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鬼の棲む家   作者: たまさ。
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4

悲鳴をあげたのは、雪花ではなく六蔵だった。

「や、やりゃあがったな、小娘!」

ばっと散った赤い血が、雪花の顔をぬらした。

引き抜いたままの勢いで、雪花がその懐剣をひるがえし男の腕を切ったのだ。


男の瞳が血走る。勢いのままにもう片方の手を伸ばし、雪花の懐剣を取り上げようとするから、雪花は必死にそうはさせるまいと身をよじった。

 床に背を預けた雪花はどうしても不利な状態で、必死に抵抗する。

だが手負いの獣はその怒りのままに雪花へと害意を膨らす。

「小娘ぇぇぇっ」

雪花の手にある懐剣が、そのまま男の力も加わり雪花を傷つけるのは時間の問題だった。

ぎりぎりと押しあう刀が小刻みに震える。

 六蔵がさらに力を加えようとしたところで、がんっという音と共に縁側の障子が開かれ、雪駄の足が畳を踏みつけた。

「わしの居合切りをその身に受けるか、下郎!」

低い恫喝声は、この屋敷の道場で指南する山田浅右衛門吉次やまだあそうえもんきちじ――先々代の隠居のものだった。

「ひ、ひぃっ」

六蔵が悲鳴をあげて腰を落とす。


咄嗟に腰が抜けた男の胴に、鞘に入れたままの刀で吉次は力任せになぎ払う。男の体が容易く左へと投げ飛ばされ、あとからやってきた門下生達によって取り押さえられる。

 雪花はくたりと体の力を抜かした。


「雪花や、無事か?」


先ほどの威圧など微塵も見せず、吉次は身を伏して雪花に問い掛ける。その時には吉次の右腕である有村藤吉の手が雪花の腕の下へと入り、体を支えた。

「雪花さん? どこか怪我は?」

 いつもは飄々とした様子の有村が真摯に尋ねてくる。雪花は大きく喘ぐように酸素を求めながら、怪我は無いという意思表示に首をゆるゆると振った。

 力を失った雪花のかわりのように、有村の手が雪花の着物を整える。それを一瞥し、吉次は取り押さえられた男の方へと足を向けた。

「おまえ、どんな目的で雪花を襲った?」

低く恫喝。

門下生に腕を捻じ曲げられ、顔を床につけるようにしながら六蔵は泣き笑いの声で答えた。

「ほ、ほんの少しばかりの……悪戯心で」

「ほぅ?」

「あっしは、あっしは悪くありやせんっ」

蔑むような吉次の様子に、六蔵は慌てて声を張り上げた。

「あっしはっ、そっちの娘さんに誘われただけでやんすっ」

 其の言葉に雪花は驚愕して身じろぎした。

有村が不快に顔をしかめ、雪花の体を起こすように支える。

「へ、へへへ、ちょっとした火遊びじゃあないですか」


 雪花は体をこわばらせ、ぎゅっと有村の袖口を掴んだ。

身が震える。

何か、何か――弁解の言葉を。

 引きつれる喉を動かそうとすれば、有村がぽんっと雪花の肩を優しく叩いた。

「その下衆を連れていけ。

そうだな、二番蔵にでもくくっとけ。今ごろ良いものが見れるじゃろ」

冷たく言い放ち、まるで犬でも追い払うように手を振る。

それからぐるりと室内の惨状を見回し、吉次は肩をすくめた。

「平気か、雪花?」

 やっと上半身を安定させれば、雪花はこくこくとうなずく。

苦笑するように吉次は口元をゆがめ、自らの着物の袖口で雪花の顔をぬぐった。飛んだ血で汚れた顔に、慈愛をこめて。

「すぐに畳も障子もかえさせような。今宵は母屋にでも床をおとり」

好々爺の様相で言う吉次に、有村が顔を顰める。

「まさかさっきの男をそのまま放置するつもりじゃありませんね?」

「二番蔵で反省させたのちはここの主殿が処断するだろ」

二番蔵という言葉に有村が肩をすくめる。

「まぁ、素人には十分反省になりますでしょうがね」

意味ありげな様子に、雪花が回答を求めようと有村を見れば、有村は苦笑した。

「いや……今ですね、二番蔵で医者の方々が……いえ、失礼。なんでもありません」

 女子供に言う言葉ではないと、慌てて有村が言葉を濁したが雪花とて相手の意味することは理解した。


――腑分(ふわ)けをしている、のだろう。

 罪人として処断された遺骸を、医術の発展の為に医師たちが時々開いて学んでいるというのは知っている。それが良いことであるか悪いことであるのか、はなはだ雪花も判らない。

 ただ断罪された死体の所有権は全て山田浅右衛門にある。その遺骸を腑分けしたいと医師からの要請があれば幾ばくかの金額でもってそれの段取りもつける。そして内臓器を医薬品として取扱い、販売するのもまた山田浅右衛門の専売だった。

 武士ではないただの浪人としての扱いながら、山田浅右衛門は並みの武門よりも裕福だといわれる所以である。

その石高は三万石。雪花などにはとうてい理解できるものではない。

 その時になってやっと慌ててミノが現れ、雪花はミノによって風呂場へと連れ出された。

「何事もなくてようございました」

 一人で風呂に入るのも心細いだろうと、ミノは雪花の風呂に付き合った。

「それにしても、まったくなんて男だろう! この屋敷が山田浅右衛門の屋敷だと知らぬわけじゃなし!」

 ぶつぶつと文句を言うミノに構わず、雪花は眉をひそめてせっせと自らの首筋、触れられた胸や足を丹念に何度も何度もこすり洗った。

 赤くなるのも構わずに、何度も何度も。

ただひたすらに気持ち悪かった。

それを痛ましいというように見つめ、ミノは大きく息をついた。

「雪花さん」

ふいにミノの声の調子が変わる。

「こんなことがあった後で言うのもなんだけれど――」

雪花は振り返りミノを見た。

「今夜あたり……」

其の言葉にかぶせるように、慌てたような女中の声が浴室に入り込む。

「ミノさん、雪花さんっ、旦那様がお帰りですっ」

「ああ、はい。はいっ、今出ますよっ」

ミノは慌ててざぶりと湯船から立ち上がり、雪花は体の汚れを湯桶で流した。

「雪花さん、あんたはいいよ。髪だってまだ濡れているしね。

身支度が済んだら旦那様に顔だけはおだしよ?」

ミノは溜息交じりに微笑んだ。


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