序 始まりの旅 陸
急遽軍容を整えた孫家軍は、急ぎ歩を進めている。
軍旅は順調で、明日には近隣の官軍との会合地点にたどり着けるだろう位置にまで進撃していた。
「丹陽の大将が?」
既に陽は西へと傾き、造営を始めている。
「は! 丹陽からの援軍の将軍が一目お会いしたい、と陣門前までお越しです」
衛兵の報告に孫堅と孫国は顔を見合わさす。
「ほぼ私兵の集団である私達に向こうから会いに来るとは、ね」
お通しせよ、と衛兵を下がらせ男と話す。
「まあ我等も官軍には違いない。相手に分別があれば挨拶くらい来るだろう」
矜持だけが高い無能な人物はそんな事はせんだろうがな、と女に返す孫国。
「自分を大きく見せたいだけの人物か本物の士か、会えばわかるという所?」
二人が話しているうちにその人物が幕舎へと案内されてきた。
「失礼致す」
案内されて入ってきたのは、とても武将とは思えない優男であった。
「某、朱君理と申します。以後お見知りおきを」
「私が孫文台だ」
「孫孟呉だ、よろしく頼む。そうか貴公があの朱君理か」
線がかなり細く感じるが、その目は確固とした意思の強さを感じさせる。
「あの、という枕詞が気になります。悪い噂でなければ良いのですが」
「悪い噂などとんでもない、近隣では賊討伐等でその名を知らぬ者はおるまい」
薄い茶色の髪は短く刈り込まれ、その容姿はとても柔和である。
「噂では丹陽にて長く従事していると聞いたけど、いや随分若いね。うちの娘と同じくらいかな」
「失礼だぞ文台殿。殿が失礼なことを言った」
「いえ、いつも言われますでのお気にしないでください。歳は今年で四十を超します」
年齢を聞いた瞬間、すまなかったと軽く頭を下げていた状態で孫国は固まり、孫堅はあんぐりと口を開けてしまう。その様を見て朱治は声を出さずに人の悪い笑みを浮かべていた。
「母様入るわよ」
丁度その状況下であった。孫策に周瑜、黄蓋が入ってきたのは。
「……、何があったのかしら」
後に、孫家の屋台骨としてその力を遺憾なく発揮する朱治との初会合であった。
◇◆◇◆◇
秣陵は蕪湖港を出港した船は、順調に長江を遡上し二十日後には烏林港へと辿り着いた。
その後三日を掛けて大和達一行は江陵へと至る。
「そしていきなり面倒事といいますか、問題に巻き込まれている訳ですが」
「突然どうしたの? お兄ちゃん」
夜の闇の中、陰に隠れ極力姿を晒さない様にしている少年と少女、というよりも幼女である。
「なんでもないですよ璃々ちゃん」
ついさっき知り合ったばかりの女の子の頭を撫でつつ色々と少年は考える。
出会いはいつだって突然である。
長旅の疲れを癒すために四人は早々と宿を決め床に就いた。しかし、少年は目を覚ますことになった。
既に動くものとてない夜の街を疾走する数個の影。その中の一つにぞんざいに扱われるように抱えられた小さな物体。その気配を、少年の鋭敏な感覚は感じ取っていた。
「ん~ん~!」
そして小さく聞こえる呻き声。
「誘拐、ですか?」
少年はその事態を察すると跳ね起きて窓から身を乗り出す。
かなりの速度で走りさるその影は、昼でも人が少なそうな寂れた一角へと向かっていく。
それを認めた少年は無言のまま窓から躍り出ると、覚られないように一定の距離を保って追走する。追走されているとも知らず一団はそのまま走り、城内の一番端目立たぬ様にひっそりと立つ大きめの倉庫へと走り込んでいく。そして最後尾の人物が辺りを探ってから音を立てぬように扉を閉めた。
一部始終を見ていた少年は一人思案に耽る。
「さて、どう思いますか? 趙子龍殿」
「おや、バレておりましたか」
「俺でも分かるくらいですよ? 趙子龍殿なら何をか言わんか、ですよ」
少年のその言葉に少女がニヤリと笑みを浮かべる。
「かなり私を買ってくれいているようですな」
重畳重畳、と嬉しそうにしていた。
「それで、天下に響くであろう趙子龍殿のお知恵を拝借して事を解決したいのですが?」
「ふむ、勿論正面より堂々と! 言いたいところだが……」
「そうですね、あの小さい子供を人質に取られると手も足も出せません。結果逃げられるか、俺たちがやられるか」
暫し無言のまま、二人の間を時間が流れる。
「仕方ない、出来るか分かりませんが俺が中になんとか潜り込みましょう」
「出来るか?」
少女の問い掛けに頷く少年。
「ええ、一刻待ってください。戻って来なければ侵入に成功したと考えてもらって結構です」
「ならばその後、私が大見得切って突入すれば良いのですな?」
よい見せ場が貰えそうだ、と少女が一人頷く。
「数はどんなに多くても数十人でしょう。大暴れしてください」
手合わせどうこう言わないで済むほどに疲れてください、と少年が言外に語るが少女はそれは別だ、と切り返す。
「いずれしっかりとしてお相手して貰いますぞ」
嬉しそうに言う少女に軽く肩をすくめて少年は返事をするとその場を離れた。
中に入るのはかなり難しいと思われたが、意外と簡単に忍び込む事が出来た。
「拐かしが順調に進んで気が緩んでいる、という所でしょうか」
バカな連中です、とひとりごちつつ進むと隔離された小部屋があった。その小屋の扉には鍵がかけられているが周辺には人影はなくまた気配も付近には感じられない。
少年はその扉の前まで進むと徐に細い何かを取り出し躊躇なく鍵穴へと差し込む。
「こんなこともあろうかと習っておいて正解ですね」
そして、直ぐに低く金属音が辺りに響く。
「なんて脆い鍵だ……」
ツルの部分を引き抜いて鍵を取り外した。そのまま扉をそっと押し、
「む、開かない」
そして少年は扉を引く。
「押してダメなら引いてみろ、の格言は有効ですね」
そんな事を一人宣いつつ一歩中に入った少年の頭上に風を巻いて角材が振り下ろされた。しかしその一撃を少年は見向きもせずに掌で受け止める。そして、そちらにくるりと振り向くとそこには小さな女の子が身長に合わない長さの角材を振るった体制のまま固まっていた。
今にも泣き出しそうな小さな女の子の目を見つつ、少年は自身の唇に人差し指を当てる。
「しー、声を出さないで静かに。俺は君を助けに来たんだ信じてくれるかな?」
小さな女の子から目を離すことなく少年は語りかける。暫しの時間、女の子は少年を見ていたが、やがて全身から力を抜いて小さく頷く。
「よし、いい子ですね。将来は絶対に美人さんになりますよ」
その言葉に女の子は嬉しそうに笑うと、少年を見て首を傾げた。
「でも、お兄ちゃんは誰? 璃々知らないよ」
「璃々ちゃん、ね。俺、お兄ちゃんはね大和って言うんだ。よろしく」
高い位置に居る女の事を視線を合わせたまま少年は少女に語る。璃々がうんと一つ頷くと頭を軽く撫でてあげつつ話を続ける。
「璃々ちゃんはね、誰かに誘拐された。ああ、泣かないで大丈夫。そんな璃々ちゃんを助けるためにお兄ちゃんはここに来たんだ」
少し辛いだろうけど、お兄ちゃんと一緒に頑張ってくれれば必ず助けてあげるから。
女の子は泣きそうになりながら話を聞き、鼻を一つすすってから大きく頷く。
「璃々ちゃんはいい子だね、よしそこは危ないから降りようか」
少年は女の子を抱き上げると地面へと下ろす。大人しく抱き抱えられしたに降りた璃々であったが、少年の手を離そうとはしなかった。
「大丈夫。とっても頼りになる仲間が助けに来てくれるから。それまで一緒にここで隠れていようね」
そう言って少年は女の子を抱き寄せると頭を撫でてあげるのであった。
そして状況は現在に至っていた。
(そろそろ動きがあると思うのですが)
頭を撫でられて気持ちいいのか、また時間も相まって女の子はいつの間にか寝入っている。
その瞬間であった。丁度自分たちが居てる反対方向より突如巨大な物音がしたのは。
その音は明らかに破壊音であった。
「登場が派手すぎませんか、趙子龍さん」
少年の呟きは誰にも聞こえなかった。
「はぁーはっはっはっはっは!」
そして辺りに響き渡る哄笑。
「な、誰だ! てめぇ!」
「誰だと聞かれて名乗るのも烏滸がましいが、名乗るのが情けであろう! ある時は放浪の美人武芸者、またある時はメンマと酒に引き寄せられた可憐な少女、しかしてそ実態は! 戦乱に舞う一羽の蝶その名も『華蝶仮面』!!」
逆光ながら、何故かその少女の目を多い隠すための仮面に艶やかな蝶の模様が描かれているのが見受けられた。
「何をやっているのでしょうか、あの人は……」
少年は一人脱力して動けない。
その間にも少女は愛用の赤い槍を振るい、どんどんと賊を斬り伏せる。
「まあいいでしょう、当初の予定通りこちらは便乗して逃げさせていただきましょう」
少年はこの騒ぎでも目を覚まさない女の子を抱き上げると、そそくさと逃げ出した。
「て、てめぇ! 野郎ども早くそいつをなんとかしろ! 囲め! 囲んでやっちまえ!!」
「はーっはっはっは、その程度でこの華蝶仮面を倒せるものか!」
その後、この大活劇は誘拐犯全員が叩きのめされそのついでとばかりに倉庫が倒壊するまで続いた。
◇◆◇◆◇
「おお、大和殿無事であったか」
大活劇の後少女はしれっとした態度で少年の元へと現れた。
「なんでもとても可憐で蝶の様な美しさを持つ正義の使者が現れたそうですな、いや私も一目見たかった」
「仮面で顔を隠しているのに可憐であるとか美しいであるとかよく判りますね」
少年の粘着性のある視線をいにも介せず少女は一人ご満悦である。
「この場合の正義の使者はそうであると相場が決まっておりますからな」
もう好きにしてください、と少年が心の中で呟いたのと東の空が明るく染まり出すのはちょうど同じくらいであった。
「璃々! 璃々! 何処に居るの!?」
騒ぎが拡大したことにより城塞都市内の兵士達もここへと集まり検分が始まる中、女の子を呼ぶ声が朝の静寂を切り裂いていく。
「あ、お母さんの声だ!」
女の子はその声が聞こえると同時に目を覚ますと、少年から飛び降りて母親の許へと走り出した。
「おかーさん!」
「璃々!」
駆け寄って抱き合う母娘の姿に少年が穏やかに笑みを浮かべる。
「よい光景が見れましたな」
「うん、そうだね」
朝日が城壁を超えて差し始め、母娘をまるで舞台の照明のように照らし出す。そんな光景に少年と少女は魅入るのでった。
序章にていきなりはっちゃけてしまいました。
賛否両論あるかと思いますが許してください。誤字脱字やおかしな点等ありましたらお願いします。