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鬼の棲む家   作者: たまさ。
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1

 庭木の手入れの為に植木屋が入るとミノがそっけなく口にしていた通り、本日は中庭の中をぱちりぱちりと鋏の音が規則正しく聞こえてくる。

 以前一度おかしな男が入り込んだことがあり、以来出入りの植木屋は顔を変え、そして決して無断で庭にある池を挟む橋は渡ること無きようにといい含められている。

 雪花は離れの自室の雪見窓にもたれるように吐息を落とした。

ミノが雪花に冷たい態度をとるのは判りやすい。

屋敷の主である山田浅右衛門の帰宅が遠のいている為と、雪花自身に懐妊の兆候が見られない為だった。

――一刻も早く跡継ぎ様を。

 そう急かすミノを、雪花はどこか覚めた心持で眺めることしかできない。

何故なら、雪花の産み落とす子は決して跡継ぎになどならぬのだから。

 所詮妾腹。

もとより判りやすいことだ。雪花の役割といえば、ただ山田浅右衛門嘉弘の慰み者でしかない。

 だが、そんなことで自らは傷ついているのだろうか。

この気だるさは。この――引き連れるような思いは。

 夏のあの夜の出来事は、到底忘れることなどできずに雪花の内に淀みとなって残された。

自らの子が山田浅右衛門になることは無い。

人を殺す悪鬼などになりはしない。

――喜ばしいことがらではないか。

幾度も吐くほど、悪夢に苛まされるほどにつらい未来などないのだと、安堵すべきことだというのに。

 あの晩以来、嘉弘はいっそう酷く雪花を抱くようになった。

雪花の体に跡が残るような程、その骨も肉すら押しつぶすように。

 だがこの一月ほど、嘉弘はぱたりと雪花のことなど忘れたように屋敷に戻らぬ日々を過ごし、雪花自身――身の置き所のない日々に吐息を曇らせていた。


「おや、これはすまないな」

 ふいの声に、雪花はびくりと身をすくませた。

突然向けられた言葉は、縁側より向けられたものだ。

また庭師が――もしくは庭師に化けたものが迷い込んだかと思われたが、そこにいたのは黒い袈裟姿に笠をのせ、錫杖とを握った坊主である。

 死の匂いの色濃いこの屋敷であるが、雪花が坊主を見かけることなど滅多にない。

慌てふためき、だが声こそあげずに雪花は身を正した。

「あの、どちら様で……」

「坊主だ」

 見たままの言葉を返し、坊主はくいと笠を片手で軽く持ち上げると、皺の寄る目元を和ませて口に笑みを浮かべた。

「すまんがつかれた、茶をくれ」

 戸惑いこそしたものの、雪花はぎこちなく笑みを浮かべてこくりとひとつうなずいて見せた。

 母屋に用向きのある者がまぎれたのかも知れぬと自分を落ち着かせ、乞われたままに茶の用意を整えた。

 急須に茶筒の茶を落とし、火鉢に乗せた鉄瓶の湯を入れていく。

途端にほわりと香る茶の香りに坊主は目を細めた。

「良い葉を使っているな。なに気にするな、なにせ生臭坊主――酒だとて飲む」

カカと笑いながら雪花が示す茶を慎重にそろそろと飲む様などは、どこか子供のようだ。坊主は錫杖と笠とを縁側に並べ、自らも縁側に腰を落ち着けて雪花の部屋を瞳を細めて眺め回した。

「ここは長いのか?」

「――かれこれ、五年近く」

「まだ年若いように見えるがな。まぁいい――それにしてもおかしなことよ。俺が呼ばれたのは……いやいや、うむ。すまなんだ」

 坊主は一人で喋り、一人で納得したかのようにうなずいてみせる。

「ここの者はよくしてくれるか? 主はどうだ?」

 遠慮ない言葉に、雪花は体を強張らせた。

「まぁ、主はあの嘉弘なのだからあまり期待はできぬか。何よりあれは口が少ない。無愛想でなぁ。目つきも悪い。あれはおそらく祖父似なのだろう」

 笑いながら言う坊主の言葉に、雪花は納得のいかぬものを感じた。

嘉弘の祖父といえば、吉次のことだろう。

吉次は確かに時折その眼差しを鋭くすることもあるが、それは稽古の上のこと。普段はといえば、好々爺の眼差しで雪花に菓子を勧め、そしてその口から落とされる言葉は柔らかく無愛想などとは思われぬ。

 何かつじつまの合わぬ奇妙な思いを抱いていれば、いつもと同じように庭の玉砂利を蹴るようにした足音が届き、表庭とを仕切る丈の低い小さな押し戸を開いて吉次が顔を出した。

「……なんだ、縁起の悪いのがおるな」

「挨拶より先にそれですか」

「お前が尋ねて来て良いことがあったかな。どうせ金の無心じゃろ。さっさとミノを捕まえて金を持っていけばいいものを。何を悠長に茶など飲んでいる」

 嫌そうに言いながら、吉次はどかりと縁側に腰を落とした。

「金の無心は勿論ですが。今回ばかりは話が違う。嘉弘に呼ばれたのですよ」

 先ほどまでの口調とかわり、吉次相手では礼節を思い出すようだ。

坊主は開いていた足までも心持ち閉ざし、言葉を操る。

「あやつに? いまさらお前などに何の用があるんだか――雪花や。すまなんだが、厨に行ってそば粉をもらって来てくれんか? そばがきが食いとうなった」

 吉次の為に茶の用意をしていた雪花は、突然の言葉に戸惑いはしたもののこくりとうなずき場を退いた。

  

――あれが嘉弘の嫁ですか。


 ぱたりと障子を閉ざして身を翻した途端、部屋から漏れ聞こえた言葉に雪花は唇を噛んで足を速めた。

吉次が返す言葉など、聞きたくはなかった。



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