スノウ
流がどこかにいった。
このよくわからない建物の片隅で目が覚めてから、いつも傍らにいてくれた友達が、霧の様に消えていた。まるで同じ世界にいないかのようだ。
「流……」
私は言葉が苦手だ。だから流に大事な事とか、思ったことを伝えられない。
本当は、逃げて行った猫二匹も、近くにいたことを知っていた。けど、言葉にするのを忘れていた。
そう、私は何かを忘れている。何かと言っても、きっとたくさん、そして大切な事を忘れているのだろうと、私は自覚している。
「にゃあ」
そんなとき、膝の上で寝ていたミケが欠伸をすると、膝から降りてすたすたと歩いて行ってしまった。
「待っ、て」
流は前の猫二匹がいなくなった時、とても思いつめた顔をしていた。だったら、ミケがいなくなったら? きっと、とても苦しませちゃう。
ヨタヨタとミケを追いかける中、建物にいる人たちは騒々しかった。いろんな言葉が耳に入ってくるけど、流の声は聞こえないので無視した。
「ミケ、動かないでね」
そういってミケが止まっているうちに近づくたび、ミケは少しずつ離れていく。まるで、どこかに誘っているようだと、心の何かが告げていた。
「外、出ちゃった」
ミケを追いかけているうちに、可笑しな建物の外に出て、灰色の結晶が降りしきる道端に出た。
……違う、結晶じゃなくて……たしかこれは……
「久しぶりだね、ケセド」
ぱっと振り返ってみても誰もいない。
いたのは、石垣に飛び乗ったミケだけだった。……ミケが、喋った?
「ミ、ケ……なの?」
なんだろう、そこにいるのがミケだけれどミケじゃない……とても大きな存在に見える。
「確かに僕はミケだよ。そして違うともいえる……そういえば君には記憶が無かったね」
本当にミケが喋っている! でもなんだろう、この言い知れぬ不安感は。
「僕は、そうだな……天使だよ。君より少し強いほどのね」
天使という言葉に、胸が貫かれるような衝撃を感じる。なんでだろう、今のミケは"怖い"。喋っているからとかではなく、何かとてつもなく大きな物を隠し持っているような……。
「私も……天使……でも、あなたは……」
違う気がした。だけど次の瞬間、ミケの体から光が放たれて、視界を奪われた。
「君は難しい事は考えなくていい。"運命"は君にそこまで求めてはいないよ」
まぶしい! それに、頭の中がぐるぐる回って、立っていられなくなる。
「まぁ、最低限の仕事は果たしてもらいたいからね。記憶を少し戻してあげるよ」
そういうと、光は激しさを増し、ミケの声はどこかに消えていった。
「流……」
意識が持たない……私は、その場にゆっくりと倒れた。
やがて、日の光すら届かない灰色の町の真ん中で、私は目覚めた。
「私は……」
スノウ? 天使? うん、天使。それに私の名前はスノウ……だった気がする。
「私はスノウ。人々を神様から助けに来た天使……」
今ならはっきりと分かる。私はそういう役割を持って、この地に降りたのだと。そして、神様に雷で撃ち落とされ、流と出会い、ついさっき、ミケの様な何かに出合って……
『彼を救え』
「え?」
どこからかミケの声が聞こえたかと思うと、五感が鋭くなって、"更にもう一つの感覚"が生まれてくるのを感じる。
そして、感じるままに後ろを振り向くと遥か前方に、大きな建物が並んでいる場所があり、たくさんの"死ねない命"がある。そしてその中に、二つの"正常な命"が……ぶつかり合っている?
「この感覚……流!」
流が、命を燃やしているのが不思議と分かる。頭の中にはミケの"救え"という声が響いている。
「そうだ、救わなきゃ……天使として、神様が与えた罰に、慈悲を与えなきゃ!」
体がとても軽い。私は、飛ぶような速さで『中野サンプラザ』と書かれた建物を目指した。