6.記録から消えた男
時代の狭間に埋もれた“彼”の記録。
記憶と記録がずれていく。
手元には、用途不明の鍵「D15」。
つながらないはずの点と点が、静かに線を描き始めていた。
*
由里は、遥のバイト先である市立の郷土資料館を訪れていた。“10年前、医大生が一人――姿を消した”
黒崎から聞いたその話が、頭から離れなかった。
今日は、遥の昼休みに合わせて来ている。食堂で一緒にランチを食べる予定だ。
「ごめーん、遅なったー!」
小走りにやってきた遥が、いつも通りの笑顔で手を振る。
「ううん、大丈夫」
由里は微笑みながら返すが、その表情には少し陰が残っていた。
「ほんでほんで?」
トレイを手に、遥が由里の座っているテーブルにやって来た。
「……なんで、そんな嬉しそうなんよ」
「えっ、だって、また“なんか”あったんやろ? めっちゃ気になるやん!」
由里は思わず苦笑する。遥のこういうところには、いつも救われる気がする。
「実は……この前、夜のエレベーターで変な体験したやん。それをゼミの黒崎さんって人に話したら
――10年前、同じような怪異にあった医大生がいたらしいねんけど、そのあと失踪したらしい。名前は、有科詠人。」
遥の箸が一瞬止まった。
「……まだ、見つかってへんってこと?」
「うん。そうらしい…」
「由里、それ、調べてみた?」
「ううん……昨日その話を聞いて、今日ここに来たから、まだなんも調べられてない」
遥はあごに指を当て、少し考えるような素振りを見せた。
「うちの資料館、地元紙とか、大学の年報とかインターネットに載ってない資料いっぱい検索できるで。新聞記録とかあたってみよっか」
「うん。でも……バイト中ちゃうん?」
遥はにやりと笑う。
「え?ちょっとくらいバレへんって……。研究者は好奇心には勝たれへんねんでー!」
そう言って、トレイを片付けると、遥は資料室へ向かって踵を返した。
由里は苦笑いしながらも、遥の後ろ姿を追った。
資料館の端末で検索をかけていた遥が、しばらく黙り込んだ。
「……出てけえへん」
「え?」
「有科詠人、って人。地元紙にも、大学の学籍簿にも、どこにも名前が載ってないで」
「そんなはず……名前、間違ってないはず。黒崎さん、そう言ってたよ?」
「うん、たぶん。でも……過去10年ぶん全部見たけど、かけらも無い」
遥は腕を組んで、ディスプレイをにらみつけた。
「なあ由里――この、有科詠人さんって……もしかして、“存在ごと消された”んちゃう? あるいは、最初から存在してなかったとか……」
「もぉ~……そういう怖いこと言わんといてよ! 黒崎さんが妄想で友人作ってたってこと? それはそれで、やばない?」
「いや……それも考えたんやけどな。10年前っていうのが間違ってるのかもしれんと思って…試しに、もうちょい範囲広げて検索してみるわ」
遥がキーボードを叩いた。
数秒後、ひとつの記事がヒットした。
「……あった。けど……え?」
ディスプレイを食い入るように見つめたまま、遥が声を失った。
「なに?」
由里が画面を覗き込む。
新聞紙面の画像データだった。
―――【探し人】有科詠人氏、片桐大学寮より失踪 情報求ム(昭和35年9月)
「……昭和35年……!?」
思わず声が重なった。
由里の背筋を、氷のつららが滑り落ちるような冷気が走る。
「……どういうこと? 黒崎さんは、10年前にその人と会ったって――」
「でもこの“有科詠人”って名前、そう何人もおると思う?」
「ていうか、昭和35年って……大学、もうあったん?」
「うん、あった。けど……寮の建物、今は跡形もないし、病院棟は今の場所じゃないところにあったはず」
「病院棟?由里がエレベーターの怪異にあったところ?」
「そう」由里は重くうなずいた。
“用途不明の”D15”と書かれた鍵”
“黒崎さんの10年前の記憶”
“昭和35年の失踪者”
繋がらないはずの点と点が、奇妙な円を描き始めていた。
<第7話へつづく>