序
まことに巨大な帝国が斜陽の刻を迎えようとしている。
この『漢』と呼ばれる巨人は、国が滅びる典型的な型に嵌りつつあった。
その型とは、賄賂が横行し、権力者が民を締め付け塗炭の苦しみを与え、頂点に立つものが享楽のみを甘受するし淫蕩に耽る。そして、血腥い権力争いに明け暮れる。
この様な状態が十数年も続けば国は疲弊し弱体化するのは当然であろう。過去この様な滅びの推移は枚挙にいとまが無いのである。
今まさに『漢』という巨人は、そのような状況下に陥り内側から食い潰されようとしていた。
この国の興亡の物語は、或いはこの国の人民すべてが主役でありその数の物語があるであろうが、しかし、我々はある三人の英雄を追うことでこの興亡史の軌跡を追う事になるであろう。
三人の内の一人は、姓は曹、名は操、字を孟徳という。
生国は沛国譙県。母は曹嵩、祖父は宦官で大長秋・曹騰である。
若くして機知に富み、その一方で素行には些か治めが悪かった。
「子治世之能臣亂世之奸雄」
しかし、人物鑑定の大家・許劭にその様に評されると、不遜ともとれる笑みを浮かべさもありなんと肯き世に打って出る為の刃を磨き始めるのである。
彼女が自らの勢力を盤石にし、また卓越した能力を見せつけたのが、当時華北最大の勢力を誇り最も天下に近いと目された袁紹軍との戦いであろう。
『官渡大戦』――
後にそう呼称される事になるこの戦いで、兵力差凡そ十倍の袁紹軍を破り勝利に導く作戦を作製し実施した。
もう一人は、姓は孫、名は策、字を伯符という。
生国は呉郡富春県、母は孫堅文台である。
若くして母より家督を譲られると、盟友周瑜と共に江東統一の軍を揚げる。
当時、袁紹と同じく淮南最大の勢力を誇った袁術を寡兵にて打ち破り後に、
『小覇王』
と、呼称されることになった英傑である。
そして、もう一人。
姓は劉、名は備、字は玄徳という。
生国は幽州啄郡啄県と言われ、祖先は中山靖王劉勝とされている。
貧困に喘ぐ民草を救うために義妹関羽・張飛と共に草莽より立ち上がり各地をさすらった。
後に仲間になった天才軍師諸葛孔明の献策の下、蜀の地にて一大勢力を築き、曹操等と争う迄に成長した。
また後に関帝と呼ばれる迄に神格化された関羽や庶民に親しまれた猛将張飛など魅力的な配下が多数彼女を助け、荊州争覇・漢中争奪戦など大きな戦いを多数繰り広げたことにより、後世多数の人々に親しまれる英雄となった。
とまれこの物語は『三国志』とよばれ、三人の英雄を中心に天下三分された国の激動の歴史を綴るものである。が、我々は更に踏み込みこの三国が如何に争い、そして統一されたのかを語りたいと思う。
今まで語らえることのなかった三人の人物、特に統一の立役者と看做されながらその名を殆ど残さなかった一人の少年を中心として……。