第十話 報告書の中の真実
今回もハワード視点です
冒険者ギルドの扉が開いた瞬間、
空気がわずかに張り詰めた。
血の跡が残る装備。
刃こぼれした武器。
そして――三人だけ。
フルスイングは、無言で受付へ向かった。
先頭に立つハワードが、低い声で告げる。
「……未踏派ダンジョンの調査から戻った」
受付嬢の視線が、一瞬だけ人数を確認する。
「……治癒師の方は?」
ハワードは、ほんの一拍だけ間を置いた。
「……逃げ切れなかった」
ざわめきが、周囲に広がる。
ハワードは、淡々と語り始めた。
「ダンジョンに辿り着いた、その瞬間だ」
言葉を区切り、続ける。
「入口から、アルミラージが複数体、
一斉に溢れ出してきた」
事実の一部だけを、慎重に選ぶ。
「突然の出来事だった。
俺たちは、まずスタンピードかと思った」
ギルド内がざわつく。
スタンピード――
長期間放置されたダンジョンや魔境から、
魔物が制御不能な数で溢れ出す現象。
本来であれば、王都へ救援要請が出され、
最高位の冒険者パーティや騎士団が動くレベルの災害だ。
中級冒険者が単独で対処するものではない。
「俺たちは応戦した」
ハワードは、胸を張るでもなく言った。
「アルミラージは、すべて討伐した」
誰も、その場で確認できる者はいない。
そして――
なぜそこまで追い込まれたのか。
どこまで深入りしたのか。
その部分は、語られない。
「だが、その直後だ」
声が、わずかに低くなる。
「赤い個体が現れた。
明らかに、通常のアルミラージとは別格だった。
……間違いなく、デスミラージだ」
「……デスミラージか」
様子がおかしいと察し、奥で待機していた熟練の冒険者――
ギルドマスターが低く呟く。
「……あれは、危険すぎる」
危険だったのは、確かだ。
「これ以上の戦闘は不可能と判断し、
撤退を選んだ」
正しい判断。
――そう聞こえる。
「しかし、逃走の最中……
新人の治癒師が、遅れた」
言葉を選びながら、続ける。
「救出は……不可能だった」
受付嬢のペンが、止まる。
「……死亡、と?」
「確認はできていない。
だが、生存は極めて困難だ」
“事実の一部”だけを使った言葉だった。
(……これでいい)
ハワードは、内心で繰り返す。
あの状況で、全員を生かそうとすれば、
負傷は避けられない。
下手をすれば、全滅だった。
そう考えれば、
犠牲は“最小限”だ。
(治癒師なんて、また雇えばいい)
新人で、実績もない。
装備も安物。
名前が残る前だった。
(運が悪かったな)
それ以上でも、以下でもない。
エドも、内心では同じことを考えていた。
(まあ……
新米治癒師なんて、消耗品っすからね)
(高い回復薬を買うより安いし、
ダメなら切れる)
シドは、何も言わない。
口に出す必要もない。
それが、フルスイングでの“常識”だった。
誰も、
「ダンジョンの中に入った」とは言わない。
誰も、
「撤退が遅れた理由」を語らない。
語られるのは――
スタンピードの疑い。
避けられなかった犠牲。
ギルドマスターは、腕を組んだ。
「……未踏派で溢れ出す兆候があるなら、
再調査は必須だな」
「急いで、王都への報告も必要だ」
その言葉に、
フルスイングの三人は安堵した。
これ以上、踏み込まれない。
受付嬢が、静かに確認する。
「治癒師マーシャ。
……死亡扱いで、記録します」
ペンが、紙を走る。
《未踏派ダンジョン調査:中断》
《スタンピード疑い》
《治癒師マーシャ:死亡》
誰も、異議を唱えなかった。
ギルドを出た後、
しばらく沈黙が続いた。
エドが、軽く肩をすくめる。
「……生きてたら、奇跡っすね」
ハワードは、答えなかった。
シドも、黙ったままだ。
だが、ハワードの脳裏には、
赤い影が焼き付いて離れなかった。
(……あれは、関わっちゃいけない)
あの赤い個体。
そして――
名前も知らない、
“もう一人”の存在。
関われば、
自分たちの立場が崩れる。
だから、なかったことにする。
ギルドの掲示板には、
すでに新しい紙が貼られていた。
《リーフェルの森・未踏派ダンジョン》
《危険度:再評価中》
《スタンピード疑い》
《治癒師マーシャ:死亡》
その記録は、
あまりにも整然としていて、
あまりにも冷たかった。
彼女が、
まだ生きていることを、
誰も知らないまま――
――その時だった。
「あ、あの……」
場違いなほど遠慮がちな声が、
ギルド内に響いた。
三人が、反射的に振り向く。
そこに立っていたのは、
簡素な装備を身につけた、一人の冒険者だった。
どこか頼りなさそうで、
視線を泳がせながら、受付に近づいてくる。
「い、忙しそうなところ……
す、すみません……」
両手に抱えているのは、
見慣れない魔物の素材。
ゴワゴワした赤い毛。
赤黒く変色した大きなツノ
血を吸ったように光沢を放っている。
「……あの……
ま、魔物の素材なんですけど……
か、買い取って……もらえますか……?」
ギルド内が、
一瞬で静まり返った。
フルスイングの三人は、
同時にそれを見ていた。
――報告書には、存在しない現実を。




