〝寝ていた。〟
冥月王は、歩みを続ける。真っ直ぐとソラに迫ってくる。吸い込まれそうな闇を宿すその目の窪みにソラの息づかいは乱れる。
ソラの前に倒れるオトとイルカのスズキさん。冥月王はその前に歩を進めると迷うこと無く、スズキさんを蹴りあげる。
大きく浮かびあがったスズキさんは苦痛を堪えるように目を瞑る。再び月の重力で勢いよく地面に叩きつけられる。その痛々しさにソラは目を瞑り顔をそらす。
「スズキさんっ」
そう叫ぶオトの元に冥月王が迫る。ソラはそれに気づく。今の光景が繰り返される。そう思った瞬間ソラの体は動き出す。
オトを守れ。ソラの思考は全身にそう命令する。
恐怖で後退りすらできないほど硬直していた体はオトの前へ駆け出す。
冥月王を前にソラは両手を広げオトを守る。その指先は震えている。オトは「ソラっ」とおもわず叫ぶ。恐怖からオトの目には涙が貯まる。冥月王は歩みを止める。
「お前が〝異界〟の者だな。この世界では異界者は災いを呼ぶと云われている。
冥月王の名の元に危険は排除しておきたい。」
脳に響くその声は冷徹で感情が無い。ソラを死の恐怖が包む。押し出された心臓が喉から出てくるように嗚咽がでる。
「待て、聞いてくれ。」
その時、人魚の長老が口を開く。冥月王に意見を申す。長老は月の力に耐えるように全身から汗がふき出している。冥月王の「何だ?」という疑問が脳に届く。
「私の見解ではそのいい伝えは正しくない。
異界者が災いを呼ぶのではない。」
「ほぉ」
冥月王が聞く耳を持つ。
「災いがこの世界に訪れる時、異界者が現れるのだ。現に過去の異界者の活躍で世界は救われ彼らは英雄となっている。」
「ふむ。その説も一理ある。過去のことを考えれば説得力もある。
しかし、どうだろう。異界者が災いを呼ぶという説も否定はできない。」
長老は眉間にシワを寄せ唸る。冥月王は続ける。
「試してみようとは思わないか、この仮説?
この説が正しければいちいち、災いに対処する必要性が無くなる。なあ、ちと試してはみないか?」
冥月王の発言は世界の危機を案じてるようには聞こえない。単なる実験、好奇心。ソラはその物言いに恐怖する。自分の存在などこの骸骨にとっては、実験用のマウスと変わらない。
長老は思う。この王は感情が欠落している。情に訴えても異界の少年は救われない。長老は思考を巡らす。あの少年は不運にも異界からこの世界にやってきてしまった。いわば被害者。
できることなら助けてやりたい。先ほどまではそう思っていた。だが、今は違う。なんとしても救いたい。死なせてはならない。
長老はオトを実の娘のように育ててきた。しかし、忙しさにかまけて寂しい思いもさせている。能力による差別をうけている事も知っている。
味方になってやりたくても、近くにいてやれない。今だってそうだ。冥月王の力を前に指一本動かせない。そんな自分自身の代わりにあの少年はオトの盾となった。
自ら刃の前に首をさらすようなものだ。怖かったろう。逃げ出したかったろう。だが、あの少年はオトの前に出た。娘の為に身を捧げた。死なせてなるものか。
「冥月王。
もしもその仮説が外れた場合の責任はあなたがとるつもりか?」
冥月王は愚問というように笑う。不快な笑い声が脳に響き鳥肌が立つ。
「当たり前だろう。そもそも異界者などいなくとも我が対処すれば災いなど恐れる必要はない。」
それを聞いて長老はうなずく。そして話す。
「7人。過去700年で伝え聞いてるだけで7人の異界者が世界を救っている。
つまり、7回世界に危機が訪れた。では問おう。冥月王。」
冥月王は顎をさすり先を促す。
「その間、冥月王あなたは何をしていた?」
冥月王は答えない。静かに佇む冥月王は本当に魂のない屍に見える。
「私が代わりに答えてやろう。
〝寝ていた。〟そうだろ?王よ。
冥界の王は100年に一度10日間の眠りにつく。」
長老の声は力強くなる。ソラを生かすその為には仮説の失敗のリスクを王に示すべきなのだ。
「その眠りこそがあなたの絶大な力を維持する休息。
そして、世界の危機はその10日間を狙って訪れる。そうでしょう?」
冥月王は長老を振り返る。その眼の窪みは更に無機質に見える。だが、その視線は痛いほどに長老を刺す。長老は引かない。
「世界の危機に居眠りしている者になにができますか?
あなたの眠りの周期が近日中に訪れるのではないのか?」
冥月王はソラに向き直る。右手の月が手のひらに消える。その瞬間、長老が倒れこむ。神官たちは重力から解放され息をあげる。オトはおもわず咳き込む。
冥月王は右手でソラの顎を持ち上げ目線を合わせる。ソラは恐怖で呼吸が止まる。全身の力が抜ける。目の前の闇から視線だけがそらせない。




