長距離移動、そして観測者
「よく眠れたか、2人とも」
翌朝6時、影浦は居間横の台所で朝食を作りながら居間に入ってきた志野蔵と東雲に尋ねた。
「ええ。それより、何か手伝えることはありますか?」
「いや、ゆっくりしくれて構わない。2人の自宅になったのだから」
影浦は手早く料理を済ませ、食卓に着いた。食卓と言っても屋敷が和の造りであるため、テーブルなどではなく正座をして腹の高さになる食卓机のようなものだ。
「立派な屋敷ですね。影浦様はここに御一人で住まわれていたのですか?」
東雲が訪ねた。
「ああ。曾祖父の別荘だったのだがな、小さい頃に家族を亡くしてここに住み着いた」
「それは、・・・不快なことをお訊きして申し訳ありません」
「構わない。自分もあまり覚えてないことだからな。それよりも、今日は少し遠出をする。食事を終えたら少し休息をとって玄関の外にいるように」
嘘だ。実際は物凄く鮮明に覚えている。
影浦は既に食事を終えていた。
「早っ」
志野蔵が驚く。
「いつの間に食べたんですか、師匠?」
影浦は志野蔵の問いには答えず自分の皿を洗い、
「食べ終わった食器は別に洗わなくて構わない。流しに置いとくだけでいい」
と言って、居間を出た。居間に残された志野蔵はしばらく唖然としていたが東雲も食べ終わったのを察知して急いで頬張った。
志野蔵と東雲が外に出ると、玄関先に影浦が黒く塗装された長方形の木箱を背負って待っていた。高さが頭部から膝裏上まで、幅が影浦の肩幅より長く、なかなかに大きな箱だ。影浦の肩幅は極めて広い訳ではないがそれでも並の人間よりはある。影浦の向いている方に目をやると屋敷の門から走り去る人影があった。
「影浦様、今去られたのはどなたです?」
「ん?早かったな。あれは・・・まぁ、そのうち会える。」
影浦は振り向き、曖昧な答えをした。
「さて、少し遠出をするぞ。岩木山まで行く」
「因みに何で移動するのですか?」
影浦の屋敷のある安達太良山は元福島県内、岩木山は元青森県内。直線距離で240㎞以上ある。普通なら車や電車で移動する距離だ。しかし、屋敷に車は見当たらない。1番近くの鉄道の駅までもとても近いとは言えない距離だ。そこに疑問を持った東雲が尋ねたわけだ。
「当然自分の脚だ。少し遠く時間がかかる故、走っていく」
「少しどころじゃなく遠いいと思うんですけどっ⁉奥羽山脈を縦断するってことですよ?しかも走ってですか?俺たちの体力は無限じゃありませんっ」
「安心しろ、水も食料も持っていく。そのぐらいの休息は当然与える」
「肉体的疲労の回復が追いつきません」
「梅干しも筒に詰め込んである」
そう言って影浦は竹筒を2本出し、中身を見せた。中にははちきれんばかりの赤々とした梅干しが詰め込まれていた。
「疲れることなど承知の上だ。逃げねば命が危ういと言う時に疲れたからと言い座り込むのか?それでは本当に死ぬ。最期の最期まで諦めずに走れば助かるかもしれないだろ?」
例えが大げさだが実際に正論である。例えば大きな災害が起きたが起きた時、足が折れていたとしても出せる限りの全力で助かる場所を目指すはずだ。
「志野蔵三陽、諦めてはいかがです?これも訓練なのでしょう。ならやるべきです」
走ることを決めた東雲だが、
「いや、これは訓練じゃない。ただ2人も関係する用があって出掛けるだけだ。とりあえずついてきなさい。あと、一応教えると、2人は軍を辞職したことになっている。軍位呼びはやめて良いぞ?」
言い終えると影浦は家の戸に鍵をかけ、門に向かった。
「日帰りをする気はないからそこは安心していい」
「まだましってことか」
志野蔵も観念し、2人は影浦の後を追い、門を出た。
「1つ言い忘れた。2人とも自分の刀は持っているか?持っていないのなら取って来なさい。必要になるだろう」
影浦は玄関の鍵を志野蔵に渡そうとした。
「あぁ、それなら問題ないです。常に持っていますから」
「ん?そうには見えないが」
2人の服装は昨日の軍服とは違い、ラフで動きやすそうな福なのだが、2人とも刀を持っている様には見えなかった。懐にしまえるほど小さくはない。
「いえいえ、しっかり持っています。いや、身に着けています。」
そう言って、東雲は紙をポニーテールに留めていた髪飾り、シュシュを解き手に取った。同じように志野蔵も自分の右腕に巻いていた布を取った。
「これが僕らの刀です」
志野蔵はそう言うがとても普通の人には理解できない事だ。
「粒子変換技術か?」
「いえ、そんなたいそうなものではありません。密度形状変換です。分子同士の感覚を変えて表面から内部までを柔軟にし、形を変えただけです」
さらっと教えてしまって良いものかどうかは措いておくとして、東雲が話している内にも2人の手にあるものの形が少しずつ変化していき、話し終えるとほぼ同時に刀に変わっていた。
「成る程。取り敢えず常備しているのならそれで良い。時間が惜しい故そろそろ行くが大丈夫か?」
影浦はそれ以上に踏み思うとせずに2人に訊いた。
「因みに片道どのくらい掛かるんですか?」
志野蔵は恐る恐る尋ねた。
「どんなに早くても2日以上と言っておこう」
それを聞くと志野蔵の顔から血の気が引いた。東雲も少し顔が引き攣った。
「日が暮れるまでに進めるところまで進む。時間も惜しい故、そろそろ行くぞ」
そう言って影浦は山上の方に走り出した。2人は渋々影浦に続いた。
「影浦様の背負われている木箱には何が入っているのですか?」
走り出して間もなく東雲が尋ねた。
「あぁ、これには俺の刀が入っている」
そうは言うが刀1本を入れるには大きすぎると言うレベルではない。
「それ以外に何も入れておられないのですか?」
「そうだ。俺の刀は2人のみたいに変形して小さくなったりしないからな」
振り返ることなく、飛ぶように走りながら影浦は答える。しかし、2人にはまだ、理解できない回答だ。
「師匠、刀1本のためだけにそんなに大きな箱を使ってるんですか?」
「いや、1本だけではない。6本の刀と2本の槍が入っている」
影浦はさらっと言うがこれは2人にとって普通ではないこと故、2人は耳を疑った。
「影浦様、今何とおっしゃいました?」
東雲が今一度訊いた。
「6本の刀2本の槍だ。これらが俺の今の得物だ」
喋りながらも山の中を、木々の間を縫うようにして走っていく影浦と弟子2人。弟子2人は走り慣れない山道に少しばかり足をもたつかせながらも必死に影浦に着いて行く。
「何でそんなにいっぱい持つんですか?」
更に志野蔵が訊くが、
「何故だと思う?」
質問で返される。しかも答えを当ててみろと。
「答え合わせは夜にする。それまでに考えておくといい。少し険しい道になるから喋らない方が良いぞ」
そう言い終えると影浦は足を速めた。
「ほう、北へ向かいましたか」
荒廃した街の中央の広場で紳士風の男が複数の部下に囲まれて一人の男を相手にそう返した。
「明確な行き先まで知ることができればよかったのですが、まぁ、良いでしょう。よく戻ってきました、別の斥候に代わって、しばらく休んで構いません」
紳士風の男はそれだけ言うと、広場の崩れた塀に座った。
「貫興様、もう一つ報告があります」
斥候は貫興と呼ばれた紳士風の男に呼びかけた。
「聞きましょう」
「はっ。私が見たところ、中学生ぐらいの少年と少女が昨日、影浦の家に入り、今朝、影浦と共に北へ向かいました」
「中学生くらいの少年少女ですか。中学生ならほっといても問題ないでしょう」
貫興は再び立ち上がり、顎に手を当て、何かを考え出した。
「やはり調べますか?」
「・・・いえ、、気にはなりますがそこまで大した事はないでしょう。それよりも、奴の屋敷の監視を続けなさい。さっき言った通り別の斥候に引き継いで構いませんから」
「御意」
斥候は広場を後にした。
「やはり、まったく気にしない訳には。しかし、放っておくと決めましたからね・・・」
貫興は薄気味悪く微笑んだ。
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人物名
貫興