第12話「カレーのあとで、今日も上昇中」
誠の手元には、一枚の紙があった。 “退職届”と書かれたその紙に、彼は静かにハンコを押す。
堀内は机越しにそれを見つめ、ぽつりと呟いた。 「……もう引き止めはしない。が、君がしたことは——そう悪くなかったと思ってる」
誠は軽く頭を下げる。 「ありがとうございます。最後に、そう言ってもらえて、よかったです」
「……あの人たちを泣かせるなよ」
誠は深く一礼し、支店をあとにした。
*
やすらぎ荘の昼下がり、誠は少し照れくさそうに笑いながら報告する。
「というわけで、本日をもって正式に“元・信金マン”になりました」
拍手と歓声が上がる。
「じゃあ次からは“専属ファンドマネージャー佐藤”って呼ぶぞ」と山根がニヤリと笑う。
「いや、“カレーアドバイザー”でもいいな」と中西が茶々を入れる。
「カレーは名倉の領分だってば」とトミがツッコむと、
「でもそろそろ、“佐藤の味”ってやつも、出していい頃じゃないか」と名倉が乗っかり、
「それ、料理の話じゃないですよね?」と小倉が静かに切り返す。
笑い声が、陽の差すロビーに響いた。
*
掲示板には新しい張り紙が出ていた。
《やすらぎファンド:市民向け学習会 開催決定》 《テーマ:「初めての株と、老いと、カレー」》
「……こんなタイトル、他にないですよね」と春香が苦笑する。
「目立った方が、いいじゃないですか」と誠が肩をすくめる。
春香は少し照れたように笑い、言った。 「……佐藤さんって、地味に目立ちますよね」
「それって、褒めてます?」
「もちろん」
春香の声は、まっすぐだった。
*
その夜の食堂には、名倉が腕によりをかけた“仕上げカレー”が並んでいた。
「今夜は特別に“仕上げカレー”。煮込み3日。想い、入りすぎた」
全員が一口食べ、しばらく黙る。
「……これ、株より感動するわ」と山根がぽつり。
「こんなカレー食ったら、もう損切りとかどうでもよくなる」と中西が続ける。
「いや、損切りは大事だよ」とトミが即ツッコミ。
笑いと湯気が立ち上がる中、誠は少し離れた窓辺に立ち、夕焼け空を眺めていた。
その目は静かに、でも確かに、何かを見据えていた。
“これから先”の未来を。
──人生も株も、まだまだ伸びしろあり。