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鬼の棲む家   作者: たまさ。
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2

 屋敷まで戻る道すがら、雪花も名白も言葉が自然と減っていた。

何をどう言えばよいのか判らなかったというのもあるが、もとより雪花は言葉が得意ではない。

 ただ自然と錫杖のがしゃりがしゃしゃりという音を聞き、その先端を見つめる雪花に、名白は何を思ったのか突然笑った。

「ああ、隠し刀というのは冗談だ」

 とんとんっと錫杖で地面を叩き、大仰に肩をすくめる。

「俺は刀は捨てた身だからな。だからといってそうそう脇差持ちどもに負ける気はせんよ。雪ちゃんを護ることくらいはきちんとできるから安心おしよ」

 そこまで言われ、やっと先ほど千葉の次男に向けて脅した言葉を思い出した。

「おまいさんが誰だろうと知らんが、うちの娘を泣かす権利などありはせん。俺の居合いも鈍っちゃいるが、お前ごとき切れぬ程なまくらにもなってない。坊主と言っても生臭坊主。それ以上一言でも喋ろうもんなら――俺の隠し刀を見る羽目になるぞ」

――見事な啖呵であったが、はったりであったらしい。

 はったりごときで怖気づいた千葉惣次郎を思い、雪花は小さくぷっと吹き出してしまった。

「ああ、ようやく笑った。

あんまり詮索してもと思うが、知り合いだったのだろう? 邪魔をしてしまったかな」

「いえ……むしろありがとうございました。

古い知り合いですが。もう道の違う人ですので」

 武士という道を行く千葉と、そして妾という道をいく自分に接点などありはしない。そして、あのまま顔を合わせていたところでお互い辛くなるばかりだ。

 惣次郎は捨て去るべき過去が汚濁に塗れていくのがいやなのであろう。どうしてあの時死んでいなかったのだと腹がたつのだろう。

 これ以上関われば、雪花とて過去の――決して美しかったとは言いがたい記憶といえど、それすら闇色に染めてしまいそうだ。


――父の罪を。

それがどんなものであったのか……聞けなかったのは残念に思うが。

「雪ちゃん」

「はい」

 帰り道にある団子屋で焼き団子を土産に見繕い、それを山田の屋敷の門前で雪花に押し付けた名白は淡い笑みを浮かべた。

「俺はしばらく陸奥に行く。

土産を楽しみに待てと嘉弘に伝えておくれ」

 名白の言葉に、団子の包みを両手で持つようにしながら雪花ははにかむような笑みを浮かべて見せた。

 嘉弘と土産――なんとも似合わぬ言葉だ。


***


 有村藤吉との稽古の時刻、普段であれば遅れることなどない有村が遅刻したのは何かの前触れなのか、その日の有村ときたら心ここにあらずといった様子でどうにもおぼつかない。

 雪花ははじめて木刀の半分の短い棒切れを持たされ、その重さに狎れるうにと振る鍛錬などしてみたものの、有村の考え込むような様子が気にかかる。

「どうか……なさいましたか?」

 嘆息を一つ、やれやれというように首をふる有村の様子に思い切って声を掛ければ、有村は息をつめて苦笑した。

「このところ、先代が良くいらしていらっしゃいますね」

 先代という言葉になじめず一瞬誰と忘れかけたが、誰でない名白のことだ。

雪花は袈裟姿の名白を思い浮かべ、小さく笑んだ。

「はい。ですが最近は陸奥に行かれていると聞いています」

「……なぜ、先代が出入りしているかお聞き及びですか?」

 何故?

そう問われると雪花としては首をかしげるしかない。吉次は以前金の無心などと言っていたが、それが本当の理由かどうかは判っていない。

 そもそも金の無心をしている姿を見たこともないし、名白という存在を知ったことすらこの冬のこと。

「雪花さんはご存知ないのですね」

 確認するように問われ、雪花は戸惑いながらわずかにうなずいて見せた。すると、有村はほんの少し眉を潜め「さようですか」と呟くように言葉を落とした。

「何かおありなのですか?」

「ご存知でないのであれば――いいのです」

 有村はそう言葉を濁したが、事の真相はわりあい早く雪花の耳に届くことになった。

「隠し子?」

 ぽんっと飛び出た言葉は厨のこと。

雪花は善を取りに行く足をぴたりと止めた。

「しーっ。でかい声をおだしじゃないよっ」

 あわてたように言う炊き出し女の声に、更に追従する声が重なる。

「じゃ、じゃあ何かい?

旦那様は隠し子を引き取るって?」

「外にいる子を引き取り跡取りとするらしいって、ミノさんが言ってたんだよ。そりゃあもうお怒りでさ」

 お怒りと言われれば、確かに最近のミノときたら機嫌が悪い。

それでも精一杯雪花に優しくしようとしているのか、どうもぎくしゃくとしていたのだが、これで合点がいった。

「雪花さんは石女っつーことかい」

「そうだろ」

「つうことは用無しかい」

「それはどうだろうね。子ができんでもお役にはたてるだろうしねー」

「どんなお役だかねー」


 ひそひそくすくすと交わされる言葉にしり込みし、雪花は自然と足を引き――そのままくるりと身を翻していた。

 心の臓が激しく脈打ち、ぎゅっと身が縮こまるのは何故であろう。

――子ができぬことが問題とは思っていない。

子などできなくて良い。それはみずからの望みだ。

 自らの子が鬼になるなど耐えられぬ。

ならば他所にできた子を引き取り養子とするのもまた……雪花にとって願ったりではないか。

 嘉弘が他の女に子を産ませた。

それだとて、何の問題がある。

もともと遊郭に入り浸る男で、もともと――


 ぶわりと吹き上げた感情が、目の横をちくちくと痛みつけ、気づけば温かな涙があふれ出ていた。

 あまりのことに雪花は戸惑い、走り出してしまいそうな足はぴたりと止まってしまった。

 何故、涙がでるのだろう。

嘉弘は言っていたではないか。

雪花の産む子が山田浅衛門を名乗ることは無いと。ならばこれは……

「雪花さん?」

 急に両の肩をがしりとつかまれ、雪花ははっと息を詰めた。

涙でにじむ顔を、心配気に有村が覗き込む。

その眉を潜めた顔を見た途端、雪花は喉元を何かが競りあがる感覚にゆるゆると首を振り、その胸にすがるように自らの顔を押し付けていた。

 決して無様な泣き声があふれぬように。


 何が辛い。

辛い訳ではない。

何が悲しい。

悲しい訳ではない。

そう、その筈だというのに。


「ゆき……」

 声をあげず、ただ小刻みに自らの腕の中で振るえてこらえ切れない嗚咽をもらす雪花に、有村は奥歯をかみ締め、その名を切迫するように告げ――身を伏せた。

 それは突き動かされる衝動であってそれいがいの何かでは無かったのかもしれぬし、また元よりあったものかもしれぬ。

 ただ泣く子供をあやすのとは違う所作。


唇が触れる寸前、有村は息を詰めて顔をそむけた。



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