第七話:狼は立ち上がる!
メリルの家は、私の家の少し先にあり、赤レンガでできた、小さく古風な建物だった。私は念の為に周囲を警戒しながら、そっと家に近づき、扉の前で立ち止まった。そして深呼吸し、大丈夫だ、と自分に言い聞かせた。別に不法侵入ではないし、もしメリルの父親が帰ってきたら、窓から逃げればいい。私が人よりずる賢いということを、あの男に思い知らせてやりたい。本当に知られたら困るが。
気を引き締めて扉を叩いた直後、中から「は〜い!」という声がした。メリルの声だ。扉に耳を当ててみると、階段を降りてこちらへ近づいてくる足音が聞こえた。そして扉を開けたのは、クリーム色の寝巻きを着ており、目が腫れていたメリルだった。ああ…やはり、泣いていたのか。
彼女は私の顔を見た途端、パァッと目を丸くし、急いで私を引き寄せて扉を閉めた。そして私をぎゅっと抱きしめ、「うわぁ〜〜ん!ガルシャちゃ〜〜ん!会いたかったよ〜〜!」と言い、玄関でそのまま泣き崩れた。
「メリル…!どうしたの?何があったの?」
メリルはグスングスンと鼻をすすりながら、「パパが…今日一日、外に出ちゃダメだって…ガルシャちゃんには、もう話しかけちゃダメだって…」と言った。
私が彼女の背中を撫で、「とりあえず落ち着こう!ね?」と言うと、彼女は「うん…」と言って涙を拭い、少し離れた。
「ガルシャちゃん…私、これからどうすればいいんだろう…」
「わからない…けど、まずは一緒にお父さんに相談してみよう。怒られるのを怖がってたら、どうにもならないでしょ?」
「でも…」
「大丈夫。メリルの本当の気持ちを伝えれば、きっとわかってくれるよ。」
「だけど…パパは…」
「ん?」
メリルは俯いたまま、「パパは…いつも私の為を思ってて…音楽じゃ、まともにやっていけないって言ってる。小さい頃から、ずっとそうなの。将来の役に立つようなことしか、やっちゃいけないって…」と言った。
私は彼女の肩を掴み、真剣な眼差しで、「それは、メリルにしかわからないことでしょ?たとえ親でも、メリル以外の人が勝手に決めていいことじゃない。」と言った。
「ガルシャちゃん…」
「メリルは、どうしても音楽をやりたいんだよね?」
「…うん。」
「なら、その思いをちゃんと言葉で伝えなきゃ。私も昨日、父さんや母さんと話し合って、やっと理解してもらえた。悔いのない選択をしなさいって、言ってもらえた。だから、メリルもきっと大丈夫。事情は全く違うけど…本当に娘の為を思っているなら、メリルの心の叫びを、無視はできないはずだよ。」
メリルはしばらくぼーっと私を見つめた後、拳を握りしめ、決意の目で、「わかった…やってみる!」と言った。
私は笑みを浮かべ、「そうこなくっちゃ。」と言ったが、数秒後、不安が蘇ったため、少し目を逸らしながら、「ただ…しっかり対策を練る必要があるかもね。お父さん、めちゃくちゃ怖そうだったし…」と言った。
「えっ?ガルシャちゃん、パパに会ったの?」
「うん。さっき、ちょっとすれ違って—」
その時、突然扉がバン、と開き、私達はビクッとして互いに抱きついた。そして鬼の形相で家に入ってきたのは、メリルの父親だった。フードを外していた彼の髪は、燃えるように赤く、耳もメリルより大きくて尖っていた。
彼はその黄色く光る目で私を見下ろし、「…なぜ貴様がここにいる?」と唸った。
私はぷるぷると震えながら、「え…いや…その…」と言った。まずい。完全に誤算だった。帰ってくるのが早すぎる。最初から私がここに来ることを予想していたのか?これでは、逃げる暇もない。どう言い訳すれば…
メリルの父親は、自分の娘に視線を移し、「メリル…お前がこいつを家に入れたのか?」と言いながら、彼女の方へ一歩踏み出した。
メリルが恐怖により、ヒュッと息を飲んだため、私は勇気を振り絞って彼女を庇い、「待ってください!勝手に押しかけてきたのは私です!メリルは何も悪くありません!」と言った。
しかしその直後、私はメリルの父親に首根っこを掴まれ、持ち上げられた。
彼は顔を近づけ、威嚇しながら、「言ったはずだぞ…娘にこれ以上関わるなと。挙げ句の果てに、我が家にまで足を踏み入れるとは…いい度胸だな。」と言った。そして、その大きな手の鋭い爪を私に向けた。
「ひっ…!!」
このままじゃ、無傷では帰れないような気がする。『群青の火種』を使うべきか?いや、さすがにメリルの父親にそんなことは…
「もうやめてよ!!」
大きな声でそう言ったメリルは、涙を堪えながら、父親に負けないくらい獰猛な目をしていた。
「私を叱るのは構わない。けど…ガルシャちゃんを傷つけるのだけは、絶対に許さない!」
私は目を丸くしたまま、「メリル…」と呟いた。彼女がこんな風に激怒する所は、見たことがない。私の為に怒ってくれているのか?
すると、メリルの父親は私のシャツの襟を離し、私は声を上げながら床に落ちた。彼は歯を食いしばりながら、「お前は…!俺が一体どんな思いでお前を育ててきたか、何の為にお前に勉学の道を歩ませているのか…わからないとは言わせんぞ!」とメリルに言った。
「わかってるよ!でもそれは、私の大事な友達に危害を加えていい理由にはならない!」
「この…っ!!」
メリルの父親はそう言って、無意識に拳を振り上げた。私は彼を止めようと口を開けたが、それよりも早く、メリルが言葉を発した。
「今度は私をぶつ気?そんなことしたら、ママに一生恨まれるよ!」
それを聞いて、メリルの父親はハッとし、まるで胸を貫かれたかのように、ピタッと固まった。そしてゆっくりと拳を下げ、悔しさと罪悪感に満ちた顔で俯いた。
メリルはそんな彼に歩み寄り、和らいだ表情と声で、「ねぇ、パパ…私、ガルシャちゃんと一緒に音楽をやりたい。自分だけの音を奏でて、舞台の上で輝いてみたいの。もちろん、勉強も今まで通り頑張るよ。でも、ずっと心の奥にしまってた夢を、今度こそ叶えたい。ガルシャちゃんのおかげで、自分の道を進んでみたいと思えたから。」と言った。
メリルの父親は拳を握りしめ、「…ダメだ。音楽じゃ、お前はこの社会でやっていけない。俺達は獣人であり、移民なんだ。この国の住民から見たら、よそ者も同然だ。俺は、お前に苦しんでほしくない。だから…そんな不安定でしかない道を歩ませるわけにはいかない。」と言った。
メリルはしゅんとした表情で下を向き、私もあらゆる感情で胸がいっぱいになった。確かに、未だに異種族や移民を批判する人間も多い。けど、だからといって、メリルが夢を叶えられないわけではない。たとえよそ者でも、切なる思いを込めて、一生懸命音を奏でれば、きっと誰かに届く。私もつい最近、そんな体験をしたから。
すると、メリルは顔を上げ、輝く瞳で、「じゃあ、こうしよう!2週間後の収穫祭で、ガルシャちゃんと一緒に演奏する!」と言った。
私は彼女の突然の提案に驚き、思わず「えっ…!?」という声を発した。メリルの父親も、目を丸くしていた。
「そこで、お客さんの心を掴むことができたら、私の音楽活動を認めてほしい!もしダメだったら、今後一切、音楽には触れないから。それでどう?」
メリルの父親は深く考えた後、そっぽを向いてため息をつき、「…好きにしろ。」と言った。
メリルはパァッと笑い、「ありがとう、パパ!」と言ったが、彼女の父親は何も言わず、彼女を通り過ぎて家の中へ入っていった。
そしてメリルは私に、「ちょっと待っててね、ガルシャちゃん!すぐ準備するから!」と言いながら、階段の方へ向かった。
「えっ…?準備って、何の?」
メリルは足を止めて振り返り、「今日、ガルシャちゃんちに泊まる!」と言った。
「えぇ!?」
驚きの連続で、脳が完全に停止してしまいそうだ。メリルは一体、何を考えているのだろう。
ーーー
その夜、メリルは私達と共に食卓を囲み、母が作った海鮮パスタを美味しそうに食べていた。
母はそんな彼女をぼーっと見つめながら、「それにしても、本当に意外ね〜…ガルシャが家に友達を連れてくるなんて…」と言った。
薄い黄色のワンピースを着ていたメリルは、顔を上げて明るい笑みを浮かべ、「お世話になります!」と言った。
いつもの部屋着を着て隣に座っていた私は、少し困惑した表情で、「ごめん、母さん…メリルが急に泊まるって言い出しちゃって…」と言った。
「いいのよ。私達はいつでも大歓迎だから。」
父も優しく微笑みながら、「ああ…ガルシャの親友に会えて、俺も嬉しいよ。」と言った。
するとメリルは私の方を向き、「私こそごめんね、ガルシャちゃん。私の問題なのに、ガルシャちゃんまで巻き込んじゃって…」と言った。
「いや、それは別に構わないんだけどさ…本当によかったの?お父さん、あのままにしちゃって。」
「いいのいいの!パパもちょっとは子離れしないと!」メリルはそう言って、大きめの一口を頬張った。「それに…ああでもしなきゃ、パパは許可してくれなかったと思う。私がちゃんと音楽家として生きていけるって、安心させる必要があるから。」
「メリル…」
父はパスタを飲み込みながら、「そういえば、ガルシャ…お前、収穫祭に出る気はあるのか?」と尋ねた。
「あっ…それは…」
しかし、私が返事をする前に、メリルがニコニコしながら、「はい!私と一緒に演奏する予定です!」と言った。
私は驚いて彼女の方を向き、「ちょっ…!」と言ったが、父は「そうか…それは楽しみだな。母さんと一緒に見に行くよ。」と嬉しそうに言った。
そして母は手を合わせ、「あ!じゃあ、お弁当作っていかなきゃ!魔力をたくさん使ったら、お腹空いちゃうでしょ?」と言った。
両親が期待の眼差しで話し合っている間、私は俯き、パスタをフォークにくるくると絡めながら、深く考えた。本当にこれでよかったのだろうか。まだ知名度も低く、技術もそこそこなのに、収穫祭の大きな舞台に立っても大丈夫だろうか。しかも今回は、メリルの音楽活動がかかってる。こんな私が、彼女の運命を背負ってもいいのだろうか。