2章 12話 “強くあれ”
「久しぶりだね、ライカちゃん」
アリアがレオスに対し、ライカと言いなおす。
「うっ……なんで、アリアさんがここにいるんですか……」
ライカと呼ばれたレオスは、眉をひそめながら返事をする。明らかに嫌そうな顔をする。
このレオスは本当にあのレオスか?
口調やら雰囲気やら、何もかも一致しない。それに、ライカ……その名はレオスが名乗っていた名の一つだ。どういうわけか、アリスもレオスのことをライカと呼んでいる。
「そんなこと言われても……ずっといたじゃないですか」
「そうでしたか?」
「ありゃりゃ……嫌われちゃった」
「自分が何をしたか、その薄っぺらい胸に手を当てて思い返してみろ。おてんば娘」
相変わらず、オレの口が勝手に動きしゃべり続ける。
少なくとも言えることは、今のオレに出来ることは何もない。それだけだ。
そうじゃなくても、今のオレは吐きそうなくらい気持ち悪くて、それを無理矢理、我慢するので精一杯だ。
「薄っぺらいとか失礼なっ!! あんなもの、ただの飾りじゃないか」
アリアたちが何やら口喧嘩をしている……
「はいはい、負け惜しみは余所でやれ。それより大丈夫そうか?」
「眠い……身体……重い……」
今、オレの身体で喋っているのはレオスのはずだ。しかし、今視界にいる眠たそうに返事をしているのもレオスだ。
訳が分からん……面倒だから、眠そうに返事をしている元のレオスをライカってことにしよう。ほかの連中もそう呼んでるしな……
「そんなもんぶら下げてたら、そりゃ重ぇだろうよ……」
「仕方ないじゃん。これ外れないし……」
ライカが手首についた手枷を持ち上げながら、指をさす。ジャラジャラと鎖の擦れる音がする。
その真っ黒な手枷が何で出来ているのかわからないが、見たところ金属であることは間違いない。きっとその手枷につながっている鎖も同じ金属でできているんだろう。
そんなものつけてれば、確かにクソ重いだろよ……
「無視するなぁぁぁ!!」
「アリアさん……あたし寝起きなんですから、近くで叫ばないでください……」
ほんと、そうだよ……こちとら気持ち悪くて吐きそうなんだ。
身体は動かないのに、五感はちゃんと残っている。
言葉にするのは簡単だが、想像以上に気持ち悪い。急に意識の外から声をかけられたら、誰しも驚いてしまう。その感覚が延々と、止まることなく、ずっと続いている。
身体は動かすことができないから、疲労というのもおかしいのかもしれないが、この数分だけでどっとつかれた。
「あっ、ゴメン…………じゃなくて!! ボクを無視するなって話だよ!!」
「ふぁぁあっ……んっ、そうだ。レオス君、ちょっとしゃがんで」
「んっ……あぁ」
相も変わらず、二人はアリアの言葉を無視して、二人だけで話を続ける。
レオスはライカの言葉の意図をくみ取ったのか、その言葉に従ってしゃがんだ。しゃがんだオレの視界が、ライカと同じくらいの高さになる。
「えっと……ユート君って言ったかな。あたしの声が聞こえていると思って話しかけています」
オレの近くに歩いてきたライカが、オレの頬に触れる。
頬に手が触れたことで、耳元にライカの手首についた鎖が近づき、不意に触れられたこともあって少し驚いてしまう。
しかし、その音以上にオレを驚かしたのは、その手だ。オレに触れたライカの手は想像以上に冷たくて、冷え性というには冷たすぎた。本当に血が通ってる人間か疑いたくなる。
そういえば、さっき額にナイフが刺さっても血が流れなかった。それを踏まえて考えると、本当に血が流れてないのかもしれない。
もしかすると、今までレオスはその固有魔術を死体の女の子に対して使って動いていた……とか考えはしたが、それなら目の前にいるライカという少女の説明がつかない。
「あたしはライカと言います。詳しい自己紹介は後でするとして……お兄さん。大変な時に申し訳ないんですが、これだけは聞いてください」
そんなことを考えてると、ライカは優しく微笑んで、オレに話しかける。その言葉はとても丁寧で、レオスと話している時とは全く違う……見知らぬ人には、敬語を使うタイプの人間。
むしろこれが普通な気もする。マリアみたいに知らない人間に対してきつく当たれる人間の方が珍しいよな。
「今、お兄さんの身体にはレオス君が入っているのはご存じだと思います。これはレオス君の固有魔術“憑依魔術”によるものです。元々あたしの身体に入っていたレオス君の魂が、今はお兄さんの身体の中にいるという状況です」
依然として吐きそうで、気持ち悪くて仕方ないが、少しずつ慣れてきた。
ライカのいうレオスの固有魔術“憑依魔術”。効果は、読んで字の如くだろう。
つまりレオスという人間は、元々別に存在していて、魂をライカという少女にいれていたということだろう。
これで、二つの名前、声質と一致しない口調、こんな子供が闇ギルドのリーダーということ、そのすべてに納得がいく。
もともと存在していたレオスは、闇ギルドのリーダーで、男。それがどういった経緯で、ライカという少女の中に入っているのかは知らない。知らないし、興味もない。
そんなことよりも、ライカという女の子の中から出たのなら、元の身体に戻ればいいのに、なんでオレの身体なんだよって文句を言いたい。
「今は緊急事態です。今の状況の説明はこれくらいにして、ここからが大事なお話です、お兄さん」
先程までの状況説明ですら、十分すぎるほどに大事な話であったと思うが、それ以上に大事な話とは何だろうか。
オレの目に映るライカの表情が、一気に真剣さを出しているので、冗談でこんなことを言ってないのはわかる。
「今はまだ大丈夫だと思いますが、今後お兄さんの魂がどうなるかは誰にもわかりません。最悪の場合、お兄さんの魂が壊れて、お兄さんが廃人になることもありえます」
真剣な面持ちでレオスが告げた言葉は、オレの想像よりも数倍も重要な話だった。よりによって、オレの生死にかかわる話だとは思わなかった。
声にあげて理由を問いただしたいが、どれだけ必死になろうとも、オレの口は動かない。オレの中に入っているレオスは口を動かそうとしない。
「普段からレオス君の魂が入っているあたしの身体は少し特殊で、そんなあたしが言えることではないのかもしれませんが、ひとつアドバイスを」
そんなオレの気持ちは誰にも届かず、オレは悲鳴すら上げることが出来ない。
オレはこれからも生きたい。生きると決めた。オレは病院で死を待つだけの病人じゃない。
生死の話をされて、その真意を問いただすことも、あがくことも出来ない。それは……そんなことほどむごいことはない。
「お兄さんは、今、苦痛で気が狂いそうになっているかもしれません。もしかしたら、少しずつ慣れて始めている頃かも知れません。しかし、何の拍子にその慣れが崩れるかわからない。これから先、それに耐えられるなんてあたしが言えることではありません」
あぁ、そうだ。気持ち悪さ、吐き気……現実世界のそれは時間が解決するものだ。無意識にそう思えるからこそ、気が狂うなんてことはない。
しかし、今の状況はどうだ。今思えば、今日初めて会ったレオスという人物をオレはどこまで信用していいのだろうか。もし、レオスがそのままオレの身体に居座り続けたとしたら、どうなってしまうのか。
そうなった時、オレはオレでいれるのか。マリアに言われて考えた時よりも、はるかに現実味を帯びてオレの存在がなくなるのを感じた。
自分の存在がなくなる……それは、すなわち死と言っても過言じゃあるまい。
あの日、あの時、アリアに救われて、アリアみたいにカッコよくあろうとした。アリアを信じて、オレは強くなれた気がした。
その結果はどうだ……結局何もできなかった。誰かを救ったわけでも、何かを成したわけでもない。この世界に転移してきた意味すら見つけることすら出来ずに、誰かじゃない、自らの死に直面している。
身近に死を感じることで、オレが、オレの心が、こんなにも簡単に揺らぐものだと思わなかった。
こんなに弱いと思わなかった。
「耐え切れなくなって、いつ負の感情がお兄さんの心を、魂を、壊してしまうかなんて、あたしにはわかりません。人間なんて、心が壊れてしまえば脆いものです。絶望、憎悪、狂気……そんなもので心は簡単に壊れます。今のお兄さんにとって、それは文字通り死ぬってことです」
そんなオレの感情を目の前のライカが読み取れるわけもなく、それどころかオレの中にいるレオスですら読み取ることが出来ていないはずだ。
姿勢を崩すこともなく、表情を変えることもなく、ただ淡々とライカの告げる現実を聞き入れる。現実を突きつけられる。今まさにその言葉で、死に体のオレの心は……
「ですので、死なないために心を強く持ってください。心の強い人は、どんな時、場所でも強く生きながらえることが出来ます」
折れそうで、壊れてしまいそうで、今にでも見えるもの、聞こえるものすべてを心が拒絶する。しかし、いくら拒絶しようとも、ライカの言葉はどんどんオレの心へと浸み込んでくる。
オレの心が拒絶しているのに、だ。
目をふさぎたくとも、耳をふさぎたくても、レオスがそれを許さない。これ以上しゃべるなと言いたくとも、レオスがそれを言わせてくれない。
レオスは目の前のライカの言葉を黙って受け入れる。それはレオスにとってなんの意味があるのだろうか。意味がないのであれば、オレの意思を読み取って、この場から離れるくらいしてくれてもいいだろ。
「とはいえ、こんな言葉一つで、急に強くなったりしません。こんな言葉一つで、状況が良くなるかどうかなんてわかりません」
今のオレの世界は、冷たく……暗い、光の届かない……まるで深海のような、そんな世界だ。
自分の死に直面したことで、自分の弱さを自覚した。自分が何もできないことを自覚した。
オレが弱いせいで……オレが何もできないせいで……
そう自分を責めても、誰も何も言わない。ただ、そこに流れ込むライカの言葉という異物だけが、オレの心の中を揺らし、乱す。
これ以上、オレの心の中を荒らして何になる。そう思って拒絶したくても、オレの中にいるレオスが拒絶することを許さない。
いくらオレがどう思おうとも、ライカの言葉は止まることなく、オレの心へと浸み込んでくる。
「ですが……ですが、こんな言葉一つでも救われる命はあるんです。こんな言葉一つで救われた心があるんです」
そんな中、ずっとオレの心の中に浸み込んできた異物であるはずのライカの言葉が光り輝いたように感じた。
オレは、その輝きに手を伸ばす。それが何かわからない。触れられるものかもわからない。わからないが……この冷たく、暗いオレの心の中で光ったそれは……
「お兄さんに強くなれとは言いません。そんなもの、こんな言葉一つでどうにかなることではありませんから。ですから、あたしはお兄さんにこう言います」
「強くあれ、と」
「今は弱くてもいい」
あぁ……
「それでも今の自分が強いと、今の自分が最高に強いんだと……」
まただ……
「……そう思えるほどに強くあってください」
その言葉に触れた瞬間、異物であったはずのライカの言葉が、オレの心の中を光で照らす。今までの感覚が嘘のように、オレの心は温かく……明るくなった。
アリアに生きろと言われたあの日、あの時……その情景がフラッシュバックする。
そうだ、オレはあの時、死ぬのはやめる……生きると決めた。そう勝手に約束したはずだ。誓いを立てたはずだ。
それが、こうも簡単に揺らいだのは、オレが弱いからだ。力の話じゃない、技術の話じゃない。心の話だ。
力で負けている、技術で負けている。そんなの当り前だ。
戦う必要のない世界で生きていた。必要のない技術だったのだから、それが必要な世界の人間と比べて弱いのは当たり前だ。
しかし、それを理由に弱さを許容していたんじゃないだろうか。心のどこかで、仕方ないと思っていたんじゃないだろうか。それこそが、心の弱さにつながったんじゃないだろうか。
心が弱いから……オレはあの時の約束を、誓いを破りそうになった。
「その意志こそ……強くあろうとするその意志こそが、人間を強くする力だと、あたしは思っています」
レオスの中でオレを見ていたライカは、そのあたりを見抜いていたんだろう。もしくは実体験かもしれない。だからこそ、あの言葉をオレにかけた。
今は弱くても、強くあれと。弱さを認めて、強くなれと。強くなるために強くあれと、そう言ったんだろう。
こんな小さな女の子に、また泣かされそうになる。
アリアみたいにカッコよく生きようと決めたはずなのに、あの時みたいにこんな小さな女の子の前で泣きそうになる。
「強い者が負ける道理なんてこの世には存在しません。それは、強くあろうとする者も同様にです」
それでも、ライカは言葉を続ける。一度オレの心に浸み込んだライカの言葉は、すんなりと心に入っていく。折れそうで、壊れそうで、倒れそうになっていたオレの心を支えてくれている。
「いえ……ある意味では、強い者よりも強くあろうとする者の方が強いのかもしれません。どちらも負けないのであれば、より前へ進もうとする者の方が強いに決まってますから」
それだけじゃない。あの時のアリアの言葉、顔、そして……あの時の決意、約束、誓い。それらがオレの中にあることが再認識できた。
それがわかっただけで、オレは強くなれる……いや、強くあれる気がした。
「あたしはあたしの戦いに勝ってみせます。ですから……お兄さんはお兄さんの戦いに勝ってください」
オレになぜそこまで……とか無粋なことは聞かない。
どんな理由があろうとも、どんな思惑があろうとも、その言葉はパズルの最後のピースのように、カチッとオレの心にはまったんだ。
ライカのその言葉は、オレの心を奮い立たせるには十分だった。
オレの瞳に映るライカは、最後ににこっと微笑み、頬に触れていた手が離れていく。
一瞬見えた微笑みが、再び真剣なまなざしへと変わる。
「さて、と……そろそろ行くよ、レオス君」
ジャラジャラと鎖どうしが擦れる音が今までこんなに心地よく聞こえたことがあっただろうか。女の子の声と一緒に聞こえる音がこんな音でよかったと、そう思う日が来ると誰が予想できただろうか。
その音が、その声が、こんなにも安心させるものだと誰が思おうか。
「あぁ……とっとと、この戦い……終わらせるぞ!!」
レオス……いや、オレとライカが一緒に並び立つ。
隣に立つ小さくて薄汚い女の子は、その辺の大人とは比べ物にならないくらい頼もしく見えた。
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