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新釈 天岩戸

作者: 有沢翔治

新釈 天岩戸




 目が痒くて寝付けない。僕は何とか目を開けてスマホを見ると、夜中の一時だった。明日の講義って午後からだよな、と考えながら目を掻いていたが、一向に収まらない。

 菓子でも食べながらゲームでもしようと思ってたんだけど。しかも大好きなゲーム声優、つくよみ月詠が主演するって聞いてたのに! せめて彼女のサイト「つくよみのみこと月読命」にアクセスして、月が歌っているかのような声で癒やされよう。

 待てよ。顔を洗えば少しは収まるかも。僕は忍び足で階段を下りて、洗面所のドアを開ける。明日、眼科に寄ってから大学へ行こう、と考えながら。

 鏡を改めて見ると、案の定、目は真っ赤である。今夜一晩どう乗り切ろうか。そう考えながら蛇口をひねると、目がますます痒くなってきた。雑菌が入ると解りつつも目をこすってしまう。

 すると女の子が目から這い出てきた。しかも制服姿の。ぽっちゃりとしているが、丸顔で愛嬌がある。名札を見ると、天野と書かれていた。

 どうして? 質問は星の数だけあったが、洗面所なんかで話してたら家族が起きかねない。「何を夜中まで騒いでるんだ? バカ!」などと親父が怒鳴り込んでくるのだ。まぁこれは日常茶飯事だから慣れてる。けど、「その子はどうしたんだ!」と詰め寄られたら答えられない。そのうち未成年者略取だと大騒ぎして警察を呼ぶだろう。

 僕は声を潜めて天野さんに言った。

「とりあえず僕の部屋においで」

 彼女は頷くと、そっと階段を上がっていった。僕が部屋に戻ると、天野さんは部屋を見回している。男の部屋がそんなに珍しいんだろうか? と思っていると菓子を見つけて駆け寄った。

 そして天野さんは袋を開けながら、僕を見て尋ねる。

「ねぇ食べてもいい?」

 あのさぁ、もう袋を開けちゃったでしょ? 最初から食べる気だったよね? という言葉が喉の奥まで出かかる。しかし今、詰め寄ったら大声を出してしまいかねない。

 好きにしろ、と僕はそっぽを向いて吐き捨てた。

「このお礼は必ずするから」

 彼女はそう言ったが申し訳程度にしか聞こえない。はいはい、と僕が適当にあしらうと、彼女は頬を膨らませる。

「あ、信じてないでしょ。私の力」

「ああ、全くな」

 それを聞いて、しばらく天野さんは頬を膨らませていた。やがて彼女はこう僕に聞いたのである。

「ね? 目の痒みは治ってるでしょ」

 あ、言われてみれば天野さんが現れてから僕のアレルギー症状は出てない。治してくれたのかと一瞬思ったものの、頭を振った。そんなわけない!

 ふと彼女を見ると本棚に駆け寄っている。そしてひえだ稗田あれ阿礼のマンガをパラパラと繰り始めた。やがて寝転がると菓子を頬張って、やっぱり陰影が甘かっただの言っていた。いるんだよなぁ、こういう評論家気取りのヤツ。

 だったら自分で描けば? と言おうとした途端、今度は鼻がムズムズしてくる。僕は必死で堪えていたが、盛大なクシャミをしてしまった。

 すると今度は男性が鼻の穴から飛び出してきたのである。しかも全身に刺青を彫っていた。しばらく男は辺りを見回していたが、天野さんを見つけると歩み寄る。

 正義感、虚栄心、そして自己保身が入り交じる。様子を窺っていると、刺青の男は手を上げる。突然の再会に戸惑っているのか、声がぎこちない。

「お、おう、姉貴。……久しぶりだな」

「はやお駿こそ」

 天野さんは立ち上がると、駿へ言った。あれ? 二人は姉弟だったんだ。少しだけ安心。

 心の嵐とともに鼻の嵐もいつの間にか収まっていた。


 僕は床で寝るからと天野さんにベッドを譲った。天野さんからは紳士だと言われたが、そうではない。駿に殴られたくなかったのである。

 翌日。眼科の待合室で二人のおばさんが雑談をしていた。

「ちょっと聞いてよ、奥さん。昨日、この辺りの公園でリンチがあったんだって」

「知ってる知ってる。怖いわぁ」

 そういえば今朝のニュース番組でも言ってたっけ。その後も冷夏だの台風だのと話している。でもリンチも異常気象も僕にはどうでもいい。ああ、毎日、床に寝る羽目になったらどうしよう。

 眼科で名前を呼ばれる間、僕はそのことを考えていた。程なくして順番が呼ばれると、診察室へと通される。眼鏡を掛けた若い先生が尋ねた。

「今日はどうしたの?」

 目から女の子が出てきたんです、とは言えるはずもない。言ったら精神科を紹介されるだろう。間違いなく。

「昨日から目が痒くて」

「今は痒くないの?」

「はい」僕がそう頷くと、先生は黙って僕の左目を覗いた。そして、看護婦に綿棒を持ってくるよう指示する。

「目の中に何か入ってるな。取り出すから下を見てて」

 言われるがままに下を向くと、先生は僕の上瞼をつまんだ。そして綿棒で優しく左目を撫でると、女子高生が這い出してきたのである。天野さんとは違い、痩せている。顔色が悪く、欠伸を噛み殺しているようにも見えた。名札には月田と書かれている。

「よく寝たぁ」そう言う月田さんの声が聞こえたらしく、患者たちは待合室で囁き合っている。しかし先生は至って落ち着き払って、月田さんに言った。

「何だ君か。また他人の目に入ってたの?」

 はにかんだように月田さんは笑って言った。

「ええ。二人は昨日、出られたみたいですけど、私だけが取り残されてしまって」

「よくある、んですか?」

 僕は怖ず怖ずと先生に口を挟んだ。先生はしっかりと頷いて言ったのだった。

「時々あるよ」

 いや、絶対にありえないから! 僕は先生の話を聞いて、心の中で叫んだ。しかし先生の口振りでは聞き入れてもらえそうにない。僕は溜息をついて尋ねた。

「それで、この子はどうすればいいんです?」

 先生はしばらく考えていたが、やがて答えた。

「とりあえず連れて帰ってよ」

「はい? 犬猫じゃあるまいし!」

 僕は思わず聞き返した。先生は月田さんの顔をチラッと見たが、僕に向き直って言った。

「まぁ妖精みたいなもんさ。ときどき人間の目や鼻や耳の中に入るんだよ」

「妖精なんかいるんですか」

「妖精じゃなきゃ目に入れないよ。現に目の中から出てきたんだから」

「……そりゃまぁそうですけど……」

 そう言われると確かに困ってしまう。何か納得が行かないが、妖精がいないとは言い切れないのである。

「まぁこの子たちだって悪気があるわけじゃない。たまたま肌に合わなかっただけさ」

「は、はぁ……」

 僕は狐につままれた気持ちで座っていると、先生は次の患者を呼んだ。僕は溜息をつくと立ち上がる。お大事になさってください、と看護婦から声を掛けられた。僕はぎこちなく笑って礼を言うと、月田さんと一緒に眼科を出た。

 すぐ交差点に差し掛かる。僕は月田さんに尋ねた。

「僕はこれから大学へ行くけど帰れる? 大丈夫?」

「大丈夫です。駿くんに迎えに来てもらいますから」

 そういや、先生は妖精だって言ってたっけ。テレパシーでも使えるのか? 羽が生えて飛び立つのか? 僕はそんな期待に胸を膨らませながら、完全に興味本位で月田さんを眺める。

 彼女はスマホを取り出すと、慣れた手付きでいじり始めた。僕のものより少し大きい。なんだ、面白くない。僕は少しがっかりして呟く。

「スマホ、なんだ……。ってかそれ最新モデル!?」

 月田さんはきょとんとした顔つきになって答えた。

「ええ、そうですけど……」

「並んだんじゃない?」

「先頭の人の目にこっそり隠れてました」

 月田さんは悪びれずに続けた。

「みんなに溶け込まなきゃいけないから、色々大変なんですよ。いつまでもポケベル持ってたら怪しまれますし、下手に超能力なんか使った日には動画撮られてYOUTUBEに載せられますし。イヤになりますよ。このIT社会」

 話しているうちに、バイクの音が聞こえてきた。駿が来たようだ。ヤクザと話してた、という近所に噂が広がると厄介である。保身に少し自己嫌悪。

 僕は月田さんに別れを告げると、そそくさと駅に向かったのだった。あの三人が家族に見つかりませんように! そう祈りながら……。


 ところが大学から帰ると修羅場が待っていた。リビングで天野さんが鬼のような形相で駿を睨み付けているのである。手には包丁。本当に勘弁してくれ。

 駿は手で天野さんを押し留めている。

「だから姉貴、それは誤解……」

「うるさい! この家の人には指一本触れさせないから」

 完璧に頭に血が上っているようで、月田さんはおろおろしている。僕を見つけると、すがるように僕を見た。ごめん、期待してるようだけど僕じゃ力不足。だってほら、下手に止めに入って刺されるかもしれない。痛いのは注射だけでいいし。

 そんなことを考えながらリビングから月田さんをそっと連れ出すと、ドアを閉めた。

「どうしたの?」僕が聞くと、月田さんは囁いた。

「公園でリンチ事件があったって知ってます?」

 僕が頷く姿を見て、月田さんが続けた。

「あのリンチ事件は駿くんの仕業じゃないか。そう天野さんは思い込んでるらしくて……」

「だから俺は関係ないって言ってるだろ!?」

「黙らっしゃい! あんたがやったってことは解ってるんだからね!」

 そう叫ぶと、天野さんは包丁を振りかざした。駿に斬りかかろうとしているところを見て、思わず僕は目をつむる。

 しかし一瞬早く駿は身を翻した。そしてベランダのドアを開けると、風の早さでバイクに跨った。嵐のような音が夜道に響き渡っている……。

 駿が立ち去ると、天野さんは僕の部屋に駆け込んでしまった。弟がリンチ事件を引き起こしたと思ってるんだから無理もない。月田さんがノックして呼びかけた。

「天野さん、開けて」

 しかし天野さんはうんともすんとも答えない。少し気が引けるが強引に、ってあれ? 鍵が掛かってる? 二人で彼女の名前を呼んでいると、母さんが帰ってきたらしい。

「まずい」僕は月田さんと顔を見合わせてそう言った。彼女は肩を竦めると、僕の目に飛び込んだ。目の中に入れても痛くないというけど、正にその通りである。その代わりものすごく痒い! でも掻いたら月田さんが出てきてしまうかもしれない。

「掻いちゃダメだ掻いちゃダメだ掻いちゃダメだ」

 僕はブツブツ呟きながら、廊下を歩き回っていた。部屋の中からは菓子の袋を開ける音、そして缶チューハイを開ける音が聞こえてくる。

 そういえば最初に出てきたときも菓子とか食べてたっけ。しかも勝手に。まずいと思って僕は月田さんに囁く。目の前に彼女はいないので、左目をそっとこすりながら。

「月田さん、どうすればいい? このままだと部屋にキープしてあるもの、全部なくなっちゃう」

 駿くんを探しましょ、という月田さんの声が頭の中でこだました。階段を駆け下りると、靴を急いで履く。

 そんな僕を見て、母さんが顔をしかめた。

「どこ行くの? もうすぐご飯なのに」

「ごめん。外で食べる!」

 全くもう、と母さんは悪態をついている。しかし僕は聞こえない振りをした。


「もう出ていいよ」

 僕は電柱に隠れると月田さんに囁くと、彼女は目から這い出る。女子高生と二人きりで夜道を歩いてるんだ。ハタから見れば羨ましいだろう。

 しかし今はそれどころじゃない。早く天野さんを僕の部屋から引っぱり出さなければ……。そうだ、コンビニでチョコレートや酒を買ってドアの外でどんちゃん騒ぎするってのは? 天野さんだって顔を覗かせるかもしれない。

 いや、部屋には食糧があるんだ。今さらエサで釣ろうとしてもムダに決まってる。月田さんは駿を連れ帰って説得させる気なんだろう。でも耳を貸さなかったら?

 僕は不安を拭おうと、月田さんに話しかけた。

「そういえば聞きたいんだけど、月田さんと駿くんってどういう関係なの?」

 月田さんはそれを聞いて恥ずかしそうに笑った。

「幼馴染、かな。産まれた時からずっと側にいたんです」

 少女マンガみたいだ。そう思ったが、僕は黙って聞いていた。

「昔はね、天野さんって駿くんを庇ってたんですよ。刺青彫っても。それがある日を境に姉弟仲が悪くなっちゃって。あんなに仲が良かったのに、どうして……?」

 多分、堤防の決壊と同じ。ある日、閾値を超えた途端に我慢の限界を超えてしまうのだ。そしてそれは親しければ親しいほど起こりやすい。家族だからこそ。しかし上手く言葉にできず、もどかしい。

 しばらく僕は考えていたが、やがて首を振って言った。

「……ごめん、どう言ったらいいのか」

 月田さんは寂しそうに笑うと、首を振る。

「ううん、私こそごめんなさい。こんな話しちゃって」

 重たい沈黙が流れる。その空気を振り払おうと、僕は月田さんに話しかけた。

「駿くんの居場所に心当たりはあるの?」

「まずは公園から。リンチのあった現場に案内して」

「えっ……」僕はそう言うと思わず後ずさった。犯人がまだ捕まっていないのに? 物陰に隠れて、虎視眈々と誰かの財布を狙っているに違いない。

 僕は足を止めて月田さんに言った。

「こ、公園は明日でいいんじゃないかな」

「怖いの?」

「い、いや、そ、そんな訳じゃないけど、暗いと見つけにくいかなーって思ってるんだ。……月田さんこそメールとか送ってないの?」

 彼女は首を振った。そして肩を竦めると答える。

「送ったけど返信なし。既読って書いてあるからちゃんと読んではいるんだろうけど」

「そう、か」

 暗がりで見る月田さんの顔はどことなく影があった。何だろう。放っておけない。僕は知らず知らずのうちにこう言っていた。

「公園行こう」

 そして言い終わった後、僕は内心で頭を抱えた。何言ってるんだ、と。駿はいないかもしれないのに。むしろ「バイクに乗った、刺青の男を見かけませんでしたか」と聞き回るか……それはそれで誤解を招くけど、ともかく行き当たりばったりに公園に行くよりはもっと上手い探し方があるはず。いや、本当は単に怖いだけなんだけど、そんなこと女の子には言えない。男の見栄ってヤツ。

 でも見栄を張るのもそんなに悪くない。笑んで頷く月田さんを見て、そう思い直した。そして公園まで歩いたのである。

 夜空を見上げた。今夜は月が美しい。


 月明かりに照らされてバイクが見える。もしかして駿のバイクだろうか。ベンチでは公園の灯りに照らされて、人影が蠢いている。

 月田さんはベンチまで駆けて行った。危ない、と声を掛けようとしたが、彼女は妖精だと思い直した。いざとなれば、相手の目に入ればいいのである。それで痒みを起こせるかどうかは、相性らしいので何とも言えないが。

 しばらく遠巻きに眺めていたが、何も起こらない。僕は安心して公園の柵をくぐる。決して女の子を人柱にしたわけじゃない。そもそも人ではないから人柱とは言えない。

 屁理屈だけはよく思い付いて、我ながら感心してしまう。心の中でそう自嘲しながら僕は駿に声を掛けた。

「ここにいたのか。姉ちゃん心配してたぞ」

「ウソだ。どうせアニメを見てるか、ゲームでもしてるさ! 俺が不良になったと思い込んでるんだろ」

 図星。さすが姉の性格をよくご存知で。僕の口から思わず乾いた笑いが漏れそうになる。しかし月田さんに睨まれた。そんなことはない、と言っておく。

 待てよ? 僕の名義を使って、ネットショップで大量に買い物をされたらどうしよう。しかも親には見せられないような本を。その考えが思い浮かんで、戦慄する。

 月子さんが駿に尋ねた。

「ねぇ、天野さんが好きなマンガ家って誰?」

「えっ? 稗田阿礼だけど? 姉貴の部屋に全巻揃ってたし、最新刊が出る前には手に入れてたみたいだし。そんなこと聞いてどうするんだよ」

 駿はうるさそうに聞き返したが、月田さんはこう言ったのである。

「私に考えがあるの」


「ただいま」僕はそう言うと玄関のドアを開けた。かなり遅かったにも関わらず、ポーチの灯りはまだ点いていて、心が痛む。

 母さんは僕を出迎えると、顔をしかめただけだった。目の痒みとくしゃみは止まらない。それを見て、母さんは心配そうに尋ねる。

「花粉症、ひどいみたいね。大丈夫?」

「まぁね、こないだ薬もらってきたよ」

 僕はそう言うと、そそくさと二階に上がった。上手く行ったみたいね、と頭の中で月田さんの声が響いた。で、作戦って何なんだよと駿が聞いた。

「頼むから話すのはどちらかだけにしてくれないか」

 なんだよ、キャパシティの小さいヤツ、と頭の中で駿が笑う。放っとけ。

「どうせキャパシティも男の器も小さいですよ」

 喧嘩は後にしてちょうだい! 月田さんに叱られ、僕たちは悄然となる。注意された。しかも高校生に。しばらく沈黙が続いた。……解ったよ、俺が黙ればいいんだろ、はいはい、邪魔者は引っ込んでますよ、と拗ねたように駿が言う声がする。ごめんね、とそれを聞いて月田さんは言った。いや、月田さんは悪くない。

「……で? どうするんですか?」

 僕は月田さんに囁くと、彼女は僕にスマホを見るように指示した。僕は訝しみながらも、それに従う。今から言う言葉を復唱して、と月田さんは言った。

「え!? 稗田阿礼の最新刊が発売されるの?」

 好きなマンガ家の最新刊が発売される。そう聞けば、ドアを開けるかもしれないってわけか……。しかしドアは一向に開く気配がない。挙句の果てに親父には「いつまで起きてるんだ、バカタレ」と怒られてしまった。

 これで上手くいくと思ったんだけどなぁ、なんかごめんね、と月田さんの申し訳なさそうな声が響く。頭を掻いているらしい。ポリポリという音まで鮮やかに聞こえてくる。

 で、どうするんだよ、と駿の声がする。月田さんはそうねぇ、と考え込んでいたが、やがてもう寝ましょ、と言ったのだった。寝ましょって、そんな軽々しく。僕は天野さんに部屋を締め出されてるんだけど……。やがて二人の寝息が聞こえてくる。僕は肩を竦め、客間へと向かった。


「昨日は晴れって言ってたのになぁ」

 翌朝、リビングで僕はそう呟くと外をぼんやりと眺めた。もともと僕は天気予報なんか当てにしていないんだけど、傘を持って出かけなきゃいけない。面倒。

 誰もいないので、駿も月田さんも外に出ていた。月田さんは大人しく読書をしていたが、駿はおろおろと歩き回っては呟いている。

「今日の天気は姉貴のせいだよきっとそうだよ」

 月田さんがうるさそうに目を上げる。僕がうんざりしながら理由を尋ねると、駿は神妙な声で答える。

「姉貴が引き篭もると太陽が出ないんだよ。六月頃に雨が多いだろ? 姉貴が引きこもって同人マンガを読みふけってるせいなんだよ」

 駿は一気にまくし立てると、嘆息を漏らした。

「ふうん、でもどうやって会場まで?」

「参加者の目に入るんだ。……って信じないだろ?」

 彼は苦笑交じりにこう尋ねる。当たり前だ。天野さんが太陽を操るなんて突飛な話を信じろというのか。駿たちが目や鼻から出てきたという話でさえ信じられないのに。

 僕がスマホをゲームをしていると、玄関のチャイムが鳴った。インターホンを取ると、大手通販サイトらしい。あれ? 最近なんか頼んだっけ? 母さんはそんなことできないし……。親父かな?

 駿はどこに身を隠そうかとあたふたし始めたが、月田さんは冷静である。僕の友達を装えばいいと彼女が言うと、駿は頷いた。僕はパーカーを駿に渡すと、彼は首を傾げた。

「せめてこれ着てて。ヤクザだと思われるから」

 僕がそう言うと仏頂面で駿は羽織る。それを確かめ、玄関まで行った。

「ありがとうございました」僕は宅配業者を見送ると、宛名を見る。僕の名前……? 荷物の重さからすると、本、か? まさか……。僕は駿たちと顔を見合わせる。

「と、ともかく開けてみようぜ」

 駿に急かされ、僕はカッターを居間から持ってきた。開けようとすると、月田さんが口を挟む。

「待って。二階で開けましょ」

 僕は荷物を抱えて、二階へ上がる。そして僕の部屋の前で、言った。

「あるぇ? 本が届いてるぞ?」

 まずい、芝居がかりすぎたか。僕の心配を他所に月田さんは言った。

「ともかく開けてみましょ」

 とても素人とは思えない。声色まで変えている。ってあれ? この声どこかで……。もしかして月詠!? ウソ?

 僕は月詠を拝めて興奮しながら、カッターで箱を開ける。そこには、大量の同人マンガが入っていたのである。しかも全てポルノマンガ。

「姉貴……」

 駿は姉を憐れむような目をしていた。部屋のドアが少し開いて、天野さんが顔を出した。駿が月田さんと頷き合う。駿は僕の部屋へ素早く飛び込んだ。天野さんがドアを閉めようとするが、月田さんがドアの隙間に足を突っ込んだ。

「ほら姉貴、外に出ろ」

 駿が天野さんを押し出すと、太陽が雲の隙間から顔を覗かせた。こうして再び僕の部屋に平穏が訪れたのだった。


 僕の部屋で三人はくつろいでいた。部屋の隅には段ボールが積まれていて、マンガが入っている。

「それにしてもまさか月田さんが月詠だったとは……ってIT社会をむしろ謳歌してない?」

 僕は部屋で「月詠命」を見ながら月田さんへ尋ねた。

「それはそれ」月田さんは済ましてそう答える。人間離れした声だって思ってたら、本当に人間じゃなかった!

 僕たちの会話を聞いて天野さんが口を挟んだ。

「あら私だって作品くらい書いてるわよ」

「姉貴はどうせ稗田阿礼のパロディだろ」

 駿は呆れたように言った。おいおい、その辺にしておけって。今度は弓矢で追い掛け回されるぞ。

「その稗田阿礼なんだけどね、実は私なの。家に全巻揃ってたのは作者なんだから当たり前でしょ」

「じゃあ、俺が見たのは出版社から送られてくる見本?」

 作者本人なんだから偽情報に踊らされるわけがなかったわけだ。駿は隅を一瞥して、言った。

「で、でもパロディ本だって毎年買ってたじゃないか」

「私は毎回読者にどう読まれるか、毎回楽しみにしてるの。例えばキャラクターがどう解釈されるか、とかね。中には物語論とか鹿爪らしい考察もあるけど、嗤ってる。そしてその繰り返しが新しい物語を生むの。今、私たちが読んでる話だって元を辿れば神話に行き着くわけだし」

「そういうもんかねぇ……」

 駿はまだ納得していないようである。しかし月田さんはしきりに頷いていた。天野さんはうっとりと付け加える。

「それに私好みの同人マンガだってあるんだから」

 月田さんはそれを聞いて、身を乗り出す。彼女が目を輝かせて何か言おうとしていたが、駿は仏頂面で遮った。

「で? 俺の誤解は解けたのかよ」

「うん、ごめんね。早とちりだった。実は同人マンガでページ番号が一つずれてて、パニックになってたんだよね。そんな時、リンチのニュースをネットで見かけてつい、カッとなって……」

 要するに八つ当たりじゃねぇか、と僕は乾いた笑いを漏らした。見ると駿が天野さんをすごい顔で睨んでいる。まずい。僕は話題を変えようと月田さんに目を向けた。

「そういえば天野さんは太陽を操れるって言ってたけど、月田さんは何か操れるんです?」

「そうですねぇ、彼女は太陽なんですけど。私は月ですし、駿くんは風なんですよ。って言っても解らない、か」

 僕のきょとんとする顔を見て悟ったらしく、駿に言った。

「駿くん、見せてあげて」

 駿が頷くと、突風が部屋の中に巻き起こった。マンガが飛ばされて、天野さんが悲鳴を上げている。そして風の中から駿の声がした。

「こういうことさ」

「辞めなさい! そよ風にしたらいいじゃないの!」

 天野さんが怒っている。もっともだけど、マンガが飛ばないように押さえながら言われても。

「もしかして夏が暑いのって……」

 八月には同人マンガの即売会が毎年開かれるのだ。

「毎年楽しみにしてるの」

 天野さんは頷いてそう言った。それを聞いて駿は頭を抱えている。うん、気持ちは痛いほどよく解る。

 月田さんだって同人ボイスドラマじゃ有名声優だ、と考えてハタと思い出した。月田さんと見た月は美しかったっけ。あれも彼女が月だとすれば納得が行くような気がする。駿の素早さは人間業ではないが、風だとすれば……。

 僕が一人頷いていると、月田さんのスマホが鳴った。彼女は画面を見て、つまらなそうな顔つきになる。

「三人とも仕事しろだって。サボってるのがバレちゃったみたい」

 月田さんは溜息をついて肩を竦めると続けた。

「そりゃこれだけ異常気象って騒がれてちゃね」

「え? 目の中に入るの?」

 また猛烈な痒みと戦わなくちゃいけないのか、と思ったが、月田さんが首を振って言った。

「本来の姿に戻るの。私は月に、天野さんは太陽に」

 そして部屋が閃光に包まれた。しばらくして光が消えると、三人はいなくなっている。部屋は静まり返っていた。

 信じられずに僕は「月読命」にアクセスしてみると、簡潔な一文が記されている。「申し訳ありませんが、仕事が立て込んでいます。しばらく更新できません」と。

 隅を見るとマンガが箱ごと消えている。感傷に浸っていると、後ろで何かが落ちた。振り向くと、薄い本が転がっている。手に取ると稗田阿礼のセルフパロディ。

「……天野さん……」

 僕はそう言うと、天を仰いだ。そして首を振って心の中で呟いた。やっぱり天野さんの趣味にはついていけないよ!「刺青男が八匹の蛇たちと」ってあんた……、これはどう見ても駿じゃないか。しかも性描写が実に生々しい。実の弟をモデルに、こんなポルノマンガを書いてるって解ったら、そりゃ素行も悪くなるだろ!



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― 新着の感想 ―
[一言] 天野さん……と言いたくなるような天野さんの特殊性が出ていたと思います。そりゃあ、弟をモデルにしてりゃあ、そうなるさなぁ。
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