歴史の住人
水中を舞うクラゲたちの色に青が混じる。海底都市に一時の平穏が戻る。だが完全ではない。住人たちはウサギのまま元には戻っていない。
ソラは先程魔法を使ってから倒れてしまった。心配するオトに長老が諭す。
「いきなり強力な魔法を使ったから魔力切れを起こして気絶したんだ。
大丈夫。命には関わらん。しばらく休ませよう。」
オトは安堵と不安の混じった表情でソラを見る。眠る少年を見て思わずオトは泣きそうになる。長老をそして故郷を彼は救ってくれた。その代償に倒れたソラ。感謝と申し訳なさがオトの心を揺らす。
謎の円盤はまだ海底都市の上空に漂っている。完全に危機が去ったわけではない。
神官たちは朝食を準備し配給を開始する。仮眠をとる者も現れる。束の間の休息にはいる。
オトも眠るソラの横で朝食をとる。パンにジャムを塗った手軽なものだ。サクッとしたパンの歯ごたえ。ジャムのフルーティな香りが鼻をぬけ、糖分が疲れた身体を癒す。
暖かい紅茶を口に含むとオトは気がぬけたように息を吐く。神官が今のうちに休んでおけと告げる。オトは横のソラを見て何か言いたげだったが何も言わず頷いた。
長老は円盤が見える位置にある建物の上に陣取り朝食を済ます。威嚇にも似た彼女の視線が円盤を刺す。
円盤はなおも大神殿に大きな影を落とす。都市の端からのぞく長老の視線など感じない無機質な金属のボディ。静かなモーター音をたて海中を揺らす。
長老は気づく。自分たちと離れた都市の端に浮かぶマットがあることに…。そしてその上でストレッチをする二つの影。長老の眉間にシワが寄る。
「なんだ?あの者たちは…。あんな所でなにを…?まさか…あの者たちが鉄のクラゲを⁉」
長老はすぐさま神官たちを数人護衛にして二つの影に近づく。気づかれぬよう建物の影を縫うに泳ぐ。
最も近くの建物の屋上で様子を伺う。男の顔がハッキリと見える。神官の一人がすぐに気付き思わず「あっ」と声をあげる。口をふさぐ神官に長老が「どうした?」と訪ねる。神官の顔は曇ったまま口を開く。
「あの顔…。見たことがあります。いや、長老もご存知のはずですっ。」
神官の語気が強くなる。長老が再び男の顔をのぞくのに合わせて神官が言葉を続ける。
「あれは…。彼の肖像画は授業でなんども見たはずです。
歴史上、最強の魔道師にして世界を恐怖に貶めた魔王。
天才魔道師=アイオン・ヴァレフォール」
長老の脳裏によぎる肖像画と目の前の顔がカチっと嵌まる。背筋が凍る。史上最恐の魔道師。歴史の住人が目の前にいる。長老の顔が思わずひきつる。
かつての名家"ヴァレフォール家"の天才児。たった二十数年の生涯で世界史そのものに恐怖を刻んだ存在。
その男が、今、呼吸をしている…。




