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桜の朽木に虫の這うこと  作者: 朽木桜斎
第2章 出会い
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第35話 予兆

 日も()れかかる頃。


 ウツロは目を()ましていたが、敷布団(しきぶとん)の上にうずくまって、なかば放心(ほうしん)していた。


 橙色(だいだいいろ)西日(にしび)が、彼の陰鬱(いんうつ)な気持ちに拍車(はくしゃ)をかける。


 考えがまとまらない。


 やはり(おれ)の見てきた世界は、あまりにも小さすぎた。


 人間についてわかったつもりになっていたけれど、実際はとても複雑だった。


 人間には表面と内面がある。


 それは一概(いちがい)に、良いとか悪いとか決められるものではないだろう。


 人それぞれ、ということだ。


 星川雅(ほしかわ みやび)


 彼女は邪悪な内面を、しとやかな表面で(おお)っている。


 しかしそれだけで「悪い存在である」と決めつけられるだろうか?


 彼女は彼女で、何か(かか)えているものがあるのかもしれない。


 他者(たしゃ)平服(へいふく)させたいという欲求(よっきゅう)、もしかしてそれと、必死に戦っているのかもしれない。


 安易(あんい)に悪だと(だん)じるのは、早計(そうけい)にすぎるのではないか……


 南柾樹(みなみ まさき)


 彼は俺と同じだった。


 俺と同様、強すぎる自己否定(じこひてい)衝動(しょうどう)と戦っていたのだ。


 俺はその表面だけを見て、彼を傷つけてしまった。


 自分だけが不幸だと思っている……


 そのとおりだ、彼の言うとおりだ。


 柾樹の苦しみは、俺にはわからない。


 いや、人の数だけ苦しみの形があると、いえるのではないか?


 苦しみとはひとつの個性なのかもしれない。


 やはり良くも悪くも、だけれど……


 そして真田虎太郎(さなだ こたろう)くんと、真田龍子(さなだ りょうこ)さん。


 俺なんかには理解しえないほどの苦痛(くつう)苦難(くなん)、それをあの姉弟(きょうだい)は味わっているんだ。


 ()(はか)ろうとするのは、()骨頂(こっちょう)だろう。


 他者(たしゃ)の苦しみなど、理解するのは不可能だ。


 (あゆ)()りはもちろん必要だけれど、「わかった気になる」のは最低だ。


 それはまさに、俺がやっていたことではないのか?


 俺はひとりよがりな思い込みで、みんなを傷つけてしまった。


 罪深(つみぶか)行為(こうい)、やはり俺の存在は、間違っているのではないか……?


 ウツロの卑下(ひげ)は止まらない。


 彼は沸騰(ふっとう)しそうになる思考(しこう)を、なんとか(こら)えた。


「やっぱりここは、俺なんかがいていい場所じゃない。分不相応(ぶんふそうおう)にもほどがある。毒虫が人間になろうだなんて、生意気だったんだ……」


 いまは無理でも、(すき)を見てここから抜け出そう。


 ウツロはそう思案(しあん)した。


 窓辺(まどべ)数羽(すうわ)のスズメが、ちゅんちゅんと(さえず)っている。


 その鳴き声は、いまの彼にはどこか、物悲(ものがな)しく聞こえた。


 そうだ、ここを去る前に、もう一度だけ目に焼きつけておこう……


 「世界」のありさまを。


 ウツロは影を落とすようにふらふらと、ベランダのほうへ足を運んだ。



 (さん)の上に両手を(あず)け、おそるおそる眼下(がんか)をのぞいてみた。


 学生服を着た下校中の高校生数名が、談笑(だんしょう)しながら歩道(ほどう)を歩いている。


 あれが学生……


 学校というところにかよっている人たちか。


 俺と同じくらいの年頃(としごろ)だ。


 なんて楽しそうな顔だろう。


 俺もあるいは、あそこにいたかもしれないのに……


 いや、そんなことを言っても水掛(みずか)(ろん)だ。


 わかっている、わかっているけれど……


 ウツロは(せつ)なくなった。


 本音(ほんね)を言えば、当たり前が良かった。


 家族がいて、学校へ行って、いつかは社会へ出る……


 そんな当たり前を、自分は持つことができなかったのだ。


 駄目(だめ)だ、いけない。


 それではお師匠様(ししょうさま)や、アクタの存在を否定することになってしまう。


 余計(よけい)なことを考えるな、いいじゃないか。


 あるがまま、与えられたものを受け入れなければ……


 相変(あいか)わらず発動(はつどう)する循環論法(じゅんかんろんぽう)嫌気(いやけ)がさし、彼は部屋の中へ(もど)ろうとしたとき――


「……ウツ……ロ……」


「――!」


 桟の上にとまっている一羽(いちわ)のスズメが、なんとこちらに語りかけてくるではないか。


「……これは、アクタの『口寄(くちよ)せ』か……!」


「……ウツロ……俺は逃げのび……いまは、人首山(しとかべやま)(ひそ)んでいる……お師匠様も、一緒だ……早く、お前に、会いたい……人首山まで、来てくれ……」


 それを言い終えると、スズメは正気(しょうき)に返ったらしく、どこかへ飛び去っていった。


「アクタ、お師匠様、ご無事で何より……! 人首山……早く、行かなければ……!」


 ()()()のまま、ウツロは(あわ)てて部屋を出た。


(『第36話 脱出(だっしゅつ)』へ続く)

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