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鬼の棲む家   作者: たまさ。
ふたたびの春
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 曇天――確か、そのように言うのだと、いつだったか教えてくれたのは誰だったであろうか。吉次であったような気もすれば、失われた父であったようにも思える。

 うす曇が一面にたちこめる空は重く低く、いつ雨の一粒が足元を湿らすだろうかとすら思われる頃合。

 庭に敷かれた玉砂利を蹴散らす音に、雪花はそれまで空へと向けていた視線を道場のほうから駆けてくる未だどこか幼さを滲ませる少年へと向けた。


「母上」


簡素な道着に木刀を下げた元服前の少年は、走る勢いのままに言葉を乗せて口にし、途端にばつが悪そうに悪戯子のような笑みを浮かべて見せる。

 ふと、以前にもこんな風に誰かと対峙したことがあるような違和感を覚え、夢であったであろうかと小首をかしげたが思い出せずに苦笑する。

「隆さんが私を母という時は、決まって何かたくらんでいる時ですね」

「企むなんて。お願いがあるだけですよ」

 八つの子供は、今や数えで十四――次の春には髪を整え、元服を済ませることとなる。もとより武家の子、名を受けることに気負いは無いようであったが、このところは何事か思い悩んでいる様子も見せていた。

 年を取るにつれ、自分が何者になるのかをひしと感じ、嫌気でもさしたのであろうかと心配はしたものの、それとは違うと苦笑する。

 雪花としては、自らの子には人切りなっては欲しくないという我儘を隆に押し付ける負い目を感じていたこともあったが、隆は雪花が気をもむことなど関係無く、嫌なことは嫌だと言い切る成長を見せていた。

「名白様から、吉の文字を頂きました。

隆の名の前に吉をつけて、吉隆――名を改めようと思います」

 背筋を伸ばしてきっぱりという隆は、今では背すら雪花を超えてしまった。子供の正義感で悪を断ずるのだと言っていた子供が、山田浅右衛門の技を覚え、その果ての結果を幾度も見つめ、吐き、泣き、逃げ出し、そして今はまだここに居る。

「……俺が、山田を継いで本当にいいですか?」

「それが貴方の望んだ道であれば、否はありません。

誰かに押し付けられた未来であれば、御様御用にはなれぬと逃げても良いのです。貴方が自ら望むなら、貴方がその道を選ぶのであれば、どうぞ求めるままに」

 好きにしろ――

ふいに、嘉弘の不機嫌な声が耳によみがえり、雪花はくすりと小さく笑みをこぼした。

「貴方は、誰にも左右される必要はありません。

貴方は好きな様に生きてよいのです」

 嘉弘の言葉をそのままに、想いをこめてなぞり上げる。

「あなたは、誰にも縛られてなどいない。

自由なのですから」


***


自由の中で――オレを、選べ。


嘉弘は静かだった。

眼差しだけで雪花を捕らえ、応えを緊迫の中で求める。

本当に良いのかと、雪花はくどい程に口にした。

何故なら、腹には子がいて、それを嘉弘が望んでくれるのかどうかが未だ恐ろしかったからだ。

 無関心では無いのだとは、もう信じられた。女としての体だけを求められているのではないとも思えた。だが、子は? 子まで、引き受けてもらえるものであろうか。

 本来我慢強いほうではない嘉弘が、我慢強く雪花の言葉を待つ。ようやっと、腹の子を告白しようと開いた口――それを止めたのは、ばりりと何かが割れる音だった。

嘉弘の静けさと、自らの心の静けさの間――その静寂を破ったのは意表をつく奇妙な音。

 庭木の折れる音ともまったく違う音が二人の間を割り入ったのだ。

「ちょっ、今いいところなのにっ」

ついで聞こえたのは、潜めた低い叱責。ごそごそという物音。

嘉弘の視線と、雪花の視線は示し合わせるように一点へと向けられた。

部屋の左手――中庭に面した障子。

雨戸を閉められていない縁側にあるのは二つの影で、一つは少し丸みを帯びて。もう一つはひょろりと長い。

 もう一度ばりりと音がし、ついで続いたのは、到底上品とはいえない咀嚼音。ずずっとわざとのようにすする茶の音に、嘉弘は肩口を震わせて音もさせずに障子に寄ると、一息にそれを引き開けた。


「何をしているんだ、ジジイっ」

 低く怒りを内包した声音は、到底雪花では受け止めきれぬ程に恐ろしいものであったが、言われた吉次は暢気な様子で返した。

「おぅ。気にするでない。わしはいつも通り縁側で茶を飲んどるだけじゃ。

のー、有村?」

 縁側に座り、隣の有村に相槌を求める吉次に、同じく縁側に座り湯のみを握り有村が微笑む。

「一応私はとめたのですが」

「何を言うとる。有村、そうやってわしのせいだけにしようというのは汚いぞ。お主だとていそいそと茶を置いたではないか」

「そんなこともありましたね。当代もいかがですか? 瓦せんべいお好きでしょう? ああ、ざらめのせんべいのほうが良かったかな。子供の頃は甘いものには目がなくて氷菓子の食べ過ぎで腹を下したり――」

「下らぬことを言うな。

そもそも、お前達が普段茶を飲んでいるのは離れの縁側だろう」

 怒る嘉弘と、暢気な有村という対を見たのははじめてで、雪花はおろおろと二人を交互に眺めやることしかできなかった。

「仕方あるまいて。離れは誰もおらんでのー。つまらんつまらん。

じゃから何やら楽しそうなこっちでこっそり茶を楽しんでおったんじゃがのぅ。ああ、わしらのことは気にせず痴話喧嘩なりなんなり続けてよいぞ。お主が女子(おなご)の扱いに困り果てているのを見るのは木戸銭を払うてもよい程じゃ」

「昔からしゃべるのは苦手でしたからねー。腹をたてると地団駄を踏んでものを壊すのが常のそれはそれは見事な糞餓鬼でしたけれど、まさかそのまま大人になるとは思いませんでしたね」

 有村の追随に、嘉弘の怒りが更に膨れ上がるのが感じられ――どう仲裁に入るべきかと雪花がおろおろとしていると、ふと思い出すように有村が「ああっ」と声をあげた。


「雪花さん」

「はいっ」

 突然名を呼ばれ、雪花は必要以上に大きな声をあげてしまった。

何より、突然の二人の出現に驚きばかりが先にたったが、もしや先ほどまでの嘉弘との会話を全て聞かれていたのかと思えば羞恥がたちのぼる。

「我慢くらべは終わりのようですから、山田の離れにお戻りなさい。それとも……やっぱりうちに嫁に来ますか? 何、腹に別の男の子共が居ようとも私は歓迎致しますよ」

 かぁっと頬に血がのぼり、言わなければいけないことを先に言われてしまったことで混乱した雪花を腕に抱きこみ、嘉弘は驚いた様子で目を見張った。

 子を拒絶されるのではと身がすくんだが、すぐに気を戻した嘉弘が口にしたのは別だった。


「三行半は出してない。雪花はオレの嫁だ」


***


 同年、雪花は元気な女の子を産み落とし、ミノを喜ばせ、小さな娘の出現に女の扱いを知らぬ嘉弘は随分と振り回されるようになる。

 その後、隆改め吉隆は山田浅右衛門を名乗るが、その際浅の文字を朝と変える。

養子である自分には山田浅右衛門を名乗るのはおこがましいと。


朝――明けぬ夜は無い。


人々に忌み嫌われる汚れ仕事を引き受け、莫大な報酬を得ていた山田浅右衛門は悪鬼の如く語られることも多い。

だが、彼らもまた心を持つ人である。


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