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第九話 静かな森の中で

 ――最初に戻ってきたのは、匂いだった。


 青臭い薬草の香り。

 土と葉を潰した、少し苦い匂い。


 次に感じたのは、体の重さ。


 全身が鉛のように重く、

 指一本動かすのにも時間がかかる。


(……生きてる、のか……?)


 ジャンは、ゆっくりと目を開けた。


 視界に入ったのは、岩肌と、

 簡単に組まれた枝の天幕。


 森の中だ。

 だが、外の気配は遠く、

 ここが比較的安全な場所だと分かった。


「……」


 喉が、ひどく渇いている。


 声を出そうとして、やめた。


 すぐ隣に、人の気配があった。


 視線を向ける。


 そこにいたのは、

 赤いベレー帽の少女だった。


 杖を両手で抱え、

 身を小さくして座り込んでいる。


 ……眠っていた。


 浅い呼吸。

 時折、ぴくりと肩が揺れる。


 かなり無理をしたのだろう。

 顔には、疲労がはっきりと残っていた。


 ジャンは、そっと上体を起こす。


「……っ」


 鈍い痛みが走るが、

 耐えられないほどではない。


 そのわずかな物音に、

 少女の肩がびくりと跳ねた。


「……っ、は……?」


 眠たげに目をこすり、

 次の瞬間――


「……あ……」


 視線が、ジャンと合う。


 数秒、固まったあと、

 少女は一気に目を見開いた。


「……冒険者さん……!?」


 思わず立ち上がろうとして、

 ふらりと体が揺れる。


「だ、大丈夫ですか!?

 どこか……痛くないですか!?」


 ジャンは、慌てて手を上げた。


「……あ……い、いえ……

 たぶん……大丈夫、だと……思います……」


 声が掠れていたが、

 これだけで精一杯だった。


 少女は、その言葉を聞いて、

 ほっと息を吐いた。


「……よかった……」


 そのまま、

 へなへなと腰を下ろす。


「目……覚めたんですね……」


 震える声で、

 そう呟いた。


 そして――


「……あの……」


 少し間を置いてから、

 深く、頭を下げた。


「本当に……

 ありがとうございました」


 ジャンは、目を瞬いた。


「……?」


「私……もう……

 あのまま、ダメだと思って……」


 言葉を選ぶように、

 少女は続ける。


「でも……

 冒険者さんが……

 前に立ってくれたから……」


 顔を上げる。


 その目は、少し赤い。


「……命の、恩人です」


 ジャンは、しばらく言葉を探していた。


「……そ、そんな……

 お、大げさです……」


 視線を泳がせながら、

 必死に言葉を選ぶ。


「……ぼ、僕は……

 たまたま……そこに……いただけで……」


「たまたま、じゃないです」


「だって……

 逃げなかったじゃないですか!」


「……っ」


 はっきりとした声だった。

 胸の奥が、きゅっと縮む。


 少女は、姿勢を正す。


「だって……

 あのままだったら……

 私……」


 言葉の続きを、飲み込む。


 ジャンの胸の奥が、ちくりと痛んだ。


「……怖かった、ですよね……」


 自分でも驚くほど、弱々しい声だった。


 少女は、一瞬目を見開いてから、

 ゆっくりと頷く。


「……はい」


「……正直……

 すごく、怖かったです」


 指先が、ぎゅっと杖を掴む。


「足も……

 全然、動かなくなって……」


「……それで……」


 言葉を探しながら、続ける。


「冒険者さんが……

 前に立ってくれて……」


 小さく、息を吸って。


「……生きてる、って……

 思えました」


 ジャンは、何も言えなかった。


 胸の奥で、何かが静かに沈んでいく。


「私……改めてですけど……

 マーシャっていいます。

 治癒師です」


「……あ、あの……」


「……ぼ、僕……

 ジャン、って言います……」


 一拍置いてから、

 慌てて付け足す。


「……あの……

 その……

 本当に……

 たいした者じゃ、ないです……」


 マーシャは、少し驚いた顔をしてから、

 ふっと笑った。


「……ジャンさん」


 その名前を、

 大切そうに口にする。


 短い沈黙が流れる。


 森の音が、

 静かに戻ってきていた。


 ジャンは、自分の手を見つめる。


 ――何もない。


 あの、意味不明なブロックも、

 今は見当たらない。


(……夢、だったのか……?)


 そう思いかけて、

 胸の奥が、静かに否定した。


 あれは、確かに現実だった。


 まだ、何も分からない。

 自分に何が起きたのかも。


 ただ、一つだけ。


(……逃げなかった)


 それだけは、確かだった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

もし面白いと感じたら高評価等押していただからと幸いです。

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