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桜の朽木に虫の這うこと  作者: 朽木桜斎
第3章 そして虫たちは這い出す
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第68話 兄として――

「俺が相手だ、クソ親父(・・・・)!」


 アクタは敢然(かんぜん)と、「父」に向かってタンカを切った。


 当然、山犬(やまいぬ)()している似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)は面白くない。


「ああ? アクタ、何だって? いま何か言ったかな?」


「これ以上、ウツロを侮辱(ぶじょく)するのは許さねえ、そう言ったんだよ、クソ親父っ!」


 アクタはますます語気(ごき)を強めて、「弟」に暴虐(ぼうぎゃく)を働く「父」を牽制(けんせい)した。


 その双眸(そうぼう)には目の前の暴君(ぼうくん)を、曲がりに曲がった「ロクデナシの父親」を、何としても正気(しょうき)(もど)そうという、「息子(むすこ)」の(せつ)なる願いが宿されていた。


 しかしそんな純粋な気持ちなど、われを忘れた山犬の耳には届かなかった。


「ああ、お前な、口の()(かた)に気をつけろよ? 育ててやった(おん)も忘れてからに、このゴミ風情(ふぜい)が!」


 似嵐鏡月はいっこうに折れない。


 それどころか、さらに激しく「わが子」を罵倒(ばとう)する。


 つらかった、アクタはつらかった。


 それでも、俺がやらなければ……


 俺はウツロを、弟を守る――


 そう、(ちか)ったじゃねえか。


 負けねえ、俺は負けねえ……


 絶対に、だ――!


 彼の覚悟は鉄壁(てっぺき)だった。


 腹は決まった――


「俺はゴミじゃねえ! それにウツロも、毒虫なんかじゃねえ! てめえこそ口の利き方に気をつけろ、このクソ親父が!」


 似嵐鏡月はしかし、すっかり(あき)れた顔をしている。


「アクタあ、おやおや、『親』に向かってそんな口を利いて、いますぐ息の根を止められたいのかなあ?」


 アクタの勇気もこの男には、まるで溜飲(りゅういん)が下がっていない。


 何かわけのわからないことを(わめ)いている、バカがいるな――


 その程度にしか映っていないのだ。


 どうしてだ、どうしてわかってくれないんだ――


 アクタは苦しかった。


 だが、負けるか。


 ここで負けて、なるものか――


「てめえなんざ『親』じゃねえ。『親』とは認めねえ。俺の『弟』を侮辱するようなやつはな! それに、息の根が止まるのは、てめえのほうだ!」


「あーあ、何も死に急ぐことなど――」


「これでも、食らいやがれ――!」


「なにっ――!?」


 アクタは大地を()って高く跳躍(ちょうやく)した。


「目え、()ましやがれ、クソ親父いいいいいっ!」


 そのまま山犬の腹にタックルを決めた。


「ごおっ!?」


 あまりの衝撃(しょうげき)に似嵐鏡月は、手に(つか)んでい真田龍子(さなだ りょうこ)(ほう)()した。


「きゃあっ!」


 空中に(はな)たれた彼女は、地面に激突しそうになった。


「させるかよっ!」


 山犬の腹をステップ台に、アクタは真田龍子をすくい取り、そのままトンボ(がえ)りをした。


 そして気絶している真田虎太郎(さなだ こたろう)のそばへ着地(ちゃくち)した。


「あ、ありがとう……アクタ、さん……」


「いいってことよ」


 彼女をやさしく地面へ下ろすと、アクタは真田虎太郎をゆっくり(かか)えて、姉のもとへゆだねた。


「あの、わたし……」


「ウツロがさんざん世話になったようだ、その、真田さん……ありがとう。『兄』として、礼を言わせてもらう。本当に、ありがとう……」


「あ、そんな……わたしは、何も……」


 似嵐鏡月からさんざん罵倒(ばとう)され傷つけられた彼女を、アクタはなんとか(なぐさ)めようと思った。


 同じ「弟」を持つ者として――


「あんたにも、『弟』がいる。だがあんたは間違っても、『弟を不幸にする存在』なんかじゃあ、ねえ。気休めかもしれねえが、あんたを見てればわかる。どうか弟を、虎太郎くんを守ってやってくれ。それはきっと、あんたにしかできねえことなんだ」


「あ、う……アクタ、さん……」


 正直な気持ちからだった。


 自分もボロボロになりながら、気づかいを見せてくれる彼に、真田龍子はうれしかった。


「大丈夫。あんたなら絶対、大丈夫だ」


「アクタ、さん……あり、がとう……」


 彼だって心をズタズタにされているのに、わたしのことをこんなに案じてくれている。


 彼女はその強さにむせび泣いた。


 似嵐鏡月は眼前(がんぜん)でのやり取りにすっかり呆れている。


「ふう……はあ、アホらしい……お涙頂戴(なみだちょうだい)小芝居(こしばい)か? 弟を守るだとか何とか、どうすればそんな白々しい茶番(ちゃばん)が演じられるのかのう」


「てめえにゃ、ぜってえ……永遠にわかんねえよ……!」


「……なんか、ついさっきも聞いたようなセリフだな。頭の悪い奴は同じことしか言えんのかあ?」


 人の痛みなどわからぬ、「(おろ)かな父」――


 アクタはそれを決然とにらみ上げた。


「……頭がわりいのは、てめえだろ……」


柾樹(まさき)っ――!」


 やっと覚醒(かくせい)した南柾樹(みなみ まさき)が、似嵐鏡月を(いさ)める。


「……目の前にいるのが、誰か……わからねえのか……てめえの『息子』、だろ……アクタが、どんな気持ちか……考えたこと、あんのか……」


「おやおや、生ゴミの柾樹くん、まだ生きていたのかね? とっくにゴミの処分所(しょぶんじょ)に送られたのかと思っていたよ」


「いいかげん、目え覚ませっつってんだろ……そんなんだからバカにされる……親父にも、姉貴にも……それが何でなのか、てめえこそ『なんじに問え』ってんだ……この、クソ親父が……!」


「まだ言うか()(ぞこ)ないが! 本当に今度こそ息の根を止めてしまうぞ!?」


 彼にはこの山犬が、なんだか滑稽(こっけい)なピエロに見えてきた。


「へっ……」


「……何がおかしい?」


「弱い犬ほどよく()える、ってか……」


「きっ、貴様あああああっ!」


 アクタたちへの注意を()らす意味もあったが、それ以上に、「バカは死んでも治らない」という、率直(そっちょく)な気持ちからだった。


「待ちな、親父――」


「ああっ?」


「その男に、南柾樹に指一本でも触れてみろ、俺が叩きのめしてやる。そう言ってるんだぜ、親父よ?」


 アクタは似嵐鏡月の注意を、逆に自分に引きつけた。


 南柾樹の矜持(きょうじ)に、アクタも改めて覚悟を決めたのだ。


「おやおや、困ったの。この()(およ)んで虚勢(きょせい)か、アクタ?」


「虚勢じゃねえ、俺は本気だぜ?」


 南柾樹は不安を禁じえなかった。


 アクタは、死ぬ気だ。


 やめろ、それだけはやっちゃいけねえ……


「……よせ、アクタ……」


 彼はなんとか、それだけは止めなければならない――


 そう思った。


「本当に殺すぞ、アクタ?」


「やってみろよ、腰抜けのクソ親父!」


「貴様あっ!」


「やめろ、アクタっ!」


 「父」を挑発(ちょうはつ)する「息子」を、南柾樹は(おさ)えようとした。


 だが、アクタの決意は()るがなかった。


「マサキっ、ウツロが世話になった! 短けえ間だったが楽しかったぜ! 最高だよ、あんた! だからどうか……どうかウツロを、『弟』を頼む……!」


「アクタっ、よせっ、よせええええっ!」


「俺がこいつを、クソ親父を連れていく! さよさらだ、マサキっ!」


 やはり最悪のことを考えている。


 なんとしても止めなければ――


 しかし彼の体はとても動かせる状態ではなかった。


 アクタはもう一度、山犬に向かって高く跳躍(ちょうやく)した。


「ふん、望みどおりにしてくれるわ!」


 似嵐鏡月は向かってくるアクタへ向け、(こぶし)(にぎ)って(なぐ)りかかった。


 しかし――


「何っ――!?」


 動きを予測していたアクタはその手をすり抜けてステップにし、さらに高く()んで山犬の背後を取った。


「ぐうっ――!?」


 アクタのたくましい両腕が、似嵐鏡月の首を(とら)える。


 チョーク・スリーパーの要領で一気に()()げた。


「ぬ……ぐぬっ……!?」


 その手を振りほどこうと、山犬は手を振り回して(あば)れた。


「させねえぜ、これでも食らいな!」


「――っ!?」


 アクタはさらに両脚(りょうあし)をも(から)みつかせ、全身の力を()(しぼ)った。


「うっ……ぐ……ぬう……!?」


 アルトラの能力によって凶暴な(けもの)に変身しているとはいえ、首という肉体上の弱い部分、さらにはアクタの剛力(ごうりき)でフルパワーに締め上げられているのだ。


 さすがの似嵐鏡月も息が苦しくなってきた。


「がが、やめろ……やめんか、ゴミが……!」


「ぐがあ――っ!?」


 山犬はアクタの背中にその(するど)(つめ)を立てた。


 ()えがたい激痛が走る。


 だが、放さない。


 アクタはその手を、(あし)を――


 まだどこかに期待があった。


 目を覚ましてくれるのではないかという、期待が――


「……やめろ、アクタ……やめてくれ……」


 ウツロが何か言っているな。


 もう俺の耳には、よく聞こえない。


 でもなウツロ。


 お前は、お前だけは生きるんだ。


 そしてきっと、幸せになってくれ。


 生きろ、生きてくれ、ウツロ――!


「ぐうう……アクタあ……放せえええええ……!」


「……あんたが死んだって、泣いてくれるやつなんか、いやしねえ……! だから俺が、せめて俺が……!」


「ならば、こうしてくれるわあっ!」


「――っ!?」


 似嵐鏡月はアクタを鷲掴(わしづか)みにして、力強(ちからづよ)(ほう)()げた――


「ぐふうっ――!?」


 ああ、アクタは桜の大木(たいぼく)に、したたかに打ちつけられた。


 そのままズルズルと落下し、彼は動かなくなった。


「あ、あっ、アクタあああああっ!」


 口の中からナイフが飛び出すような絶叫――


 そのナイフはウツロの(のど)だけでは()きたらず、心までも()()いた。


「ふん、ゴミが。当然の(むく)いよ」


 「息子」をさんざん痛めつけておいて、似嵐鏡月はハエを()(はら)ったようなため息をついた。


「あ……あ……」


 ウツロは顔を両手で押さえながら激しく嗚咽(おえつ)している。


 いまにも呼吸が不可能になりそうな感覚――


 苦しい……


 死ぬ、死ぬ……


 う……


 彼の中で、何かのスイッチが入った――


「ウツロ、落ちつけ……!」


 いけない、このままでは危険だ。


 鋼鉄の棺桶(かんおけ)のように重い体を引きずりながら、南柾樹はウツロのほうへ何とか近づこうとする。


「ぐ……クソっ……!」


 だが、言うことを聞いてくれない。


 似嵐鏡月にやられたダメージは、桁外(けたはず)れに大きかった。


 そのとき――


「あ……が……ああああああああああっ!」


 ウツロに異変が(しょう)じた。


 皮膚(ひふ)の色がものすごい勢いで(にご)っていく。


 ヘドロのような(きたな)らしい色合(いろあ)いだ。


 そして増殖(ぞうしょく)するように(ふく)らんでいく。


「これは、いったい……」


「アルトラよ……」


(みやび)っ!?」


 すぐ近くに(たお)れていた星川雅(ほしかわ みやび)がようやく目を()まして、南柾樹に語りかけた。


「きっと、アクタを傷つけられたショックで……ウツロのアルトラが、発動したんだわ……」


「マジ、かよ……」


 南柾樹は言葉を失った。


 ウツロは頭を(かか)えながら、それを縦横無尽(じゅうおうむじん)に振り回して、(もだ)(くる)しんでいる。


 その間にも全身は泥人形(どろにんぎょう)のように崩れていく。


 変わり果てていくその姿に、弟を()きかかえながら、真田龍子は全身を(ふる)わせ、おそれおののいた。


「ウツロくん……」


 変貌(へんぼう)が止まったとき、彼女は絶句(ぜっく)した。


 ウツロの姿は(みにく)い、おぞましい、異形(いぎょう)毒虫(どくむし)(へん)じていた――


(『第69話 毒虫(どくむし)』へ続く)

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