003.脱出
銀貨一枚は、ヴィクトルが初めてみたお金だった。
概念的にはお金のことについては知っている。
「たしか……銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚、金貨10枚で白金貨1枚、白金貨10枚で赤金貨……とかだったっけ」
数少ない知識を総動員させて頭を捻らせるヴィクトル。
銅貨1枚といえば、ヴィクトルの10日分の食費とも言えるだろう。
ヴィクトルは軽い足取りで臨時収入をみすぼらしいズボンのポケットに入れた。
――いいか、逃げることは許さん。そのまま逃げ出しでもしたら、地の果てまで追ってやる。
ふと、村長の言葉を思い出した。
レアなスキルを手に入れたとはいえ、村長の元へ帰らなければ厳しい追及を受けることは間違いない。
どこかに隠れでもして見つかった時に受ける「お仕置き」の酷さは計り知れないものがある。
銀貨1枚を握りしめたヴィクトルは馬小屋へと戻っていった。
○○○
「ほう。ちゃんと戻ってこれたんだな。犬並みには頭もいいらしい」
「とーちゃん、はやくそいつに仕事させないと俺たち家に帰らんないよ」
「おお、そうだそうだ。おい、ヴィクトル。とっとと今日の分の仕事を片付けろ。遅れた分もきっちりとな。全て終わるまで飯は無いと思え!」
カラカラと笑みを浮かべるのは村長とイヴァン。
村長は見下すような態度で馬小屋に立てかけられていた木の棒を持ち上げた。
反射的に片腕を上げたヴィクトルだったが、その反動で――先ほどの猟師から貰った銅貨がポロリとズボンから転がり落ちる。
「おー、とーちゃん、生意気にもコイツ、銀貨持ってやがるぜ!」
イヴァンが銀貨を拾い上げる。
目の前に転がってきた銀貨を見て馬のライドは鼻先を近付けてクンクンと銀の匂いを嗅いだ。
イヴァンに手渡された銀貨を見つめて、村長は醜く顔をゆがめる。。
「貴様……金を持ったら全て俺に渡せと、そう言ったはずだが……?」
「あ、えっと……違います、ぼくは――」
「口答えするなぁ!」
常日頃から受けている理不尽な暴力に怯えて防御のために手を伸ばした、その時だった。
『――虐待を受け入れずに、避けなさい』
再び聞こえた突然の【天の声】。
状況も分からずにさっと最後の力を振り絞って後ろに逃げた瞬間――。
村長が鈍く地面に叩き付けた木の棒は「ボキリ」と小気味のいい音を立てて真っ二つに折れてしまう。
ひゅるひゅると音を立てて回転した、折れた木の棒はその勢いのままイヴァンの頬を掠っていった。
「いでぇ!?」
破片を頬に受けてかすり傷を受けたイヴァンと、突然折れた木の棒に驚いてその場で暴れ出す雄馬ライド。
イヴァンが体重を馬小屋に預けると同時に、めきめきめきと馬小屋から快音が響き渡っていた。
「……な、な……なにぃぃぃぃぃぃぃ!?」
村長が驚愕の表情になっていく。
イヴァンの方へと倒れていく馬小屋と、いち早く馬房から脱したライド。
村長は必死の形相で固まっているイヴァンを抱き寄せて、倒れる馬小屋から逃げ出していた。
『――今です。ライドに乗って、彼に任せるままに走らせなさい。その先にあなたの運命を大きく変える人物が立っていることでしょう』
再びの【天の声】だった。
咄嗟にライドにまたがって、鬣をぎゅっと握りしめた。
「こ、こら、貴様! 逃げ出すつもりか! 馬まで持ち出しやがって! 今までの恩を何だと思っている!」
「と、とーちゃん……ぐるじい……この藁、重い……」
「んぐぐぐぐ……! って、抜け出せん! おい、戻ってこいクソガキ! おい! ぉぃ……」
ライドが驚きか、自由かでとてつもなく速く村の間を走り抜けていく。
15年間暮らしたトート村はあっという間に小さくなっていた。
「い、一本の木の棒から、こうなったの……?」
そう、最初は小さな1本の木の棒からだった。
そこから、みるみるうちに状況が変わり、今はこうして馬にまたがって今まで一度も出たことが無かったトート村から脱出している。
ヴィクトルの声に対し、【天の声】は何も答えようとはしなかった。
――その先にあなたの運命を大きく変える人物が立っていることでしょう。
「あなたの、運命を……大きく、変える人……?」
不思議に思っていたのも束の間だった。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 色々こないでくださいーーーーーーーーーッ!!」
前方から猛スピードで駆け抜けてくる1人の少女がいた。
その後ろには、明らかに盗賊然とした武骨な男が2、3人。
……の後ろにはどこから紛れ込んできたのか、4頭のイノシシが追いかけ回していた。
それが、【豪運】スキルを持ったヴィクトルと、【不運】スキルを持った1人の少女、ルーシーの――最初の出会いだった。
IN :馬
OUT:銀貨1枚