている。


 私は小さな天幕の中で、銀髪の鬘をかぶって黒い仮面を着ける。私の髪色は黒色なので銀色の鬘をかぶるとかなり印象が変わる。仮面に黒色を選んだのは白い仮面を被った時に紫色の瞳が目立ったからだった。


 この国で紫の瞳を持つ者は少ない。学園生だったら私の正体をすぐに見破られてしまうかもしれないから仮面にはこだわった。


 仮面を黒く塗った上で、目の部分に開いている穴を細くしてみたら瞳の色はほとんど分からなくなった。天幕の中にはランプをひとつしか置いていないので薄暗く、これで充分隠せることが出来たと思う。


 小さなテーブルとイスが二脚しかない小さな天幕の中は、外の喧噪とはまるで別世界のようだった。


 この天幕の中で私は占いをする。無料にしてしまうと下に見られてしまうので、占い一件につき銅貨3枚もらうようにしている。これくらいなら当たっても外れても、お祭りの中の遊びの一つだと思われる程度の代償だろう。


 私がいつも占いで使うのは古代語の書かれた数十枚のカード。


 占いが趣味だった祖母から譲り受けたものだ。


 数年前にたまたま我が家に遊びに来た姉の友達を占ってみたら見事に当たったらしく、姉を通じて時々占いをしている。


 豊穣祭での占いもそんな姉の友達の一人からお願いされたもので、今年で三年目になる。


 一応入り口には仮面を着けた我が家の侍女二人が受付役をしてくれて、天幕の裏には同じく我が家の護衛を二人付けてもらっていて、怪しい客や強引な客にはすぐに出て行ってもらうようにしている。


 お祭りが始まってすぐに私の天幕には行列が出来ているようだった。最初の年はそれほど混まなかったのに、いつの間にか当たる占者と評判になっていたらしい。


 占いを初めてから十数組目に天幕に現れた依頼人はひと組の男女で、仮面で変装をしていても私はすぐに二人が誰だか分かってしまった。


 今年も彼は彼女をお祭りに誘っていたようだ。


 私のように鬘も被らずに、素顔に仮面を着けただけの二人は充分に身分を偽る事が出来ていると思っているらしく、二人で仲良く腕を組んでいる。


「私たちの相性を見て欲しいの」


 椅子に座った彼女がそう言うと、彼が懐から銅貨を三枚取り出してテーブルの上に置く。


 私は無言で銅貨を受け取ると、彼らの事を思い浮かべながらカードを切り、裏面を見えるようにしてテーブルの上にカードを広げる。


 いつもだったらカードを切る前に依頼人の悩みを具体的に聞くのだが、彼らの事はよく知っているので私は彼らとは最低限の会話しかしないつもりだ。


「それではお互いの事を思いながらそれぞれ一枚ずつカードを引いて下さい」


 私がそう言うと彼らは素直にカードをそれぞれ一枚ずつ選び自分の前に置く。


「お二人で一枚、カードを選んで下さい」


「どれにしようかしら?デイヴィはどれがいい?」


「俺は端のこのカードかな?ベリィはどれがいい?」


「うふふ、私はこれっ」


 そう言って彼女は彼が指で差したカードの隣のカードを選ぶ。二人の指が触れ合うと彼女はふふふと笑い、そんな彼女の指を掌ごと彼が大きな手で優しく包んで二人で微笑み合う。


 仲睦まじい恋人たちの様子に私は自分の心の中が冷え込むのを感じていた。


「デイヴィたらこんなところで嫌だわ、ふふふ」


「このカードにしよう」


 そう言って彼は彼女の手を握っていない方の手で彼女が選んだカードを抜き取ると二人の前に置く。


 私もカードを一枚選んで自分の前に置いた。


「カードを表面に返して下さい」


 自分の気持ちがカードに出てしまったらどうしようと、内心では不安に思いながら私は目の前に置いたカードをめくる。


 表面に返された全てのカードを見て、私は僅かに息を呑んだ。古代語で書かれているので彼らはきっとカードの意味は分からないだろう。


 彼が選んだカードは『勤勉』のカードだが逆位置だから『怠惰』、彼女は『正義』の逆位置だから『不義』、二人が選んだカードは『崩壊』の正位置だった。そして私の引いたカードは『別離』の正位置。


 カードはそれぞれが引いたものは彼ら自身を象徴するカード、二人で選んだカードは彼らが望む未来の結果を暗示するもの、そして私の引いたカードは彼らに対しての助言を意味するカードだ。


 これらのカードが教えてくれる意味は、彼らが一緒にいるのはお互いの為にならず、彼らの関係は将来的に破綻する。一日でも早く別れる事が彼らにとって良いという意味だ。


 私はカードの意味をどう伝えようかと考える。


 お互いに婚約者のいる彼らにとってこの占いは遊びだ。しかしカードが伝えてきた事は彼らが見たくはない真実。


 真実をつきつけられて彼らは冷静でいられるのだろうか?


 私の頭の中に彼との先日のお茶会で『醜聞』と彼らの関係を言ってしまった事で彼を怒らせてしまった記憶が蘇る。


 今日はお祭りで彼らは偽りの恋人、彼らは真剣な気持ちでここにいるのではない。


 そう、だから………。


「………」


「どうしたの?」


「………お二人の相性は良いようです」


「それだけ?」


「……はい」


「それだけではつまらないわ、ねえお金を返してちょうだい!」


 突然の彼女の変化に私は驚いた。


 入口にいる侍女に占いを受ける際のルールとして、占いの結果に異議は言わない事と料金の返金には応じない事を約束してから天幕に入ってきたはずなのに、彼女はそんな約束事は無かったかのように私に詰め寄ろうとする。


 貴族にとっての銅貨三枚は大した金額ではない。私よりも高位の彼女はなおさらだ。それを返せと言うのはどれだけ我儘なのだろう。


 そしてそんな彼女を目の前にしても彼は動こうともしない。


 正に『怠惰』と『不義』だ。


 私の背後で護衛たちの動く気配がする。


 いつもだったらそのまま護衛に任せるところなのだが、私は彼らとこれ以上関わりたくなかった。


 彼女は侯爵令嬢であの性格だ。一度でも揉めたらやっかいだし、彼女の親が出てきたら私の正体なんてすぐにバレてしまう。


 私は先ほど受け取った銅貨を机の上に置く。


「もうちょっとまともな占い師になってからお金を取りなさい!」


 立ち上がった彼女はそう言うと、銅貨をひったくるようにして取って天幕から出て行ってしまった。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


 出て行ってしまった彼女の様子を察して、入口にいた侍女が天幕にやってきてくれた。


「今いらした男性のお客様はデイヴィッド様よ。……外では何人くらい並んでいるのかしら?」


デイヴィッドの名前を聞いて侍女が息を呑む。


「…十人ほどです」


「そう、今日だけのはずだったけれど、明日も占いをするわ。今いるお客様には番号札を渡してあげて。明日はその方たちを優先して占いをするから」


「かしこまりました」


 そう言うと侍女は天幕の外に出て、待っている客たちに私の体調不良で占いが中止になった事を伝えていた。



 ◆ ◆ ◆



 豊穣祭からひと月ほど経った頃、お姉さまから占いの依頼があり、私は応接間で相手が来るのを待っていた。


 姉であるカミラの妹の占いはよく当たるのだと姉の友人たちの中で評判になって始めた事だったので、豊穣祭の時とは違い私はジュディ・ウェルズとして占いをしている。


 だから今日は姉の友人たちとお茶会をする時のように令嬢としてふさわしい装いをしている。


 黒髪はハーフアップにして深緑色のデイドレスを着せられている。黒髪に紫色の瞳を持つ私は寒色系の色が似合うからと着せ替え人形のように姉にドレスを勧められて着る事が多く、本日も秋だから落ち着いた色にしましょうと言う姉の指示で選んだドレスだった。


 あれから学園で彼らを見かける度に私は豊穣祭での事を思い出さずにはいられなかった。


 いくら知っている二人とはいえ、占いの結果を捻じ曲げて伝えてしまった事を私は少なからず後悔していた。


 もっと違う言い方をすれば良かったのかもしれない、と何度も考えてみるが彼らのカードの結果は悪過ぎて、あのカードの結果を上手く言いくるめるほど私は口が上手くはなく、何度考えてもあの時どう言い繕えば良かったのかさえ思い浮かばなかった。


 いつもだったら悪い結果が出てもそれを正直に伝えるのだが、私の頭の中で先日の彼とのお茶会の時の記憶が思い浮かんでしまい、咄嗟に嘘をついてしまった。


 あの時は彼らの関係を醜聞と言ってしまった事で彼を激昂させてしまった。だから彼らの将来を暗示しているカードが『崩壊』だとは、とてもではないが私の口からは言えなかった。


 カードの結果をどう受け取るのかはその人次第。


 正直に話したところで、彼らがあの結果を受け入れてくれるとは思えなかった。


 お互いに婚約者がいるのだ。早いか遅いかの差で彼らの関係はいつかは壊れてしまう。決断が早ければ早いほど傷は浅く、遅くなればなるほど傷は深くなる。


 占いなんてしなくても分かる事なのに、彼らはまだ甘い夢に酔っていたいというのだろうか。


 だから私はしばらく占いなんてしたくないと思っていたのだが、お姉さまがどうしてもと言って聞いてはくれなかったので、今回だけと言って占いをする事にした。


 お姉さまからの占いの依頼は依頼者に我が家に来てもらう形で行う。


 私からの条件は占いの結果に異議を言わない事と、相手が誰だか分からないように変装をしてもらう事だった。


 占いでは個人的な悩みを打ち明けられる事もある。相手が貴族だった場合、私は相手の秘密を知る事となってしまう。秘密を知るという事は私にとってもリスクの高い事で、社交界デビュー前の私にとっては荷が重すぎると思い、依頼者が誰なのか私に分からないようにしてもらっている。


 ドアがノックされて依頼者が入ってきた。意外にも依頼者は男性だった。亜麻色の髪の彼は豊穣祭で着けるような仮面を着けているだけだ。


 彼を知っている人なら彼が誰なのかすぐに分かってしまうのだろうが、幸いデビュー前で在学が重ならなかった私は姉の交友関係は我が家に遊びにきてくれた友人しか知らないから彼が誰なのか分からない。


 姉の依頼で私が男性を占うのは姉の婚約者を入れても三人目だ。最初に占った男性は姉の婚約者で、占いの結果も良かった。二人目に占ったのは一年ほど前で、目の前にいる彼と同じ亜麻色の髪色をしていた。彼が付けている仮面に描かれた模様も昨年の彼と同じで一年前に占った相手と同一人物としか思えなかった。


 あの時の彼は婚約者との未来を占って欲しいと言われて占ってみたが、結果が悪く彼がひどく落ち込んでいたのを覚えている。


『これはあくまで占いで、予言ではありません。ですから貴方と婚約者様の今後はお互いの努力や歩み寄りでいくらでも結果は変わるものです』


『でも、キミの占いは的を射ている』


『………』


 私は一年前の彼とのやりとり思い出す。あの時は確か彼の婚約者を表すカードに『探求』の逆位置が出たのだった。逆位置の意味は『妥協』もしくは『譲歩』。彼の婚約者は彼に気持ちが向いていない事を暗示していた。


「婚約者との将来を占って欲しいんだ」


 彼は一年前と同じ事を私に言ってきた。どうしてもその婚約者の事が諦められないらしい。同じ占いを繰り返し行うのは基本的にタブーだが、状況が変わったり時間が経っているのなら問題はない。だから彼は一年経ってからまた占いにきたのだろう。


 今回も彼は一人でやってきたので、婚約者のカードと二人の将来を暗示するカードは彼に婚約者自身や彼女との将来の事を思いながら選んでもらう。


 仮面を付けているので、実際に彼がどんな気持ちでいるのかまでは私には推し量る事ができないが、彼は昨年の良くない結果を思い出して、選ぶ事にためらいを感じているのかもしれない。彼はカードが並べられた机をあまり見ずに顔を上げたままカード選んでいた。


 私も良いカードが出るように願いながらカードを一枚取って自分の前に置く。


 そしてカードを開く。彼も私に倣って自分で選んだ三枚のカードを表面に返していく。


 彼を表すカードは『虜囚』の正位置、彼の婚約者を表すカードは『恋人』の正位置、二人の将来を表すカードは『黎明』の正位置、私の前にある彼らへの助言を意味するカードは『崩壊』の逆位置。


 これらのカードが教えてくれている事は、彼は何かに囚われている状態。彼女は彼の事を恋愛対象として見ている。二人の将来は黎明つまり夜明け前で、これから始まる未来は明るいことを暗示している。彼に助言すべき『崩壊』のカードは正位置では悪い意味だが、逆位置では良い意味を表す。おそらく彼が囚われている何かを終わらせる事が彼らの幸せにつながるという意味だろう。


「このカードが伝えている意味は、婚約者様のお気持ちは貴方にあるという事です。貴方は何か囚われていらっしゃる事がおありのようですが、それを終わらせれば婚約者様との新たな明るい未来があるともカードが教えてくれています」


「なるほど……興味深い結果だね。キミの占いは本当に的を射ていると思うよ。うん、僕は決めた。背中を押してくれてありがとう!」


 そう言って彼は握手を求めるように私の手を握った。


 お父様以外の男性に手を握られたのが初めての私は頬が熱くなる。きっと顔が赤くなっているだろう。


「ああっ、令嬢に不躾な真似をしてしまってごめんねっ」


 彼は慌てて私の手を離す。生真面目な対応に私はくすりと笑ってしまった。


「いえ、気になさらないで下さい。今回は結果が良くて良かったですわ」


「うん、一年前に占ってもらった時は正直落ち込んだのだけれど、今日占ってもらった事で自分がしようとしている事が間違いではないと再認識できて良かった」


「カードはあくまで占いですわ。カードの言葉に囚われてしまうことも良しとはしないと私に占いを教えてくれた祖母も申しておりました」


「そうだね。今の私は囚われているみたいだから気を付けるよ」


「ふふふ、そうなさって下さい」


 背中を丸めて帰って行った前回とは違い、しっかり伸びた彼の背を見ながら私は彼を見送った。


 私には彼が誰なのか分からないが、彼の婚約者の女性はこんなにも婚約者に思われて幸せだろうし、社交界に出れば彼らに行き会う事もあるだろう。姉と同世代の亜麻色の髪色の男性を見かけたら、心の中で彼のこれからの明るい未来を願ってしまうかもしれない。



 ◆ ◆ ◆



 私の婚約はデイヴィッド様の卒業を目前に控えた頃に無事に解消となった。


 豊穣祭直前でのお茶会以来、私は彼を避けていたので、婚約解消までは学園で遠くから彼らを見かけることはあっても近くで顔を合わせるような事はなかった。


 婚約解消は父と次期当主である姉が先導して行ってくれたので、ある日突然彼との婚約が解消されたのだと父から告げられただけで私の婚約は終わった。私にとってはあっさりした終わり方だった。


 しかし姉の話では彼の家への援助金等のお金の事で揉めていたらしく、予定よりも婚約解消に時間がかかってしまってごめんなさいと謝られてしまった。


 デイヴィッド様はもう少しで学園を卒業する。同じ学年なのでベリンダ・ノースロット嬢とは学園で行き会ってしまうこともあるかもしれないが、卒業でデイヴィッド様との縁は全て切れるので、社交界で見かける事はあっても、もう彼と関わる事はこれからは無いだろう。


 私は婚約者をなくしてしまい嫁ぎ先もなくなってしまったが、デイヴィッド様の元へ嫁ぐよりは一人の方がずっといい。


 デイヴィッド様もこれから婚約者探しになるだろう。


 私と婚約をした時はノースロット様との事は知られていなかったけれど今は違う。


 婚約者としての彼を客観的に評価しようとすると、爵位も低く裕福ではない彼の良いところは美しい容姿だけだ。


 しかし彼が婚約者を蔑ろにしてノースロット様を優先している事は有名な話なので、幼い頃とは違い今の彼は美しくても令嬢たちに人気がない。


 学園の皆は私を憐れむような目で見ていた。あの視線に晒されてまで彼と一緒になろうと思う令嬢は少ないだろう。


 それに成長をしてみたら彼の細い体駆は男性らしさという点においては欠ける。幼い頃は際立っていた美しさは以前ほどの輝きを持ってはいなかった。


「――おい、」


 図書室で読書に熱中してた私は自分が声を掛けられた事にすぐには気がつかなかった。


「おい、僕が呼んでいるんだ。顔を上げろジュディ」


 名前を呼ばれた事でようやく自分が呼ばれている事に私は気付いて読んでいた本から顔を上げたら、元婚約者のデイヴィッド・キース様が目の前に立っていた。


 彼から声を掛けられることはもちろん、彼と学園で話すことは初めてだった。それに今日はいつも隣にいたノースロッド様を連れていない。


 婚約者でもない今になって私に何の用があって来たというのだろうか?


 彼の性格を考えるとロクなことではないように思える。


 私はすぐに辺りに視線を動かす。入り口そばにある本の貸出カウンターには司書の先生がいるし、少し距離はあるが図書室の隅には本を探している男子生徒が一人いた。


 同じ室内に自分たち以外の人がいる事に安心した私は彼に話しかける。


「どのようなご用件でしょうか?」


「どうして僕との婚約を解消したんだっ」


 責める口調の彼に今さら何を聞いて来るのだと思いながら、私は貴族らしい解答を彼に伝える。


「私たちの婚約は政略です。婚約を結ぶのも解消するのも私ではなく父が決める事です」


「それでも一度結んだ約束を反故にするのは卑怯な事だとは思わないのかっ!」


 私には彼の言っている言葉の意味が分からなかった。婚約を結んだら必ず結婚をしないといけないという強制力はない。婚約とはどちらかの条件が変わればなくなってしまう家と家との約束事でしかないのに。


「キミのせいで、ベリンダは婚約を破棄された!」


 深く交流する友人のいない私はノースロッド様の事は初めて知ったのだが、「ああ、やっぱり」という気持ちしか湧きあがってこなかった。そして婚約破棄の原因が私にあるという彼の言葉に不快感を覚えた。


「ノースロッド様の婚約破棄は今知りました。その件と私とどういった関係が?」


「キミが僕との関係の改善をするための努力をしてくれなかったから、彼女は僕との不貞の嫌疑を理由に婚約破棄をされてしまったんだ!」


 ああ、この人は性格だけではなく頭の中身も残念な人だったのだと私は改めて思った。


「私の努力が、足りなかったと?」


「ああそうだ。大人しいと思ったからキミが婚約者でいいと思ったのに、とんだ期待外れだった。ノースロッド家では政略的な旨みは無いが、僕は責任を取らされてベリンダと結婚をさせられる事となったんだ。彼女は子爵家に嫁ぐのは嫌だと泣き始めるし、キミさえ私との婚約を続けていれば全てがうまくいったんだっ!どうして結婚まで待てなかった?」


 相変わらず彼の言っている意味は理解できなかったが、彼はノースロッド嬢と婚約を結び、彼女に駄々を捏ねられているのが嫌になったのだろう。


 私が結婚相手だったら結婚後に彼が不貞をしても文句を言わせないし、ウチから経済的な援助を受けられた上で好き勝手に出来ると思っていた未来が消えてしまったから怒っているのだろう。


「私は貴方にとって都合の良い道具ではありませんわ。それに私は感情を表に出す男性は好きではありませんの」


「……っ!」


 私の言葉に彼はぐっと息を呑む。強気な態度の私を初めて見た彼は驚いているのだろう。


 私は貸出しカウンターに座る司書の先生へ視線を送る。怒声まじりの彼の声は司書の先生にもよく聞こえていただろう。


「キース令息、ここは図書室です。大きな声を出すのは控えなさい」


 彼は司書の先生がいたことに初めて気づいたような驚いた表情を浮かべる。


 その隙に私は読んでいた本を閉じて席から立ち上がって図書室を出ようとしたら、彼も私に付いて行こうと動いたが、司書の先生が彼の行動を制してくれた。


「待ちなさい、キース令息は大声を上げた罰として書棚の整理をしてから退室しなさい」


 彼はしぶしぶといった雰囲気で書棚へ向かうが、まだ名残惜しそうに私を見ていた。


「さようなら、キース令息。もう私には話しかけないで下さい」


 最後にそう言って私は図書室の扉を閉めた。婚約者時代は言いたい事はほとんど飲みこんで我慢ばかりしていたが、最後に彼にはっきり拒絶の言葉を言う事が出来て良かった。



 ◆ ◆ ◆



 デイヴィッド様との婚約が解消されて一年ほどした頃、私にも新たな婚約の話が舞い込んできた。


 婚約解消だから傷は浅いのだが、学園では相変わらず一人でいるせいか私にはこの一年、新たな婚約話も浮いた話も何も無かった。


「お姉さま、緊張致しますわ」


 婚約を申込んで下さったのはラーキンズ侯爵家の次男のエドガー様というお方だ。学生時代に姉と一緒に生徒会で書記をしていた方で、それが縁でこのお話をいただいたのだが、エドガー様は何とベリンダ・ノースロット様の元婚約者でもあった。


 エドガー様は次男で、嫡男のお兄様には既に二人のお子様がいらっしゃるので、侯爵家を継ぐ予定は無いが、結婚後は侯爵家が持っている伯爵位と飛び地で持っている領地を分けてもらえる事になっている。


 分けてもらえる予定の領地は我が家の領地からも近いが、キース家とは我が家を挟んで反対側の場所にあるので、領地でキース家と関わるような事は無いという話だった。


 お互いに婚約者がいなくなり、残された者同士で縁を結ぶというのは社交界的にも面白おかしく噂をされる可能性は高く、私はこの婚約を断ろうとしたが、姉がエドガー様は素敵な方だから会うだけでもお願いと言われて押し切られてしまったのだった。


 顔合わせをしてから、どうしても嫌だったら断っても良いからと言われて臨むこのお茶会だが、エドガー様には悪いがあのベリンダ様の元婚約者という事で私はこのお話を断ろうと思っている。


「大丈夫よ、ジュディ」


 緊張している私の両肩に優しい手つきでお姉さまが触れた時、応接室のドアがノックされてエドガー様が現れた。


 彼の姿を見た途端、私は思わず声を上げてしまった。


「まあ!貴方でしたのね」


 亜麻色の髪の彼は今日は仮面を着けてはいなかった。しっかりした体格と雰囲気で私はすぐに彼があの占いに来ていた男性だと気付いた。


「初めまして、ジュディ・ウェルズ嬢。顔を見せて会うのは初めてだから初めましてでいいよね?」


 そう言いながら彼は穏やかに笑う。


 私はあの時のように自分の顔が熱くなるのを感じていた。彼にどう返事をしたらいいのかが分からない。


「ラーキンズ様、この度は素晴らしいお話をありがとうございます」


 何も言えずにいる私に代わって、お姉さまがカーテシーの姿勢を取ったので、私も慌ててそれに倣った。


「今日は父達もいないし、気軽にって聞いていたのだけれどそれでいいのだよね?」


「ええ、もちろんですわエドガー様。本日は私の学生時代の学友でもあるエドガー様をお茶にお呼びして、妹も同席させているだけの内々のお茶会ですわ。ジュディ、エドガー様にお庭をご案内してさしあげて」


「は、はいっ」


 慌てる私にエドガー様は手を差し伸べてエスコートをしようとしてくれた。


「よろしくね。緊張しなくても大丈夫だよ」


 私がエドガー様の手を取ろうとした時に彼は小さな声でそう言ってくれた。


 我が家は伯爵家としては力を持っている方なので、屋敷も庭もそれなりの広さがある。そして庭はいつでもお客様を案内できるようにしてはあるが、それでも侯爵家の彼の家に比べたら広さでは負けるだろう。


 それなのに、彼は私が説明する花や木々の名前に「へえ、そうなんだ」「半年後に花が咲いているところが見たいな」等とちゃんと答えてくれた。会話そのものが成立していなかったデイヴィッド様とは大違いだった。


 エドガー様は当時の婚約者であったベリンダ様との事で悩まれていた。


 おそらくデイヴィッド様とベリンダ様の距離の近さを悩まれていたのだろう。


 しかし一年前の私の占いではベリンダ様を表すカードは『恋人』だった。


 あのカードの意味が正しいのなら、ベリンダ様はデイヴィッド様と距離を取る事を決めてエドガー様を選ばれていたのではないだろうか?


 そしてエドガー様は私の占いが的を射ているとおっしゃっていたので、カードが暗示していたメッセージ通りの状況だったはずだ。


 一年前の占いではエドガー様とベリンダ様の未来は明るいはずだったのに、どうして婚約破棄を選ばれてしまったのだろう?


「何を考えているの?」


 庭を散策しながら無言になってしまった私の顔をエドガー様が覗きこむ。デイヴィッド様のような美しさや華やかさはなくてもエドガー様の顔立ちは整っていて、思慮深そうな彼のダークブラウンの瞳が私は素敵だと思う。


「あのっ、どうしても気になっている事があるのです。でもそれは聞いてはいけない事だというのは分かっているのですが、どうしても気になってしまって……」


「もしかして、ノースロッド令嬢との事?」


「………はい」


「そうだよね、婚約を結ぶのなら私たちはその事を話しておかないと駄目だよね。私はね、ずっと彼女との事で悩んでいたんだ。彼女とは性格が合わない事は初めに気付いていたのだけれど、ウチも政略だったから簡単には婚約解消できなかったんだ。それに彼女もまだ幼かったからいずれ成長してくれるのを期待していたところもあった」


 彼に促されて私は庭に置かれたベンチに座る。ベンチを見るとどうしても学園の裏庭で見かけた二人の事を思い出してしまう。


「彼女が学園へ入学してから親族の令息と噂になっている話は早い段階で当家も把握していたんだ。だけれど噂だけでは何もできないから、私は彼女と婚約を継続するつもりで彼女と交流を図ろうとしていた。それが二年位前の話になるね。あの頃は悩みに悩んでいたから占いにも頼りたい気持ちで、よく当たると評判のキミに占って欲しいとキミの姉上に頼み込んだんだ。それで占いの結果が彼女がこの婚約を『妥協』ととらえていると出てしまって、落ち込んでしまったけれど、その通りだと納得もしてしまったんだ。それで噂だと大した効力はないけれど、実際に学園では彼らはどのような様子なのかを調べることにしたんだ。そして小さな事でも彼らの記録を取り続けた。些細な記録でも量があれば何とかならないかと思ってね。例えば一緒に二人で歩いているだけでは友人の範囲だが、それが二人きりで毎日だったら印象が変わってくるだろう?」


「そうなのですね、私は何もできませんでしたわ」


 何も行動できなかった私とは違い、エドガー様は行動を起こしていたと思うと素直に彼をすごいと思った。


「そうでもないよ。ジュディ嬢の占いを聞くまでは何も出来なかったし、あれでやっと重い腰を上げる事ができたんだ。それで、彼らを調べていくうちにジュディ嬢の事も少しだけれど調べさせてもらったんだ。一つの可能性として、キース令息とジュディ嬢との不仲がこの状況の原因ではないかとも考えたんだ。けれどキミに問題は見つからなかった。婚約破棄の決定打となったのは一年前の豊穣祭の二人の行動で、密かに人を付けていたのだけれど、彼らは学園にいた時以上に距離が近かったのと、キミの姉上にも協力してもらって、キース令息が子爵夫妻にキミへ贈ると嘘をついて購入したいくつものドレスや宝飾品をノースロット令嬢に贈っていた事を突きとめたんだ。彼が彼女に贈ったプレゼントの料金はウェルズ家の援助金から出ていたから、そこを突いてウェルズ家と当家の両方から彼らの家へ抗議をすることでそれぞれ、婚約の白紙と破棄をする事が出来たんだ。キミの方も破棄に出来たのだけれど、婚約破棄だと慰謝料が発生するとキース家がゴネだしたから、長期化して次の婚約に影響が出るよりはいいと思ってジュディ嬢の方は婚約解消となったんだ」


「でもっ、一年前の占いの結果は良いものでした。あの時ラーキンズ様は私の占いが当たっているとおっしゃっていました…」


 私の言葉に答える事をためらうように彼の視線が動く。彼の頬が少し赤い。


「あれは実は、私がキミに見てもらったのは婚約者ではなく、キミとの相性を見てもらったんだ。キミは婚約者の顔を思い浮かべながらカードを引けと言うから、私はカードを引く時はちゃんとキミの顔を見ながら選んでいたでしょう?」


「そういえば…」


 一年前の彼はカードを選ぶ時に顔を正面に向けていた。仮面を被っていたから彼の視線がどこにあるのかは分からなかったが、彼はあの時私を見つめていた?


 私は再び自分の顔が赤くなるのを感じて、両手で頬を覆った。


 エドガー様は一度立ち上がってから私の前に片方の膝をつく。


「ジュディ嬢、あなたは私を『恋人』として見てくれるんだよね?今日までキミとは2回しか会った事はなかったけれど、私はキミの言葉に助けてもらえた。キミの言葉にはいつも優しさがあった。少し控えめなところも好ましく思うし、私は自己主張の強い女性は苦手なんだ。だから、私は貴女を結婚相手に選びたい」


 エドガー様が近い距離でじっと私の顔を見つめる。彼の表情は真摯で決して言葉遊びではない事が分かった。


「………一年前にエドガー様が帰られた後、私は貴方と婚約者様の幸せを願いました。そして貴方のような方に思われている婚約者様を羨ましいとも思いました」


 エドガー様はベンチに座る私に手を伸ばして髪をひと房取ると、私の髪をそっと自分の唇に当てる。


「あの時私が思い浮かべたのは将来の婚約者で、それは貴女のことだよ」


 上目づかいで見つめられた私はもう限界で、自分の中に芽生えたばかりの恋心を自覚せざるをえなかった。


「はい……。このお話、お受けさせていただきたいと思います」


「私の事を受け入れてくれてありがとう。貴女に振られたら立ち直る自信がなかったから良かった」


 心からホッとしたという様子でエドガー様は息をついた。彼は私よりも六歳も年上でずっと大人だと思っていたのだけど、きっと年上だからと私の前で頑張ってくれたであろう彼の気持ちが嬉しかった。


 こうして私とエドガー様の婚約は無事に結ばれ、私は学園を卒業してすぐにエドガー様の元へ嫁いだ。


 社交界の立ち位置的に私たちが目立つような事はないけれど、ラーキンズ伯爵といえば穏やかで仲が良い夫婦と思われるくらいになっていた。


 そして私と同じ時期に結婚をしたデイヴィッド様とベリンダ様は学生時代とは違い仲の悪い夫婦として有名になっていた。夜会で顔を見ることはあっても彼ら二人が一緒にいる姿は入場くらいでしか見ることはなかった。


 私の占いに出ていた『別離』を彼らが選択していたら違った未来があったのかもしれない。あの時私がカードの結果を正直に彼らに伝えたところで、彼らは私の言葉を聞いてくれなかっただろうし、あの時点でエドガー様はベリンダ様との婚約破棄を決めていたから結果は同じかもしれない。


 けれども、もしかしたら彼らだってもっと違う誰かと出会って新しい未来を切り開けたかもしれない。


 私は彼らに嘘をついた事をもう後悔はしてない。占いがあってもなくても彼らが気付くチャンスはいくらでもあったのに、彼らはそれを選ばなかったのだから。








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うわぁ。とっても素敵なお話でした.。.:*♡ 主人公の心理描写が秀逸で、物語に惹き込まれました。 ストーリーも面白かったです。お見事です! 占い。私もみてもらおうかな(笑) とっても面白かったです。…
こんなの、本当に嘘をつく他にないじゃないか・・・ まぁ「相性は良い」ではなく「お二人はお似合いです」ならギリ嘘ではないとか思ったりした さて、やはり男の生き様としてデイヴィッドはそのシーンで連れ合い…
まとまって、読みやすくて、ストーリーも面白かったです。楽しめました、ありがとうございました♪
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