うれしいことがあったから
連休初日の新宿バスターミナルは混雑していた。少年はなんとか座れる椅子を確保し、着替えを入れたバッグを肩からおろした。他の必要なものを入れたリュックを背中から体の前に移し、抱き抱えるように座っている。
自身の乗る長野県K市行きのバスの発車時刻まであと35分、発車10分前にはバスの乗車が開始される。その5分前、発車15分前にはトイレに行っておこうと少年は思いそれまではこの椅子に根を生やして座っていようと決めた。(この先、バスの座席に4時間ばかり座ることになるのだが……)
彼がこのターミナルに到着したのは、さらに30分前の8時05分…。母につれられ、どの便に乗るのかスマホの電子チケットとターミナルの電光掲示板に表示される時刻を二人で見比べ確認した。
それから母は新幹線の時間が迫っていた為、その乗り場まで少年に別れを告げ足早に向かって行った。
説明こそなかったが、おそらく、乗り場に向かう前にタクシーで駅に現れる風変わりなミステリー作家を出迎えるのだろうと少年は理解している。無論、そのタクシーを作家の自宅前に手配したのは母である。
そして、二人は奇妙な心霊スポット巡りの旅に出る。
母が去ってから30分、少年は座る場所を探したが、どの席にも誰かが陣取り、座る余裕はなかった。だが、ある便が乗車を開始するタイミングで席があき、なんとかそこに腰をかけることができたのである。
いつもなら母と二人で待っているこのバスターミナルから、少年一人で長野の母の実家に向かう初めてである。
少年の初めての反抗期は、3時間ほどで終わった。その日の夕食の席で少年は母に詫びて、出前の寿司を食べていた。母は自炊ができない。仕事一筋で家事全般は人を雇ってやってもらっていた。しかし、小学生の頃から少年はやらされるわけでもなく思い立ち中学一年の冬には完璧に家事をこなしていた。その頃から母は人を雇うのをやめた。そのため、少年が家を出れば食事は出前か、外食になる。
なぜ今日は寿司なのか、母にたずねると「うれしいことがあったから」と彼女は微笑んで答えた。少年は自分に怒られたことがうれしいことなのかと疑問に思いながらサーモンの寿司を口に運んだ。
「でも、ラッキーだったわ」しばらくして母は言った。そして、続ける…
「こんな目前の急な予約、しかもお盆のこの時期に長野行きのバスがとれたのはラッキーだった。お母さんツイてる。
そうじゃないと新幹線とJRを乗り継いでK市まで行かないといけない。高速バスなら新宿からK市まで乗り継ぎなしで行けるわ。
その方があなたも楽でしょ?」
その問いに少年は子供扱いされたようで一瞬ムッとしたが、顔には出さず「うん」と短く返事をした。それに実際、乗り継ぎは不安だし、高速バスが楽なのも事実だ。
待合室の席に着いて、少年は他の人々を観察をしていた。注意深くというわけではない。ほかにやることがなかったからだ。
出発時刻まで残り25分、10分後にはトイレに行く。さらに、その5分後にはバスに乗り込む。それを考慮すると文庫本をとりだして開く余裕はなく、他にすることもないため、人間観察をしていのだ。
少年はなにか予定が間近にあると、他のことをするのが苦手だった。時間の切迫があると、本を読んでも頭に入ってこない。これがもし、二時間も三時間も余裕があるのなら、少年もリュックから文庫本をとりだしたかもしれない。
少年はスマホも、もっていた。余暇を潰すなら手ごろだが、こちらも充電の問題を心配して使えなかった。バスに充電用のコンセントがついているはずであるし、今の充電の残量なら三十分くらいなら余裕でもつはずである。しかし、少年はスマホをとりださなかった。
そもそも、少年はゲームもしなければsnsも開かない。もともとそうであったのではなく、ある時期を境にそうなったのだ。
色々な人がバスを待っている。親子連れ、老人、カップル、団体もいれば少年のような一人の者もいる。
団体の人達に目がいった、男女8人組の老人のグループで輪の中心に立つの女性が(この女性は他の人達よりいくらか若く見える)ゆっくりしゃべっている。女性はしゃべりに合わせて細かく手を動かしている。他の者達はその手を目で追っている。手話かもしれない。
老人達は耳の不自由な人達で彼女は引率の人かなにかかもしれない。しかし、少年にはその手の動きが、ただのジェスチャーなのか、手話なのか区別はつかなかった。
騒ぎながら小さい子供が少年の前を走りぬける。その子の母親らしき女性が注意しながら男の子を捕まえようとしている。その声には疲れが感じ取れた。
それとは、対照的に少年の向かいの席に座るメガネの男の子は、大人しく席についてタブレット画面に夢中になっている。
色々な人がいる。忙しなく動く周りの人々を眺めていると、少年は自分一人が世界から切り離されたような感覚になる。テレビを見ているような自分とは関係のないどこかの日常を眺めているような気がしてくる。
以前に母と二人で、ここに来たときにはそうは思わなかった。ぼぅーっと周りを眺めていることもなく、スマホアプリを楽しんでいた。(その頃はまだスマホに夢中だった。)
母が何かを言えば、それに返事をした。それだけでいつの間にか時刻になってバスに乗る。ここ(バスターミナル)はあくまで通過点、日常の当たり前のルーティーンのように時間が過ぎ去った。
だが、今はふと気付くと待合室の時計と掲示板の自身の乗る便の発車時刻を交互にみている。時にはスマホの画面に電子チケットを表示させ確認する。
繰り返している間に発車15分前になり予定通りトイレへと向かう。背中のリュックと肩のバッグはそのまま身に付けたまま用を足す。手を洗ってトイレから出ると少年が先程まで座っていた椅子には老婦人が腰を下ろしていた。
バス乗り場に目を向けると少年の乗るバスはすでに到着していた。ほどなくその便の乗車開始を知らせるアナウンスが流れた。




