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第3話

 晴天の下を、前後を騎士たちに護衛されたオープンルーフの豪奢な馬車が亀よりもゆっくり通っていく。沿道の人々がそれをわぁわぁと賑やかし、色とりどりの花が舞い、馬車に座した花嫁と花婿に贈り物を持って駆け寄り、国王の戴冠パレードにも引けを取らぬ華やかさであった。

「ようやくのご結婚おめでとうございます、公爵閣下!」

「領主様、奥様も、どうぞ今後とも健やかに!」

「ようやく領主様にこれをお渡しできます! 我ら魔法石組合の研磨士組からは最高級の魔法石を」

「私ら採掘士からは、ダンジョンで狩られた魔獣の毛を使ったコートをお贈りします」

「奥様、うちの店で仕立てた新しいドレスです!」

「今日一番香りのよいお花をどうぞ!」

「おひめさまにお花、あげます」

「当店が仕入れた最上級のワインを城に届けてありますので!」

 前日に告知された急な結婚式にもかかわらず、領内の者たちはそれぞれ自分たちの稼業にちなんだ贈り物と共に領主の結婚を祝福した。その凄まじい盛り上がりに、花嫁衣装に身を包んだトリエルノは驚きあきれた様に隣に座る花婿を見上げる。

「何せ今まで3回も領主の結婚が告知されては取り消されていたからな」

 シルハーンは馬の尾のように結んだ長い銀髪を揺らしてカラカラと笑ったが、すぐに眉を下げてうち沈んだ声で謝罪を述べた。

「……すまんな、家族や友人に祝福を貰えるような結婚でなくて」

 しかし花嫁の方は気にしていないらしい。構いませんわ、という声は気軽な調子である。

「姉とも言うべきアンナが祝ってくれています。公こそよろしいのですか? 今日の日をお祝いしてくれるご友人やご家族がおいででしょう」

「なに、親しい者たちには陛下に書類を出した時点で早馬に結婚の知らせを託している。本当に祝ってくれる者たちは式やパーティーが無くても会いに来てくれる。それに祝いの言葉などいつ貰っても嬉しいものだ」

 さわやかに笑う夫の言葉に、それもそうかとトリエルノは気が抜けたような顔で笑った。

 そこに領主様、と聞き覚えのある声がした。見れば昨日のあの子供らが駆け寄ってきて、皆で大きな一枚の紙を差し出した。 

「えへへ、昨日の夜みんなで領主様と奥様を描きました!」

「もう馬とか魔獣の足元で遊びません!」

「領主さま、うちの父さんと母さんがね、お城に花の咲く木の苗を送りましたって」

「花嫁様には新しい馬具を!」

「トリエルノ様、昨日はありがとうございました。私の家からは箱いっぱいの春の果物を!」

 子供と彼らの描いた似顔絵に夫婦は顔を綻ばせ、贈り物に礼を言う。そうして花嫁と花婿を乗せた馬車がようやく城下町を抜けようとした、その時。

 キュキョーン、とあの音が空に響いた。見上げれば、あの巨大怪鳥の群れが接近していた。バサバサと翼を強くはためかせると、凄まじい勢いの風が巻き上がった。

 一瞬にして祝祭の場は混乱に包まれた。

 御者は素早く馬車を止めるも、馬たちが落ち着かず鳴きながら激しく足踏みする。騎士たちも自分の騎馬を宥め抑えようと手綱を強く握る。沿道の人々はあまりの風の強さに顔を腕で覆いながらも、子供らや妊婦を庇って口々に退避を呼びかける。腕に覚えのあるものはなんとか魔獣と戦おうとしているが暴風にそれを阻まれて苦戦しているようだった。

 その中で、馬車にいた白い礼服の貴人たちは互いに示し合わせることも無く立ち上がった。

 花婿たるシルハーン・フセルフセスは腰に帯びていた剣を抜いて轟くような声を上げた。

「騎士団は住民の避難誘導にあたれ! 魔獣は俺が相手取る!」

 言うが早いか、公爵の握っていた剣を構えた。それは銀色の光を帯びて形を変え、長く伸び、全く別の形の武器……槍に変化した。それがシルハーン・フセルフセスが生まれ持った魔法、武装の魔法と呼ばれるものである。勇士は小柄な花嫁を自身の巨体で強風から庇いつつ、上空に見える黒い影に渾身の力を込めて槍を投げつけた。

 ビュン、と空を切って飛び出した槍は暴風を突っ切り、暗雲のような怪鳥の群れに突っ込んでいく。しかし彼らはキョキョンとあざ笑うような鳴き声を上げると、鋭い爪のついた大きなで器用にそれを掴んだ。

「……おいおい」

 呆れたように肩をすくめたシルハーンの隣で、トリエルノは人差し指と中指で魔獣たちに掴まれた槍を指し示した。

「雷よ!」

 叫ぶや否や、彼女の指先から放たれた雷が槍にぶち当たり、それを掴んでいた鳥型魔獣たちが苦悶の金切り声を上げた。感電した彼らは身体の自由が利かず、羽ばたくこともできないまま地面に落ちた。自然と暴風もその勢いを衰えさせ、沿道の人々や騎士たちも嘆息交じりの感嘆を上げた。

「おお……なんという勇ましさ」

「あれが領主様の花嫁君」

「あの審議会で誰よりも早く魔獣に向かっていったというトリエルノ嬢」

「我ら騎士団と肩を並べるお方」

 けれど、本人はそこで手を緩めることをしなかった。

 周囲の言葉に表情一つ変えずに地を踏みしめ、そのまま空へと駆け上がった。その足に纏うのはあの雷のヒールである。空に躍り出たトリエルノは腕を構え、弓を引くポーズをとる。その動きを彼女に教えたのは、かつて国王の狩猟番だった祖父である。魔力で編まれた弓が現れ、つがえられた電撃の矢を見て、誰もが彼女の勝利を確信した。

 その時だった。

 ギュオォォォン!

 空をつんざくばかりの音が響いた。その衝撃にさしものトリエルノも姿勢を崩し、そのまま強風にあおられて、身体は空から滑り落ちる。

「トリエルノ!」

 とっさに駆け寄ったシルハーンが彼女の体を受け止めた。しかしそれで安心するのは早い。

「おい、何だよアレ」

「嘘、でしょ……」

「子供らの目を塞げ! あんなもん見せるな!」

「おいおい、こりゃあヤバいんじゃないの?」

 避難場所まで行こうとしていた人々が足を止め、皆一様に空を見上げている。

 空では怪鳥たちが共食いをしていた。

「魔獣の捕食強化反応か!」

 シルハーンは舌打ちし、引き抜いた己の髪に息を吹きかける。するとそれは1本の巨大な強弓に姿を変えた。足元に転がっていた小石を拾い上げ握りしめて弓へと変化させて矢につがえ、勢いよく魔獣に向かって放つ。

 即席の矢は目標に刺さるも、地に落ちるよりも早く仲間に食べられ、地上にバタバタと血の雨が降った。怪鳥はギャアギャアと鳴きながら数を減らすのと同時に、最後の一羽は先ほどまでとは比べようもないほどに大きくなっていた。

 片足だけで成人男性の頭を掴んで飛んでいけそうなほどの巨体である。

「退避、退避! すぐさまこの場から退避せよ!」

 我に返ったように騎士たちが住民たちに避難所へ向かうよう呼びかけるのを聞きながら、シルハーンは尚も矢を放ちながら隣で息を整えるトリエルノに問いかけた。

「出られるか」

「もちろんです、我が公よ」

 領主に問われ、その妻は血で汚れた頬のまま勇ましく笑う。領主はやや安心したような顔をした。

「一般的な魔獣は群れで行動しますが、それが壊滅しそうになった時、ああして共食いして最も強い群れの構成員に血肉を捧げることでこれを強化して敵を撃滅する。そしてその時、彼らは生きている味方だけでは飽き足らず、味方の亡骸を食します」

 言いながら大地を踏みしめるトリエルノの足元ではバチバチと雷の音がしている。予備動作の意味を正しく読み取り、シルハーンはひとつ頷いた。

「うむ、ここで必ず止める。俺が地上から攻めよう」

 それを聞くと、トリエルノは満足そうに笑って再び空へと飛びあがった。その手には槍の形をした雷が握られている。

(投げ方はたしか……こう!)

 シルハーンの動きをまねるようにして己の槍を投げる。巨大な怪鳥はバサ、と大きな翼を打って追い立てられるように地上の死肉の山へと向かって急降下する。鋭いくちばしが地面に接触したその瞬間、ズドン、と重い音がした。赤黒い死肉の山を囲うようにして突然地上から幾本もの銀色の槍が生え、怪鳥の頭部を貫いたのだ。

「トリエルノ、我が妻よ、ここだ!」

 その傍で白い礼服を返り血に汚しながら槍の主が呼びかける。

 その声に応え、上空のトリエルノは目標を見失った雷の槍を回収して握りなおした。

「我が公よ、今参ります!」

 雷の槍は目にもとまらぬ速さでシルハーンの作り出した槍に引き寄せられる。

「放電!」

 空から駆け降りる彼女の声に応えて、あたりが閃光に包まれる。そのまばゆさに兵士も騎士も、避難所に向かおうとしていた者たちも目をつぶる。それとほぼ同時にビシャン!と地を揺らすほど轟音が響いた。

 さながら落雷のように。

 音が止んで、周囲が静かになる。誰もが恐る恐る目を開け、そして見た。

 魔獣の頭部を貫く槍の円陣の中央、死肉の山の上にいる、トリエルノの姿を。

 血で赤くまだらに染まったウエディングドレスを風になびかせ、綺麗に結わえられていたはずの亜麻色の髪が乱れるのをそのままにしたその姿。

「……あれが我らがフセルフセス領の領主名代、トリエルノ様」

「雷乙女の異名をとるお方」

「なんという方だ、捕食強化反応を見せた魔獣相手に怯みもしない」

 人々は大概に顔を見あわえ、口々に囁く。

 巨大怪鳥は雷に打たれて絶命し、もはやピクリとも動かなかった。

「そうだよ、トリエルノ様はすごいんだ!」

「昨日だってさっきみたいに空をひょいひょい飛んで弓で魔獣を射落としたんだ!」

 嬉しそうに声を上げたのは昨日の子供らだった。いっそ無鉄砲と言うべき勇敢さを持った彼らは花嫁と花婿の馬車の陰に隠れていたらしい。

「ああ、昨日と同じかそれ以上の戦いぶりだ」

「これからはこの方が、トリエルノ様が我らフセルフセス騎士団と共に領内の警護や採掘場の警備に当たられる!」

 騎士たちの言葉に、人々は今日一番の歓声を上げた。

「トリエルノよ、怪我は無いか」

 大喝采に包まれたトリエルノにシルハーンが手を差し出す。返り血で汚れたままの夫の姿に目をぱちくりさせてから彼女は少し笑う。

「おかげさまで大事無く」

「しかし、魔獣の捕食強化反応をご存じとは。あれを知るのはフセルフセス領の外の者だと学者くらいのものだが」

 意外だと言わんばかりのシルハーンの声色に、第6王子の元恋人は肩をすくめた。

「ルノー殿下が専門にしておられた研究分野ですから、私も知っています。確か、捕食強化反応の強化過程を人間にも反映し、魔獣との戦いを有利に進められないか、とかそんな内容でした」

「ずいぶん先進的な内容だが、殿下ご自身も戦闘向きの魔法の使い手であったからな」

 シルハーンは首をひねり、少しの間沈黙してからすまん、と頭を下げた。

「結局空を飛べない俺はあの程度しか共に戦えん、申し訳ない」

「いえ、充分すぎるほどです、私だけでは取り逃がすかもしれない敵をあなたは確実に足止めしてくださった。一緒に戦ってくださって嬉しかったです。公の魔法は武装を作ったり増やしたりする魔法ですのね」

「根っからの戦闘用魔法だから幼い頃は扱いにも苦労したが……あなたの魔法との相性は良さそうだ」

 そのようで、と微笑んだトリエルノが夫の手を取って立ち上がると、周囲の人々の大歓声はついに地を揺るがすほどになった。

「こりゃあめでたい!」

「なんだかとんでもないお披露目会だったな!」

「なーに、このフセルフセス領のあの領主様の結婚だ!」

「これくらい破天荒でちょうどいいわ」

 人々がやんややんやとはやし立てるのを聞いて、フセルフセス領主の妻は感極まったような声を零した。

「私、こんな風に自分の魔法を褒められたの、初めてです」


***


「アンナ、アンナ、お願い、急いで髪を結って!」

 結婚式を終えて2週間も経つと、各地からの結婚祝いの訪問客も落ち着き、フセルフセス領主夫人であるトリエルノは領主名代として騎士団と共に領内各方面の警備任務にあたっていた。

 魔法石採掘場の警備任務から帰城したトリエルノはいつもと違い、人目をはばかるようにして幼馴染のメイドを呼ぶと、隠れるように自室に入った。

「お嬢様、そんなに慌ててどうなさったのです? シルハーン様に帰城のご挨拶とご報告はなさったのならそう焦らずとも」

「どっちもまだなの!」

 叫ぶように言ったトリエルノは今日も騎士団の制服の裾を返り血や土で汚し、コートは端が破れ、額から汗を滴らせ、頬や手の甲にかすり傷を作り、結って出かけた髪は乱れていた。採掘場内は視界も悪く、狭い空間での戦いを強いられる。

「だからお願いアンナ、髪を結って」

 頑是ない子供のように強請る女主人を、年上のメイドはため息交じりにたしなめる。

「いつも城に戻ったら真っ先にシルハーン様にお会いになるじゃありませんか。急いで行ってきてください、着替えも髪の結いなおしもそれからです」

「それじゃ駄目なの、せめて髪だけでも」

「……どうなさったんです、昨日までそんな恰好のまま帰城の挨拶と報告をなさっていたじゃありませんか」

 母親のような声色に、トリエルノは斜め下を見てらしくなくぼそぼそとした声で白状した。

「公爵閣下がいつものラフな恰好ではなくてとても綺麗な格好をなさっていたから私、恥ずかしくなって。いくら我が公が名より実を取る方と言っても、よく考えたらこの格好はさすがに、さすがに……」

 尻すぼみになる言葉に、アンナは今日の公爵の格好は特別だと説明してやることにした。

「お嬢様、今日は領主閣下に魔法石公正取引委員会の方々がお仕事の話をしに来たそうです。それでああいう恰好なのだとか」

 けれどそれを聞いているのかいないのか、トリエルノは着替えようかそれとも土埃で汚れた顔を拭くのが先かと右往左往し、時折鏡の前で立ち止まって忙しない。その姿を見て、アンナはしみじみとした声で呟いた。

「お嬢様、お嬢様はシルハーン様のことが」

 言葉は中途半端に途切れた。控えめな音で彼女の居室の扉がノックされたからだ。

「我が妻よ、トリエルノよ、ここにいるか?」

 扉越しに聞こえるひそめるような声はそのシルハーン・フセルフセス公爵本人のものだった。

「い、います! 我が公よ!」

 手に持っていた着替えを取り落としたままトリエルノは間髪入れず返事し、扉に駆け寄り、しかしドアノブは回さずその場で声を張り上げた。

「トリエルノ・ダズリン・フセルフセス、既に帰城しております! ご挨拶とご報告に上がらず申し訳ありません、あの」

「我が妻よ、何かあったか? 怪我などしていないか? 困りごとでもあったか? ……既に騎士団から帰城と今日分の報告も受けたのに姿が見えないから何かあったかと思ったのだが」

 二の句を継ごうと彼女がくちびるをまごつかせると、シルハーンが間を開けずに切羽詰まったように質問を重ねた。焦ったようなそれに急かされ、トリエルノはいつも通りのきびきびとした声で返事する。

「いえ、今日も大事無く、(つつが)なく帰城しております! ただ、人前に出られるような有様じゃありませんので」

 しかしその声も最後は落ち着きなく、気弱な響きになった。しかし扉の向こうでシルハーンがホッとしたような声で言った。

「採掘場で戦っていたのなら無理ないことだ。だから、顔を見せてはくれないだろうか」

 頼む、という弱り切った声にトリエルノが折れた。結局身なりを整えられないまま扉を開けると、傍に立っていた来客対応用の姿のシルハーンは眉をハの字にして微笑み、彼女の背に腕を回した。腕の中で泥だらけの淑女が身をよじる。

「公、我が公よ、お召し物が汚れます。どうぞお離しになって」

 けれど、それを宥めるようにシルハーンは彼女の背を撫でて静かな声で説き伏せたた。 

「貴女が汚れて戻ってくるのは貴女が己の任務に対して一つも出し惜しみせず全力で真剣に向き合っているからだ。だからそれは誇りこそすれど恥ずべきことではないし、忌むようなことでもないはずだ」

「でもコートもこの有様でみっともないですし……」

「なに、その程度は気にすることでもない。が、我が妻に恥をかかせるのは本意ではないな」

 フセルフセス公爵は気軽な調子で言ったかと思うと妻の足元にひざまづき、ほつれた騎士団制服のコートを捧げ持った。

「あの、公?」

「すぐに終わる」

 公爵は腰に下げていた道具入れの袋から糸を通した裁縫針を取り出し、破れた箇所を縫い始めた。

「貴族が貴族が必要以上に行うなど褒められたことではないがな、身の回りのことは大抵自分でできるように母に仕込まれた」

 シルハーンは手を止めないまま思い出し笑いをして肩をすくめる。

「旅の途中や戦闘が長引いたとき、野営の場で服の破れの一つや二つ縫えないのでは心許ない、とな。他に獣の解体や料理も一緒に教わった」

 そう語るうちに針と糸は丁寧にマントの破れを縫い閉じた。その手際の良さと言えば、メイドのアンナが思わず感心した声を上げたほどである。名門フセルフセス家の当主は何食わぬ顔で立ち上がり、あの少年じみた顔で妻に笑いかけた。

「トリエルノよ、我が妻よ、今日はあいにくの曇り空だが……良ければこれからお互い着替えて城下町に散歩にでも行かないか?」


***


「しかしアレだな、信じて送り出した妻が毎日仕留めた魔獣を背負って元気に帰ってくるというのは嬉しいものだ」

「騎士団の皆さんの戦いぶりあってこそです」

 フセルフセス公爵は隣を歩くトリエルノに目を向け、弾んだ声で言う。それに対する返事は謙遜でもなんでもなく、攻め手を担う自分が苦手とする治療や防御、敵の足止めなどを的確にこなして魔法石の採掘士たちを守る騎士団への心からの賞賛であった。

「おーい、領主様! うちの店空けてますよ、飲みに来ませんか? サービスしますから!」

「また今度邪魔させてもらうぞ、ダグ!」

「奥様、ごきげんよう! 今日もすさまじいご活躍ぶりだったとか!」

「どうもありがとう!」

「あらあらシルハーンお坊ちゃま、またお城を抜け出して遊びに来たの? あらま、今日の仕事は終わらせたの? ならこれとこの果物を持っていきなさいな」

「これはどうも……」

「あの、あの、トリエルノ様、あたしも大きくなったらトリエルノ様みたいな騎士になりますから!」

 連れ立ち寄り添って歩く男女が領主夫妻だと分かると、道にいた人々は2人に声をかけ、ちょっとした品などを渡していく。トリエルノは幼い少女の言葉に手を振ってやり、それから夫の方を見てくすくすと笑う。

「そんなにしょっちゅう城を抜け出していたんですか?」

「そんなことは無いぞ、せいぜい週に2度……いや、3度」

「一体何が気に食わなかったんです?」

「俺は剣技を鍛えるよりも本が読みたくてな。剣技の時間になると城を抜けてあの本屋のエルマばあさんの家の屋根裏を借りていたものだ」

 まだ10歳になるかならないかの頃だ、とフセルフセス領主は苦笑する。城下街を護衛なしで歩くのはその頃の名残なのだという。

「だが、俺の魔法は武具を扱う魔法。己の領地と領民を魔獣から守るのが王侯貴族の使命というなら剣技と戦闘術から目を背けることもできまいと12の頃に腹をくくった」

 言いながらシルハーンがさりげなく腕を貸したので、トリエルノは戸惑いつつもそれにそっと手をひっかけた。夫婦や婚約者同士が腕を組んで歩くのはこの国では自然なことで、むしろ今までそうしていなかった自分たちのほうが異様であったことを思い出したからだ。

 夫はトリエルノに微笑みかけながら話を続ける。

「ほら、数年に一度、魔獣が異常繁殖をするだろう? その時に大量発生した魔獣にフセルフセス城も攻撃されてな。応戦した母と父が怪我をしたのだが、それを俺には教えてくれなかった。あとでそのことを知って、俺も戦わなくてはと、腹をくくった」

 穏やかに笑うシルハーンの夫の顔を見上げ、トリエルノは扉越しに聞いた彼の泣きそうな声を思い出していた。

「今度からはちゃんと真っ先に我が公の元に帰ります」

「そうしてくれるととても嬉しい」

「魔獣の異常繁殖と言えば、5年前の審議会中に王都に現れた魔獣もそれによるものだったらしいですね」

「ああ、そうだったな。……俺は子ども心に、カルや城の使用人たちが傷付いていくのを見てられなかった。戦って民を守るのは王侯貴族の義務だからな」 

「私たち王侯貴族の(おこ)りは、魔獣から人々を守り、その見返りに食料や金品を貰っていたことにありますからね。ダズリン伯の祖父と祖母によく聞かされました」

 真面目腐ったトリエルノの顔をまじまじと見つめてシルハーンは犬歯をのぞかせ、長く伸ばした銀髪を揺らして無邪気な笑みを浮かべた。

「我が公? どうかなさって?」

「あなたが妻になってくれて嬉しいな、と改めて思った」

「それ毎日おっしゃってますよね?」

「毎日新鮮にそう思うのでな」

 トリエルノがぱっと顔を赤くした。彼女はシルハーン・フセルフセス公爵を夫というよりも共同経営者として認識している節があったが、真正面からの勝算に彼女が赤面するのも無理からぬ話である。そんな彼女の反応に気付いているのかいないのか、シルハーンはしみじみとした声で続けた。

「同じものを見て、同じ方向に向かい、そのために手を携えてくれる者がいるというのは有難いことだ」

 その言葉にトリエルノは頷いた。かつて恋人だったルノー王子ともそんな風に同じものを見ていた瞬間が確かにあった。5年前の審議会で東離宮での謹慎を申し付けられた第6王子殿下は今どうしているだろうかと思いをはせたところで、人波を切り裂くように馬蹄の音が聞こえてきた。

 馬蹄が近づいてくるかと思うと、焦ったような大声が飛び込んだ。

「シルハーン様、トリエルノ様、共に急ぎ城にお戻りください!」

 当該夫婦は何事かと眉間にしわを刻み互いを見やり、城の方から駆けてきた執事のカルと合流する。彼の連れてきた馬に騎乗し、そのまま拍車をかけて城に向かって走り出す。

「何があった、カル!」

 主人の問いに、優秀な執事は口をつぐんだ。

 それで十分だった。公の場では聞かせられないことだとトリエルノもまた理解し、強く手綱を握り、速く速くと拍車をかけ、口を閉ざして城へと急いだ。

「何があった、城に連れ戻したということは魔獣の襲撃ではあるまい」

「陛下からの知らせでも着ましたか」

 城につくなり領主とその妻が発した言葉に、若い執事は苦い顔で首を縦に振り、深呼吸をしてから一息に言った。

「王都王宮東離宮で軟禁を受けておられた我がディプス王国第6王子ルノー殿下が脱走なさいました。その件について、トリエルノ様にお話があると」

「どういうこと?」

 フセルフセス公夫人が低い声を発したその時、城の客間の方から言い合うような声が響いて来た。

「メイドに用はない、トリエルノ・バラントを出せと言っている!」

「ですから、お嬢様は公爵閣下とお出になっていらっしゃいます! そしてあの方はダズリン女伯です、お間違いなきよう!」

「何でも良い。まったく、陛下もどうしてフセルフセス公などという礼儀知らずと、王子殿下をたぶらかすような身の程知らずの魔力だけの女をお許しになるのか。平民出のメイドが貴族の歩みを塞ぐな、そこをどけ!」

 客人が悪態をつき、ぐいとメイドのアンナを押しのけようとしたその時、客人の頬を鋭く光るものがかすめた。客人は痛む頬を手の甲でこすり、眉間の皺をさらに深くした。

「何だ、今のは誰だ!」

 荒々しい誰何(すいか)の声には、涼やかな声が答えた。

「この私、トリエルノ・ダズリンよ」

「今のはどういうことだ!」

 王国府の紋章が刻まれたメダルを胸に飾った大柄な四角い顔の男は肩を怒らせて怒鳴った。その顔が、国王の傍に侍る官吏たちの一団の中にあったことをシルハーンは思い出す。

 客人の怒鳴り声に一瞬全身を震わせたトリエルノだったが、後ろに控えていたシルハーンが前に出ようとするとそれを抑え、ほんのわずかな沈黙の間に薄ら笑いを作って目の前の男を見つめた。

「私のメイドは徒手空拳の達人。彼女の拳を腹に喰らってあなたが客先で吐しゃ物をぶちまけて恥をかかないようにして差し上げたのだけれど、余計なお世話だったかしら?」

 客人の男が顔を真っ赤にし、今度はシルハーンに顔を向けた。

「フセルフセス公、あなたはいったい自分の妻にどのような教育をしているのだ!」

 10歳ほど年上の男に怒鳴られ、トリエルノの夫は子どものような顔で目を丸くして黙り込んだ。

「なぜ黙る」

「いや、おっしゃる意味がよく分からず……」

 さしものフセルフセス公爵も、予想外の叱責に返事を窮しているようだった。少し考えてから、心底困ったという顔をして客人に身振り手振りを交えて言葉を紡ぐ。

「我が妻も人の子であるから、貴公や私や他の人の子のように欠けた部分もあるだろう。だがそれがあってこそ彼女は彼女であるし、そもそも我が妻トリエルノは立派に教育を受けて成人した淑女であって子どもでないので教育など必要ない」

 そもそも、とフセルフセス領主は一歩前に歩み出ると、相手を睨みつけ堂々とした声で牽制した。

「陛下の紋章を掲げておられる者が本題に入らずいつまでそうして無駄話をするおつもりか。あなたの仕事ぶりは王国府の仕事ぶり、自らを真の忠臣と自負するのなら陛下の名誉を損なうことがないようにするのだな」

 言われて、王国府の紋章の刻まれたメダルを胸にきらめかせる男はぐっと黙り込んで来客用の部屋に戻り、行儀良くソファに座ると一枚の書状を取り出した。

「これは陛下からの正式な書状だ」

 あて名書きに己の名前があるのを確認し、トリエルノ・ダズリン・フセルフセスは客の正面に座って顔をしかめた。

「それで、ルノー殿下が脱走したと聞きましたが」

「その書状はその殿下の捕獲の依頼書だ。少し遅れるが、医師団と護送の兵士団も到着する予定だ」

 王子の元恋人はますます眉間の皺を深くする。

「なぜ私に?」

 至極当然の問いに、国王からの使者は深くため息をついた。

「……トリエルノ・バラント、否、トリエルノ・ダズリン女伯の身の潔白を証明するためだ」

 それだけで事態を理解して、トリエルノは王国府の封蠟が押された依頼書を広げながら忌々しげに言った。

「ルノー殿下脱走の手引きをしたのが私だと言い出す連中がいるのね。元恋人よしみで助けた、と。そうでないことを証明するために自らの手で殿下を捕まえろと陛下は仰せになった」

 王国府の使者は首を縦に振った。トリエルノの隣に座っていたシルハーンが「なるほど」と肩をすくめる。

「陛下も苦労なさることだ。我が妻が修道院を出てから王宮に入ったのはあの茶会の席ただ一度きり。その後すぐにこのフセルフセス領に来たのだから、殿下の脱走の手助けをする暇など無かったのは明白だ。けれどそのあたりを知らん口さがない連中が騒ぎ立てたか」

 使者は再び首肯し、それから絞り出すような声で「それだけではない」と囁いた。

「ルノー殿下はご自身の研究成果を確かめるかのごとくに魔獣を食らい、捕食強化反応を自身に適応させたのだ」

「結果は?」

 間髪入れない、鋭い語調だった。魔法大学校卒業生の勢いにやや鼻白んだ使者は、眉をひそめ視線をそらす。

「失敗した」

 ルノー王子の同窓生の女は嘆息して「やっぱり」と呟く。

「失敗して、それでどうなりました?」

「……魔獣と融合し、もはや人でないものになってこのフセルフセス領に向かってきている。おそらく身体が魔獣の部分に馴染んでいないのか、空を飛んではいるが動きは遅い。瞬間移動の魔法が使える私が急ぎフセルフセスに知らせを持ってきた次第だ」

 素早く立ち上がったのはフセルフセス領主シルハーン・フセルフセス公爵だった。傍にいた執事のカルに、領民たちに指定の避難場所へ向かうよう呼びかける旨を指示し、そのまま騎士団を呼びだす。その間、トリエルノは使者を質問攻めにする。

「殿下がフセルフセス領につくまでどのくらいかかる?」

「もうあと2時間ほどかかる。ルートはここに示した通りだ」

 王国府のメダルが付いた胸元から取り出した地図を広げ、そこに引かれた赤いラインをなぞる。なるほど確かにフセルフセス領に向かっている。

「殿下がフセルフセス領を目指す理由は?」

「不明だ。だが、東離宮の衛兵たちが聞いたらしい。異形となった殿下がトリエルノ、と言うのを」

 当人は額に手を当ててうつむいたがそれもほんのわずかな間で、すぐに質問を再開した。

「動きが遅いのなら空を飛んでいても対応のしようがあるでしょう?」

「人でないものになってもあの方の強力な魔法は健在だ。その上、魔獣としての身体能力も備えている。あれに対抗できるのは雷乙女やフセルフセス公くらいのものであろうと、皆そう考えている」

「殿下を捕獲して、どうするつもり?」

「魔術研究員で魔獣との分離処置を行う。成功するかは分からんが……」

「ああ、去年だったか、殿下が捕食強化反応を起こしたものを元に戻す術式の可能性を論文で示唆しておられたわね」

「……読んでいたか」

「修道院にも学術誌は届くわ」

 そこまで言って立ち上がり、フセルフセス領主夫人は声を上げる。

「聞いていた?」

「避難の猶予は2時間、既に領内の連絡網を使って通達しております。フセルフセス騎士団は避難の誘導のために動いております」

 執事のカルがいうや否や、外から鐘の音が聞こえ始めた。独特のリズムのそれは緊急事態に備えての避難を促している。

「アンナ、私の防具を」

 女主人が言うよりも早く、メイドはその傍に魔力を伝導するミスリル鉱の防具を差し出した。

「こちらをどうぞ。……殿下はお嬢様と同じ天空魔法、空を飛ぶ類の魔法の使い手です。私がお供しても足手まといにしかならないでしょうから、私はここでお茶の用意をしてお嬢様の無事の御帰還をお待ちしております」

「ありがとう」

 メイドに防具を身に着けてもらい今すぐにでもルノー王子の元へと向かっていきそうなトリエルノだったが、彼女に待ったをかける者がいた。

「我が妻よ、少し落ち着け」

 夫であるフセルフセス公爵はそういうと、机の地図を見ながら続けた。

「あなたが殿下を迎える形で捕獲しても良いが、万が一戦闘になることを考えれば、魔法を使った戦闘に理解のある我が領内で戦った方が良い。他の領の上空で戦えば必要以上のパニックが起きる」

 領主は地図から顔を上げ、客間の窓から見えるダンジョンの向こうの森を指さした。

「戦うならあの森の上空が良い、民家や畑から離れている」

 そう言うと、夫は妻の手を握って優しい声で言い聞かせた。

「気持ちが先走りすぎだ。まだあちらが到着するまで2時間……少なく見積もっても1時間はある。すこし落ち着け」

 言われて、トリエルノはそわそわと周囲を見渡した。あちこちで騎士や衛兵たちが走り回り、各地区の担当政務官や使用人たちが走り回り、口々に避難の進行状況を伝えあっている。

「それに、王国府から送られてくる医師団や護衛の兵士団も待たねばならん」

 シルハーンは大きな背を丸めて大丈夫だ、と囁きトリエルノの手をさすってやる。

 その背に、王国府からの使者はぶっきらぼうに言った。

「陛下は、フセルフセス公にも殿下捕獲への協力を仰ぎたいとおおせだ」

「そういうことなら、尚のこと喜んで」

 振り返った狼は誇らしげに笑っていた。

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