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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あまいもの

作者: 涼和

 IT関連の会社に勤める瀬戸はプログラマーだ。毎日毎日、決められた構文ばかりを打ち続けるだけの繰り返しの日々が続いている。特にプログラムが好きだったわけではなく、なんとなく今の仕事に就いた。だから、特に好きでもない仕事に忙殺され、自宅は寝るためだけに帰るようなものだ。そして、貴重な休日だって仕事が入ってしまう事も珍しくない。

 不本意ながら心身を仕事に捧げてしまっている瀬戸が貰っている給与は、世間一般からしてみれば随分と高い金額だ。それでもこの仕事を辞めていく同僚はあとを絶たない事が仕事のハードさを物語っている。

 瀬戸だってこの仕事をいつでも辞めたいと思っていたし、暇があれば転職のチャンスを狙っていた。

 ほんの、つい先日までは。

 職場の同僚である北浦が恋人になってからと言うもの、瀬戸は出勤が楽しくて仕方なかった。出勤すれば北浦に会えるからだ。

 北浦は半年程前に中途採用で瀬戸と同じ部署に配属された。同い年であるという理由だけで隣の席になり、間近で見続ける事になった北浦という人間に瀬戸はすぐに惹かれたのだ。

 いつでも明るくて、上から振られるどんな仕事に対しても文句の一つも零さず仕上げていく。その仕事はとても丁寧で、だからと言って必要以上な時間をかけるわけではなく、期日までに確実に仕上げてしまう。端的に言えば仕事が出来るのだ。

 仕事が出来る人間――、瀬戸自身、自分は仕事が出来ないわけではないが、飛び抜けてできる人間ではない平々凡々であるという自覚がある。だから、仕事が出来る人間である北浦を素直に尊敬した。そして、惹かれた。笑うと少し幼くなる北浦の笑顔が、好きになった。

 初めは尊敬できる人間として惹かれたのだと思っていたが、どうやらそれは恋愛感情らしいと言う事に気付いた瀬戸は戸惑い、悩んだ。それから紆余曲折あり――二人は恋人同士になった。

 仕事が辛いと思う時もあるけれど、北浦の顔を見れば一瞬で吹き飛んでしまう。北浦さえ居ればただそれだけで瀬戸は幸せになれるのだ。

 一番大事で大切な北浦が、今瀬戸の目の前にいた。時刻は二十時を少し回ったところで、ここは瀬戸が一人暮らしをする家だ。1LDKの間取りは一人暮らしをしていくうえで暮らしやすい。普段の生活空間と寝室を分けられる事が大きな理由だろうか。

 その家に今は北浦が来ている。

 付き合い始めておよそ一ヶ月。男同士、しかも会社の同僚でと言う事もあって、人目が気になってしまう。それに互いの忙しさも相まって二人でどこか特別な場所でデートをした事はない。

 プライベートで会う時は専ら瀬戸の家ばかりだった。会社からほど近く、駅もそう離れていない事が理由だろう。北浦の家は学生の頃からひとり暮らしを続けているアパートで、会社からは電車で数十分の距離なのだ。

 その北浦は今、瀬戸の家で大きな生クリームのホールケーキを食べていた。ケーキにはたくさんの果物が鮮やかにトッピングされていて、真ん中にはチョコレートのプレートが鎮座している。

 会社の帰り道、瀬戸の家に来る事になっていた北浦は近隣のケーキ店でバースデーケーキを購入してきていた。ただし、今日は誰かの誕生日でも記念日でもないし、そのホールケーキを食べる頭数に瀬戸は入れられていない。あくまで北浦のおやつとしてのケーキだ。

「北浦ってさ……本当、甘いもの好きだよな」

 目の前でホールケーキを切りもせず、端からフォークでガツガツと食べていく様はお世辞にも行儀が良いとは言えない。しかしそれよりも、甘いものがあまり得意ではない瀬戸からして見れば、見ているだけで胸焼けがこみ上げてくるような光景なのだ。仄かなストライプの入ったダークグレーのスーツでホールケーキを貪り食うその姿はある種異様だった。

「そうー?普通だと思うけど」

 声をかけられた北浦はケーキを口に運ぶ手はとめず、ちらりと瀬戸の方を窺いながら小首を傾げた。

「いや、普通はホールケーキまるごとは食わないだろ」

 部屋に充満する生クリームの香りに若干の苛立ちを覚えながら、大きくため息を吐く。

 北浦が甘いものを好むと言う事は付き合う前から知っていた。配属当時から机の引き出しに大量のチョコ菓子を用意し、小腹が空けばそれを事あるごとに摘むのだ。それでいて体型は決して悪くない。余分な贅肉はどこにもついていないし、どちらかと言えば細いくらいだ。どこか悪いのではないかと心配になる事もあるが、つい先日にあった健康診断の結果は至って良好だった。

「んー……みんなはどうか知らないけど、俺とか、俺の家族は普通に食うよ。おやつに一人一個ホールケーキ置いておくためだけに冷蔵庫を大きいのに買い替えたくらい」

 視線を移し、ケーキを口に詰め込みながらどうでもない事のように言われる話に、瀬戸は一瞬の目眩を覚えた。

「瀬戸は甘いもの嫌いなんだっけ?」

 そんな瀬戸の様子を意に介する風もなく、北浦は口を開く。

「いや……嫌いって言うか、甘いのは嫌いじゃないんだけど、どっちかって言うと塩辛い方とかの方が好きな感じかな……」

 甘いものはあまり好きではないけれど、それを甘いものが好きな瀬戸にそのまま伝えるのは気が引けて言葉尻を濁した。

「へー珍しい人間もいるもんだな」

「誰もがお前みたいな甘党だと思うな」

 唇の端にクリームをつけて他人事のように言う北浦に瀬戸はすかさずツッコミをいれる。

「でもさ、瀬戸だって誕生日とかクリスマスとかには食うんだろ?」

 ホールケーキはあっと言う間に瀬戸の胃へと運ばれていき、残りはもう僅かだ。

「いや……チキンとか寿司とかは食うけど、ここ数年ケーキは食ってないな」

 北浦からの問いに、腕を組んで過去の記憶を手繰り寄せながら言葉を紡ぐ。

 ここ数年、社会人になって実家を出てから自らの意思でケーキを食べた事はない。

 瀬戸にとって”用意されれば食べる”といった程度の食べ物なのだ。

「え!?」

 けれど、北浦は目を見開いた驚きの表情を作った。その反応は瀬戸には予想できていたものだったが、それでも苦笑を漏らしてしまう。

「え、じゃあ海の日とか春分の日は?」

「その日にケーキを食う習慣はどこにもないだろ」

 マジか……、と独りごちながら北浦はケーキの最後の一口を口に運んで、肩を落とした。

「……みんな、何を楽しみに生きてるんだろうな」

「少なくともお前みたいに甘いものだけが楽しみで生きてる人間は少数派だと思うぞ……全く、どんだけ甘いもん食いたいんだよ」

 やや大げさにため息を吐きながら、綺麗に空っぽになったホールケーキの器を見る。クリームもスポンジのかけらも残っておらず、唯一あるものと言えばトッピングに使われていたサクランボの茎くらいだ。

「北浦、唇のとこクリームついてる」

 先程からついていたクリームに、どうやら北浦は気付いていないようだった。瀬戸が自身の唇を指し示しながら言うと、北浦は「え?」と舌を出して唇を舐める。しかし、自分では見えないのだから仕方がないとは言え、まるで見当違いの場所を舐めるのだ。

「こっち向いて」

 そう言って瀬戸は北浦の肩に手をかけ、顔を近づけた。近づけてほんのりと香る髪の香りを通り過ぎ、唇の端についた生クリームをぺろりと舐めとる。

「あっま……」

 砂糖がたっぷりと使われたそれは驚く程の甘さで、その甘さに舌を痺れさせながら表情が見える程度に顔を話すと、北浦は頬を真っ赤に染めて固まっていた。

「……なんか、ずるい」

 子供のように頬を膨らませ不貞腐れた表情で言うのに、その瞳は瀬戸の視線から逃れるように下方を彷徨う。

「……どっちがだよ」

 そんな北浦の照れ隠しは瀬戸にとってしてみればとてつもなく可愛く感じられるものなのだ。

 ずっとずっと、北浦が好きだった。北浦を想って眠れない夜も過ごした。その北浦と今こうして一緒に居られて、自分しか知らないような表情を見る事ができる。

 幸せすぎて現実感がない。幸せすぎて、不安になってしまうくらいに――幸せだった。

 二人はどちらからともなく顔を寄せ、唇を重ねる。

「ん……」

 ほんのりと甘い北浦の吐息が漏れ、欲情を刺激した。

 何度も何度も柔らかい唇を堪能し、やがて歯列をこじ開けて口内へと舌を侵入させる。

「せ……と……」

 舌を絡めると、互いの唾液が交じり合う濡れた音が響く。

 触れ合う粘膜の淫靡さに北浦が身を捩り、その身体を逃さない、と瀬戸は腕を回して強く抱きしめた。瀬戸に力強く抱きしめられた北浦の背は弓なりにしなり、その身を瀬戸に預ける。

 悩ましげな吐息と濡れた音だけが全てで、北浦の口内を貪るように犯した。

 そして、そんな甘い一時に満足したのか、瀬戸はようやく北浦を解放した。北浦の瞳はじんわりと潤み、体内に宿る欲情を訴えている。

「北浦の口の中、甘いのな」

 茶化すように言うと、北浦は少しだけ困ったような恥ずかしがっているかのような表情を作ったあと、はにかんで言った。

「甘いもの、好きだからな……瀬戸の事も、ケーキと同じくらい好きだけどさ」

 鼓動が早鐘を打つ。

 やっぱりこれは現実ではないのではないかと思いかけて――口腔に残る北浦の感触を思い出した。

 目の前にいる北浦は本物で、今のこの状況は現実なのだと、思い出す。

「俺も……北浦の事が好きだ。一番、何よりも大切で――」

 言うかどうか迷って、言う。

「――愛してる」

 言った瞬間は羞恥で脳が焼け切れてしまいそうな程だったけれど、すぐに視界へ飛び込んできた北浦の満面の笑みが愛おしくて――この先もずっとその笑顔を大事にしていきたいと、愛していきたいと、そう心に誓った。


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