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鬼の棲む家   作者: たまさ。
ふたたびの春
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2

 何の文字もない小さな墓――それでも、そこに父と母が眠っているのだといわれればすとんと信じられた。

 本来であれば罪人に墓はない。

あってはならぬ。

ましてや御様御用として使われた罪人の体は山田浅右衛門預かりとなり、腑分けされて薬として処理される。僅かに残る骨でさえ、まとめて無縁仏に成り果てる。そのうちの一欠片、ほんの僅かかもしれなくとも墓に収められているとすればそれは上々といえるだろう。

 生きていてはいけないのだという罪悪感が、とろりと溶ける。

父は娘の生を望んでくれた。

最後の最後――一人残るのは辛かろうと。

けれどその生を望み、自らを手掛ける山田浅右衛門嘉弘に雪花を託してくれた。

 そっと墓石に触れ気持ちを落ち着かせると、雪花は嘉弘を見返し――微笑んだ。

ありがとうと、口にするには照れくさく、どう伝えてよいか判らず。雪花は以前慣れ親しんだ所作で嘉弘の手をとり、その平にゆっくりと文字を刻んだ。


「――帰るぞ」


ぷいと横を向き、淡々と返される言葉にうなずき、もう一度墓を見返して――頭を下げる。

雪花は桜が散る頃にもう一度訪れようと心に定めた。未だ一人で外を出歩くことは難しいが、父と母とに腹に子がいることをきちんと報告しなければいけない。

 父と母は呆れるだろう。武家の娘がなんたるざまかと叱られるやもしれない。それでも、少しは喜んでくれるような気すらしている。

「雪花」

 もたもたとしている雪花に、痺れを切らすように嘉弘が声を荒げる。慌てて身をおこせば、嘉弘はまたしても雪花の手首を掴んで歩き出した。息を切らしてそれをおいかけるうち、嘉弘の足の速度が落ちる。気付けば二人、同じ歩調で静かに歩む。

 その歩みが千住の山田浅右衛門の屋敷へと向かっていると知れれば、雪花は慌てた。

「だ、旦那、さまっ」

――今となっては雪花の主ではないが、他にいいようが無くそう呼びかけ、雪花はうろたえた。

「有村様のお屋敷にお連れ下さい。私は道が……」

 有村の屋敷がどこにあるのかも知らぬし、一人では到底道を歩けない。焦りのままに言うのだが、嘉弘はむっつりとしたまま雪花を引っ立てて――とうとう山田の門を乱暴にくぐっていた。

 突然の主の帰宅に屋敷のもの達が慌てだし、ついで主が雪花を連れていることに驚くがそれについて触れるようなものは居ない。

 慌てていつもと同じように玄関口に並び、廊下の奥からはミノが早足で顔を出した。

「あらあら、旦那様、雪花様お帰りなさいませ」

 嬉しそうなミノの声に申し訳ない気持ちになりつつ、雪花は今の時間であれば道場に有村がいるだろうと諦めた。一人で帰宅することは無理だが、有村や吉次と共に帰宅すればよいのだ。

 手首を捕まれたまま玄関を入り、左に折れて屋敷奥へと進んでいく。嘉弘の部屋まできても手は離れず、そこを過ぎて渡り廊下を歩み、とうとう以前雪花が暮らしていた離れへとたどり着くと嘉弘は乱暴に襖を開き、雪花の腕を引いて中へと引き入れた。

「旦那様、乱暴なっ」

 付いてきていたミノが憤懣の声を上げると、嘉弘は低い声で「ミノ、下がれ」と命じた。

嫌な予感がした途端、嘉弘の手が雪花を引き寄せていた。


「旦――」

抗議の声は薄い唇で塞がれ、抱きすくめられた体がその強い力にきしむ。

逃れようと腕をつっぱね、やっと外れた唇で抗議の声をあげようとすれば、射るような眼差しに貫かれ「黙れ」と命じられてしまう。

 いつもと変わらぬ嘉弘に、つい体の力が抜けてしまいそうになりながら――このままではいけないと雪花はもがいた。

 今となっては自分はこの家を出た身。嘉弘の妾では無い筈だ。嘉弘自身それを許したのではなかったのか。

 嘉弘の身勝手さと、自らの腹にある子を想い、嘉弘の体を押しのけようと力を込めた途端――嘉弘の瞳とかちあった。

 上からひたりと雪花を見つめ、唇をぐっとかみ締めるその様に、まるで自らが悪いかのような感情がわきあがる。

 ほんの数拍、からんだ眼差しに緊迫した空気がその場を満たしていく。

どうしてとか、何故とかいう言葉もかすれて漏れぬうちに、嘉弘の手が――雪花を捕らえていた手が雪花の首筋をなぞりあげ、そのまま髪に飾られた簪をはずした。

 一つ、二つ。しゃらしゃらと硬質な音を奏でる飾り簪、あでやかな花簪が無残に畳に落とされる。整えられた髪が乱され、着物の襟に手が掛けられるころあいに――切迫したような声が掛けられた。


「旦那様、お客様がお見えになっておりますが」

「追い返せ」

「あの、先代様でございます」

 困惑に満ちた声を背で受けて――嘉弘はチッと舌打ちすると、それまでの熱を逃すように吐息を落として雪花の頬をなぞり、身を伏せて口をすった。

「身を整えて部屋に来い」

「――帰ります」

胸元を押さえて切れ切れに言えば、嘉弘はもう一度唇を触れ合わせ、耳朶に囁くように言った。

「もう……行くな」

 すっと遠ざかる嘉弘の体温と空気に小さく身を震わせ、雪花は一人残された部屋でぎゅっと自分の体を抱きしめた。


 冷たい筈の眼差しに熱を感じ、囁きに懇願すら含ませ。

 心が、触れた気がした。

嘉弘の心が、雪花の心におそれるかのように触れた気がしたのに――腹の子が、そして嘉弘の跡取りとなるどこぞかの子が雪花の心を切り裂いてゆく。

 畳にへたりと座り、乱れた髪と着物をそのままに、せき止められていた感情が静かに暴れる。

 共にいたいと思えば、子が気にかかる。

もうどうして良いのか判らず、さらに身を縮めればキシリと渡り廊下が音をさせ、ミノの声が柔らかく呼んだ。

「雪花様、身支度を手伝いましょうね」

「……」

「あらあら、せっかくの衣装が台無しな。丁度新しいのが仕立てあがったところでよかった。簪も小間物屋が幾つかおいていきましたからね。良い品を選びましょう」

 まるで母が娘にするように、ミノは優しい口調で言いながら雪花の髪をなで、そのまま肩をぽんぽんと叩いた。

「お戻り下さいましてようございました。旦那様の機嫌もこれで良くおなりでしょう――さあさ、早く着替えませんとね。名白様と旦那様がお待ちでらっしゃいますから」

 言葉を口にしない雪花に構わずミノは続けた。


「おかわいらしいお客様もいらしてますよ」

 その意味が当初つかめなかったが、意味を理解するより先にすっと体内の血が足へと下がり体中の熱が引いていく。

 はっきりと言われた訳ではなくとも、それが誰を示すのか判ってしまった。


次期山田浅右衛門――嘉弘の、子。


 


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