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鬼の棲む家   作者: たまさ。
6/52

5

良い、といわれた言葉に素直に従い、雪花は十分風呂で体を洗い、温め、気を落ち着かせてから浴室を出た。

 脱衣所に置かれている着物が変わっていることに気づく。

それは明らかに雪花の着物ではなく、質は良いものの少し古い着物。首をかしげはしたものの、他に着替えるものもないのでとりあえずそれをきちんと着込み、濡れた髪を軽く結い上げて櫛で止める。そうして浴室を離れれば、いつもよりなんだか慌しい様子に眉を寄せ、それでも一度自室に行かねばと重い足を離れへと向けた。


――が、離れのほうがもっと(あわただ)しかった。

「ああ、雪花さん」

下女が雪花に気づいて軽く手を出して押し留める。

「離れは今駄目です。畳をはがしたり障子をとったりしてもらってますから。

母屋のほうの空き部屋をとりあえずは使うようにって」

言いながら、雪花の二の腕をぽんっと叩くようにしてむきを変える。

「詳しいことは旦那様にお聞きください」

ミノではなく旦那様?

雪花は眉間に皺を刻んだが、ミノに聞くよりも確かに主がいうことのほうが良いのだろうと雪花はそのまま主の部屋へと足を向けた。

 雪花は主の部屋の障子の前で座り、こつこつと床を二度叩いた。

「入れ」

すでに着流しに酒といういつもの様相となった嘉弘は気だるい口調で応え、雪花は障子の下に手を添え、二度に分けて開いた。


 頭を下げれば主は視線を外へと向けたまま、

「懐剣で狼藉者の腕を切ったそうだな」

突然そういわれ、雪花は下げた頭を半ばで留めた。

「生ぬるい」

――?

「人を切るというのはおまえに何をもたらした?

ためらいは無かったか? 血は騒いだか? 息の根を止めようとは思わなかったか?」

珍しく饒舌な主は、猪口の酒をくいっと飲み干し、ふっと口元に笑みを浮かべた。

「来い、雪花」

酌をせよというのか。

雪花は立ち上がり縁側に座る主の近くに座り、ぐっと手首をつかまれて崩れるようにその肩口に額をぶつけた。

 慌てて身を離そうとしても、男の手が雪花の手首を掴み抑える。

「血は、おまえをかえはしなかったか?」

「――」

 まるで挑発的に唇を歪めて言う男を睨み、雪花は息を詰めた。

顔が、近い――


「俺は人を切ると、血が(たぎ)る。

おまえは?――何も感じなかったか?」

唇が触れるほど近くで、その吐息が雪花の唇で水滴になるほどに近くで、男はまるで酔うように語る。

 雪花はその距離から逃れるようにとらわれていない手を床につけて身を突っぱねる。

「あの程度で腰を抜かすようでは」

クッと喉の奥が鳴った。

「俺を殺そうなどと夢のまた夢だ」

「!!」

雪花は心臓を掴まれたように息をつめ、楽しそうに間近から自分を見つめる瞳を凝視した。

まるで闇のように深い……瞳。

 つかまれていた腕が、突き放すように外された。

その勢いに背後に弾かれる。

 何が楽しいのか、嘉弘は喉の奥を鳴らして笑い、視線を庭へと向けた。

「離れのものは全て処分する。

ミノに命じてある。着物も飾りも全てだ。しばらくは母屋に部屋を用意させる。足りないものは明日揃えさせる。今日はもう休め」

 下がれ、と命じられた。

雪花は自分の胸元を抑えながら、ハッと息をつく。

「……」

話したくない。

けれど、けれど。

雪花は絞るように、枯れ果てた声をやっとの思いで口にした。

「か……」

一音が、掠れた。

けれど言わなければならない。


掠れる声に、喉が痛む。

怪訝に嘉弘は眉間に皺を寄せて雪花を見た。

 喉が痛むのは言葉を使わなかった代償だ。雪花はそれでも言わなければならないと判断した。

無礼を承知で、盆の上にある猪口の酒へと手を伸ばし、喉へと流す。一旦留めたのは過ちで、途端にそこが焼け付くような気を味わった。

できればうがいしたいが、一息に飲んだ。

「か……ん」

必死に言葉にすると、やっと音は口をついた。

少し喉に絡む気もすれば、また自らの声としてどこか違和感もある。

雪花の知る自分の声といえば、もっと高いものだったと思うのに……

必死に言葉を、落とす。

幾度かからみ、その音程さえも慣れぬ口がやっと言葉を吐き出すのには苦労した。

「懐剣も、処分、なさるのですか?」

雪花の言葉をはじめて聞いたであろう主は、一瞬瞳を見開いたがすぐにふっと鼻で笑った。

「そのように命じた」

「あれは、いや、です」

「いいや。あれも処分する」

「あれはっ」

声を必死にあげる雪花に、嘉弘(よしひろ)は笑う。

「他人の血を吸った剣などで切られてやりたくはない」

「……」

 悔しそうに息を詰めた雪花に、ふと嘉弘は口の端をゆがめた。

「――手入れを済まして戻せばよいな?」

「……旦那、さま?」

「開きたく無い口すら開いて望んだものならば、無下にするのも忍びない」

 それがおまえの望みなら、と続け、嘉弘は顎で外を示した。

「下がれ」

雪花は深く頭を下げ、部屋を辞した。



雪花には判らない……

闇色のあの男の心が。


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