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序 始まりの旅 捌

 その日、三人の少女は城の郊外で別離をした。

「やっぱり一緒に行かない? 美野里みのりちゃん」

 大きな布飾りを蝶々結びにした帽子を被った金髪の少女が問いかける。

 しかし、美野里と呼ばれた少女は首を振る。

「僕は行かない。二人には悪いけど、大切な母さんが居てるから」

 空色の髪を揺らしながら、少女は少し寂しげに答える。

「仕方ないよ、美野里ちゃんがそう決めたんだから」

 先が長く鍔が大きく広がった珍しい帽子を被った少女が窘める。

 三人は同じ学舎で学んだ学友である。知識を蓄え、臨機応変に対応する能力を切磋琢磨しあった仲であった。

 美野里の眼前に居るこの二人は、自分胸辺りまでしかない身長でありかなり小柄であった。しかし、その頭脳はこの中華においても一・二を争う明晰さを持っていた。

 自分では到底敵わない、真の天才とは彼女達である、とも認識している。孫子呉子は勿論、六韜や三略、尉繚子や司馬法など兵法書から韓非子や論語、史記等の政治書を読めば直ぐに理解し己が血肉とし、消化し昇華させる様は傍で観ていても圧巻であった。

 彼女達に追いつき追い越せ、と一時期寝食を忘れ没頭したが、結果は才能の差をまざまざと見せ付けられただけだった。

 そんな二人から、真名を交換しようと言われ、終生の友情を誓い合えたのは望外の出来事であった。自分は偉大な二人から信用され信頼され、そしてそんな二人を信用し信頼している。三人はずっと一緒だと思っていた。

 それは二人も同じである。

 自分達は化け物である、と二人は自身を認識していた。その異端な才能故に同じ学舎でも白眼視され、ずっといたたまれなかった。だが、ただ一人だけ必死に追い掛け追い抜こうとする人物が居た。二人にはそれが嬉しかった。だから追い抜かれまいと、更に必死で学んだ。結果、彼女は自分達に比肩する能力を得た。

彼女は否定する。自分は足元にも及ばない、と。しかし、彼女達の師はそっと二人に漏らした。

「貴女達二人に知識で勝てる人物はほぼ居ないでしょう。そして、それを有効に活用する術も。しかし、応用する能力にのみ貴女達に勝る人物が一人だけ居ます」

 誰かなど聞くまでも無い。その力を、その人物を信じ真名を預けた友である。

 しかし、世界は無常であった。

 直ぐ其処にまで乱世の足音は迫ってきている。二人はこの乱世を正せる人物を助けるべく世に出るという。

 自分も一緒に――

 その言葉は喉元まで出ていた。しかし、それを告げることは出来なかった。

 ただ一人の肉親、母が重い病にかかったのである。孝に篤い彼女には、母親を置いて行くという選択は、最初から存在しない。

 そして今、旅立つ親友を見送りにと城門までやってきた。

「気をつけて、いい主君を見つけられることをこの襄陽から祈ってるよ」

「うん、ありがとう」

 二人と一人はそれぞれ握手をすると一歩後ろへと下がる。

「伏龍たる朱里ちゃんと鳳雛たる雛里ちゃんなら、この世界をきっと治してくれると信じてる」

 そう言うと同時に美野里の目から一筋、涙が頬を伝う。

「きっと、三人で笑える世界を、皆が苦しまない世界を作ってみせるから……」

 そして旅立つ二人も涙を流す。

「諸葛孔明殿、龐士元殿いってらっしゃい!」

「「徐元直殿、行って来ます」」

 互いに拱手を、片や平原へ、片や城内へとその足を向ける。

 その光景を、ただ東の平原より姿を現した朝日のみが見つめていた。



◇◆◇◆◇



 江陵より襄陽まで、徒歩にて約七日の距離である。

 その距離を少年と三人の少女は、特に何事も無く、劇的な出来事も無く、無難に旅をしてきた。

「無聊だ……、どうだ、そろそろ手合わせせぬか? お主も鍛錬せねば強さを維持できまい」

「間に合っていますよ、というか、もう今朝から何度目ですか? いい加減聞き飽きたし、諦めてくださいませんかね」

 白い袖を振り回して迫る少女に、本当に嫌そうな顔で断る少年。

 江陵に襄陽、この地域は洞庭湖と呼ばれる湖の北にあることから湖北と称されている。

 漢水と長江に挟まれた地域であり、戦国春秋時代には楚の都・郢として、この地で遷都を繰り返しつつ栄えた。

 交通物流の観点、そして戦略的観点からも長江中流のこの地域は非常に重要であり、『兵家必争の地』とされている。

 その、『兵家必争の地』と呼ばれる江陵や襄陽を含んだ長江南部までの一帯を荊州と呼ばれ、現在の荊州刺史は徐璆じょきゅうといい、その治世は非常に良かった。

「徐璆さんのお陰で大変治安がいいのですよ、これはとても参考になるのです」

 その分、星ちゃんが退屈するのですがー、と程立が続ける。

「ええ、ここまで治安がいいとは思いませんでした。やった事は単純な筈なのですが、効果はやはり大きかったようですね」

「どの様な事をされたんですか?」

 私はそこまで物騒な美少女ではないぞ!

 暴れたいと叫んでる時点で十分物騒なのですよー、あとあと、何気に美少女だとか言ってるんじゃないですよー。等と騒いでいる二人を華麗に無視をし、少年は戯志才へと問いかける。

「いたって簡単です。不正を働いた外戚及びその配下を告発したのです。大司農府に帳簿その他を全てを届け、弾劾奏上して風紀一新を行ったのです」

 結果、汚職や賄賂など無くなり民は暮らしやすくなりました、と語る。

「なるほど、例えどれほどの権力者の身内でも容赦なく裁いたとあれば、民からは信頼され治安はよくなり、不満が出てきてもある程度我慢する、ですか」

「ええ、ですから各地で叛乱等頻発していますが、この荊州のみは今の所そういった事が起こっていません。善政がひかれているいい証拠です」

 若しくは、公平で不満が少ない政が行われているいい証でしょう。

 そう紡ぐ戯志才の顔は嬉しそうに微笑んでいる。

「まあ、それでも中にはまだ懲りていない人物も居てるようですがね」

 少年は先日の一件を思い浮かべる。しかし、あれに関しては今のところ民に影響を及ぼすことはないであろうと思われた。



◇◆◇◆◇



「これが襄陽ですか……」

 それが少年の第一声。

 活気がある。

 秣稜とは違う、陽の活気だ。

 秣稜は、孫家軍のお陰で治安も良くなり活気があったが、どこか陰気を含んでいた。どこか借り物めいた活気であった。

 しかし、この襄陽の活気はどうだろう。人々が生き生きとしている、と少年は感じた。

「これは、なんという活気でしょうか」

「想像以上なのですよー」

「今まで旅をしてきたが、ここ以上の地はなかったな」

 少年だけではなく、他の少女達も同じ意見のようだ。

「役人が不正をせずまともに働けば下も習う、民も不平不満を言わず笑顔が自然とでるという事ですか」

「笑顔が出ると、活力が溢れ出てくるという事なのですよ」

 少年の発言に程立が続く。

「とても清清しい気分ですね、それに確か此方には水鏡先生が私塾を啓いておられるとか、そちらも訊ねてみたいものです」

 戯志才が嬉しそうに口にする。

「水鏡先生、というと確か司馬徳操という名前であったな」

 趙雲が記憶から掘り起こしながら問いかける。

 姓は司馬、名は、字は徳操といい、号を水鏡という。

 豫州潁川郡出身であり、誰に仕える事も無く隠者として暮らし、その一方で多くの門下生を持つ私塾の先生をしている。

 なお、口癖は「好好」であると言われている。

「どちらにしても、今日は宿を取りゆっくりと旅の疲れを落としましょう。三、四日ゆっくりと見聞しましょう」

「そうですな、久々に美味い酒とメンマにありつきたいものだ」

 お主もたまには良い事をいうではないか、と言い放つと趙雲は早速歩き出す。

 ゆっくり休む事に意義の無い戯志才と程立も、その後を着いて行く。

 そしてその後ろをゆっくりと追いかける少年を、爽やかな風が追い抜いていった。



◇◆◇◆◇



「午睡みを楽しむ市場、なんだかほっとしますね」

 翌日、一行はそれぞれの行動を起こしている。

 少年は独り、漢水より引き入れた運河沿いにある露店市場を見て歩いていた。

 程立と戯志才は水鏡先生の私塾を訪ねる為に早朝より宿を出ており、趙雲に至っては朝から既に姿がを隠していた。

 少年は当ても無く歩を進めるが、いつしか周辺は静かになっていた。

 街の喧騒や、気配というものが遥か遠くに移動したような感覚を覚える。

 そして、一人座る露天商の人物。

 その人物の前には筵のみがあり、売り物は何処にも見受けられない。

「おや珍しい事じゃ、この様な場所・・にお客が来るとはのぉ」

「来たくて来た訳ではないんですが、どうやら誘い込まれたみたいです」

 老婆の発言に、少年は苦笑する。

「ふむ、どの様な経緯があろうとも、此処に来たからにはお客様じゃ」

 そう言い老婆が筵を指差すと、そこにはどうやったのか色々な物が置かれている。

「なんでもよいぞ、好きなものを選びなされ。ただし、一品のみじゃ」

 それだけ言うと老婆は押し黙る。

「品物の説明なんていうものはあるのでしょうか?」

「残念ながら無理じゃのぉ、お主の心の赴くまま買うがよい」

 そう答えると、老婆は質問は受け付けぬとばかりに目を瞑る。

 その態度に少年は一つ溜息を吐くと、徐に正座をし、瞑想を始める。

 風がそよぎ、鳥が囀る。波の音が寄せては退き、魚が飛び跳ね水面を叩く。

 どれ位の時間がたったのであろうか。

 数刻かも知れず、数分であったのかもしれない。

 少年は眼を開く事もせずせず、腕を動かすと一品を選び出す。

「ふむ、それは二本一対じゃ、もう一つ選びなされ」

 但し、正しく一対を見つけられねば実を滅ぼすがのぉ、と同じく眼を開く事無く老婆が続けた。

 それを聞いたにも拘らず、少年は間髪置くことなくもう一本を選び出す。

「お主が選んだのは陰陽剣、陰と陽の理を間違わずに扱えば願いが叶おうぞ」

「……俺の願い、ですか」

「左様、お主が腰に吊っておるソレを此処で振るわれては些か拙い。それの代わりにその二本を振るえば問題は無い筈じゃ」

 老婆の発言に、少年は特段反応しない。

「さて、ご婦人の仰る意味がよく判らないんですが?」

「ふぁふぁふぁ、用心深いのぉ。だが、それで良い」

 老婆は一人、幾度となく頷く。と、同時にその体が薄れていく。

「ご尊名を拝しても?」

「儂の名は、介元則。もう二度と会うこともあるまいがのぉ」

「……、介象元則様ですか。まさか、ここで三国時代において名うての超能力者に出会うとは思いもしませんでした」

 少年の言葉に、老婆はしたり顔で笑う。

「ふぁふぁふぁ、わざといみなを言って挑発するとはな」

 礼に一つ、その剣の銘を伝えておこう――





 気が付けば、辺りに喧騒が戻ってきていた。

 ともすれば、先程の出来事が泡沫の夢、白昼夢であったとしても疑わなかったであろう。

 少年の両手に陰陽剣がなければ、であるが。

 少年は一つ溜息を吐くと、両の腰へと一本ずつ差し込む。

「これはバランスが悪いです、何か工夫をしなければいけませんね」

 さて、どうしましょうか――

 そうひとりごちると少年は、両方の柄を指でなぞる。

 二本一対の陰陽剣、その銘を『干将莫耶』と言った。

 

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