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鬼の棲む家   作者: たまさ。
39/52

5

 心底呆れた調子の言葉に、雪花は瞳を瞬いた。

自分は何か阿呆なことを言ったであろうか? 戸惑いに吉次を見返せば、吉次はやれやれと肩を落としてしまう始末。

 まさにあきれ果てたという様相で、持参した餅菓子をほいと口の中に放り込んだ。

「アレもアレじゃが、雪花も問題じゃのぅ」

「……御前さま?」

「おじい様じゃ」

 またしても鋭く訂正し、吉次は口の中の菓子を嚥下する為にずずっと音をさせて茶をすすった。

「あやつの家に下女なんぞいるか。やたらかしましい下男がぴんしゃん働いてるわ」

「ああ……やっぱり人手は足りているのですね」

 だから困った顔をしていたのだろう。

優しい有村のことだ、雪花を思って声をかけずにはいられなかったのかもしれぬが、扱いに困っているのかもしれない。

「あの家に足りぬのは、嫁じゃよ、嫁」

 嘆息混じりの言葉に、雪花は小さく「嫁……」とつぶやき返し、やがてみるみるうちに頬が赤く染まるのを感じた。

「嫁――」

「やれやれ。もうちっとマシな言い方がないものかのぅ」

 あのぼけなすがとぶつぶつ言う吉次の前で、雪花は赤くなった頬は――急速に青くなった。

「それは……違います。嫁なんて。そんな風にとっては有村さまがおかわいそうでございます」

 何より、嫁?

自分が誰かの嫁になど――なれよう筈が無い。

そう思った途端、肝が冷えた。

 自分は嘉弘の妾なのだ。この身はすでに穢れている。そんな女が有村のような男に嫁げる訳が無い。

「あの……もしや、有村さまは妾が、欲しいとか」

 おそるおそる言えば、温厚な吉次がぎろりとその眼光を鋭くして雪花を見返した。

「阿呆もたいがいにせいっ。

まったくお主ときたらっ。あああ、いまどきの若い者はわからんっ。良いか、このことにわしはもう口出しせん。有村ときちんと話し合え」

 あまりの怒声に身を縮め、慌てて頭をさげる雪花だったが、吉次は憤慨するようにばたばたと縁側から庭におり――行きかけた足を一旦とめて言葉を足した。

「嘉弘ともよく話せ」


 そう……義弘と、話し合わねばならない。

言われるまでもないことだというのに、嘉弘と顔を合わせることがはばかわれる。

吉次の激昂に畳みに跳ね落ちた茶を布巾で拭きながら、雪花は細い肩に力を込めた。

 ともすれば嘉弘の――隠し子のことを、それを産み落とした女性のことを考えてしまう自分がいる。それを押しやり、無理やりに有村の家で働く自分を夢想した。

 ここは嫌。

ここには居られない。

何故なら……あの人の子を見つめることが、できそうにないから。

 手にした布巾をぎゅっと握りつぶした。

茶の染み跡をふき取っている筈だというのに、あとからあとからぽたりぽたりと新たな染みができていく。

 やがて耳に届く嗚咽に、雪花はぎゅっと目を瞑った。


こんなのは酷い。あんまりだ。

こんなに憎いのに。

こんなに嫌っている筈なのに。

何故自分はこのようなことで辛いなどと感じてしまうのか。

良い筈ではないか。いくら抱かれようとただの妾――辛く感じるいわれなどあろう筈が無い。そう思うのに、幾度も幾度も思うのに。

……義弘の無関心が辛いなんて。

 

 認めたくない。

認めてしまったら更に自分は非道に落ちる――父を殺したあの男の……心が欲しいなど。

鬼に心など、無い筈なのに。


***


 ぱしゃりと冷たい水で顔を洗い、空を見上げてほぅっと息をついた。

冷たい外気に反して日は暖かい。息を吐き出せば白く凍るが、太陽のぬくもりが心地よい。心を落ち着かせて幾度も呼吸を繰り返していると、渡り廊下を歩く足音が耳に届き、雪花は手ぬぐいで顔を軽くぬぐいながら視線を転じた。

「雪花さま」

 こそこそと声を潜めて声を掛けてきたのは厨の下女だろう。眉を潜め、何故か身まで低くしてどこかびくつくようにして軽く手で招かれる。

 以前は「雪花さん」と呼ばれていたが、今はミノにきつく言われているのか呼び名にはさまがついていた。どうにも居心地の悪い呼ばれ方だが自らではどうしようもない。

 雪花は小首をかしげた。

「どうか?」

「勝手口にお客さんが見えててね。近所の子供らしいのだけれど――雪花さまに手紙だって言うんだけど、あたしらには渡してくれないんだよ。どうしても当人じゃないと駄目だって言ってね。本来ならミノさんが怒るだろうけど……今は出かけていていないもんだから。どうしたら良いか」

 判断がつかずに雪花を呼びに来たようだ。

手紙などに心当たりは無いが、手紙を携えた子供ががんとして動かぬというのであればと雪花は仕方なしに厨に足を向けかけ、ふと思いついて菓子鉢の中を覗き込んだ。以前吉次に貰った干菓子を懐紙に包み込んでひねると、せっつかれるように厨に足を運んだ。

 厨の勝手口には確かに子供が二人。

怖気ているのか、一人はもう一人の背にすがるように張り付き、今にも泣きそうな顔をしている。何といってもここは山田浅右衛門の屋敷。子供にしてみれば肝試しのようなものなのだろう。

「だーかーら、手紙はきちんと雪花さまにお渡ししてやるってば」

「駄目じゃー。当人に渡せといわれとるっ」

 子供がぎゃんぎゃんと言えば、下女がいらだつように「だったら手紙をもって帰り!」と怒鳴り返す。

 暖簾をくぐって厨に入り、雪花はそっと声をかけた。

「坊、それは本当に私宛?」

 いったい誰が雪花に手紙などを書くというのだろう。

一瞬名白かと思いもしたが、陸奥に出ているという名白がわざわざ手紙を寄越すのであれば飛脚が届けることだろう。

「あんた、雪花さん?」

 子供ははっとしたように雪花を見上げ、すぐにうれしそうに頬を染めた。

「これ。俺が頼まれた。あんたに渡してくれって――俺、ちゃんと届けたぞ?」

得意げな子供にうなずき、雪花は持ってきた懐紙の菓子包みをその手に握らせてやった。菓子を受け取りうれしげに勝手口から出て行く子供を見送り、雪花は渡された手紙をひっくり返した。

 表には雪へと、裏手には何も記されてはいない。

だがその雪へと言葉一つで、それが誰からのものか雪花には判ってしまった。

 こくりと口腔に溜まった唾液を嚥下し、厨を騒がせてすまないと告げてそれを後にする。

手紙の内容を読みたいような、それともそのまま燃やしてしまいたいような複雑な心境で離れへと急いだ。


がさりと音をさせて手紙の包み紙をはずし、折られた紙を開けば昔並んで手習いをした文字が躍る。

 決してうまくもない文字が、無骨に実直に。

最後の署名は惣次郎ではなく、ただ次郎と書かれていたのは、千葉の人間としてではなく幼馴染としてのものだという印なのか、それとも別に意があるのかも知れぬ。


――先日の侘びと、四年前の侘びと、そして……

そこに記されていたのは、父のこと。 




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