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鬼の棲む家   作者: たまさ。
25/52

3

 初夏の入り、昼の間は有村からの稽古を受け、縫い物に興じることが雪花の日々となった。

稽古といったところで相も変わらず刀も木刀すらも手にすることは無い。まるで子供の児戯のようなそれを不満に思うと共に楽しんでいることもまた事実。

 雪花が稽古を終えて有村の為の浴衣に何か縫い取りをしようかと思っていたところで、ミノがいつものように現れ、主の帰宅を知らせた。


 夕刻、帰宅した屋敷の主である山田浅右衛門嘉弘はいつにも増して不機嫌を隠そうとはしなかった。

 大小一対の刀を引き抜き、雪花へと手渡しながら低い声でミノへと命じる。

「明日、倉石家の人間が胴を二つ引き取りに来る」

「承りました」

 ミノは一旦息を飲むように吸い込み、ついで静かに応える。雪花は刀をしっかりと抱きながら二人の後に続きつつ、何の話をしているのかといぶかしんだがその場で問いかけるようなことはしなかった。

 嘉弘の不機嫌の原因が明日の来客のことであるのか、その来客が引き取りにくるものであるのかと思案したところで雪花に理解できるものではない。

 嘉弘の私室にて着替えを手伝い、酒をついだところでおずおずと「明日、私がすることはございますか?」と尋ねたのは過ちであった。

 何かの意図があった訳ではなく、ただ、ふいをついてこぼれた言葉。

 嘉弘は胡乱に視線を向け、ついで皮肉に口を歪めた。

「奥方気取りか」

「――出すぎたことを致しました」

「良い。そうさな……おまえは知るべきか」

 くくっと喉の奥を鳴らし、猪口の酒を一息に喉の奥へと流し込むと嘉弘は手にしていた猪口をたんっと勢いをつけて膳に戻し、その手をすっと雪花の首へと運んだ。

 流れるような所作はいっそ優美な程の手際で雪花の首筋をなぞり、ついで底意地の悪い微笑を浮かべ、あまやかな口調でもって囁く。

「見たいか?」

「……何を、でございましょう」

 我知らず震える声に、嘉弘はくつくつと喉を鳴らして笑った。

「我が家の蔵、氷室で眠る『胴』だ」

 その瞬間、相手の言わんとしているものが何かを雪花は悟った。

つっとなぞられる首筋、そして嘉弘の低い声が禍々しく示すもの。

――胴、すなわち、首を切り落とされた人の胴体。

 今まで漠然と蔵の中身のことを考えぬようにしていたのは、こうして雪花に突きつけるものなどいなかった為だ。

ひっと喉の奥で言葉が凍りつき、ついで雪花は正座で浮かしていた腰をへたりと落とした。

 嘉弘の手が膳を払い、邪魔なものをどかして雪花の着物の襟に手をかける。もう片方の手がその首を捉えたまま、心底おかしいというように声をあげて笑ってみせる。

「時折り藩邸の人間が自ら刀を試したいと言うてくる。高い金を払って胴を買い求めるものはまだ良いほうだ。刀に魅せられた馬鹿な連中は、我慢が利かずに辻斬りなんぞに手を染める。まったく、人間とはそら恐ろしいものよな?」

 低く囁きながら、嘉弘のもう片方の手が着物の裾を割り、その濡れた唇がほんの触れるか触れぬかの距離を保ちながら首筋を伝い落ちた。


「世の中……人でなしばかりよ」


 強く歯を立てられ、身を震わせた雪花を組み敷きながら嘉弘の瞳は――雪花の白い肌に浮かぶ血の道筋に、命の脈動に伏せられた。


***


 雪花の住まう場は母屋の端、渡り廊下の果てに作られた平屋の二つ間だ。

そして中庭をはさみ、池を挟み、植えられた垣根の向こうに蔵と道場とが並んでいるのが見える。

 ぶるりと身をふり、雪花は視界に入った蔵から視線をそらした。

二つが氷室として使われ、ミノが以前に食料が保存できて便利だと言っていたが、その詰められた氷の使い道をはじめて意識し、雪花はこみあげてくるものに口元を押さえ、そのまま縁側で嘔吐した。

 蔵に一つの氷。

一つは純粋に氷を保存しているのであろうが、もう一つは保管しなければいけないものが腐らぬようにと使用されている、氷。夏の楽しみとしていたその氷の意味が、ぞわぞわと身を駆け抜ける。


――氷菓子を苦いと言った嘉弘の嘲る笑みがよぎっていた。


「まぁっ」

 胃がむかむかとざわつき、食道を逆流した感覚に眦に涙が浮かぶ。

胸元に入れた懐紙で口元をおさえながら、突然背後から聞こえたミノの声に慌てて不調法な真似の謝意を口にのせようと振り返ったが、ミノは怒るどころか嬉しそうに手を重ね合わせた。


「いつから気分がすぐれないんです? 月のものはまだでしたね!」


 弾んだ言葉に、雪花はミノはいったい何を言っているのかと眉を潜ませた。

「いやですよぉ、早く言って頂かないと! ああ、きっと旦那さまもお喜びになられますよ。ようございました」

 何が喜ばしいのかと更に眉をひそめ、ついで雪花はミノの喜びの意味を理解して青ざめた。


――それは無い。


 嘉弘の子など……鬼の子など、いない。

そろりそろりと首を振りながら、しかしいつかその時が訪れるやもしれぬという恐怖に、雪花はふらりと身を崩しそうになった。

 嘉弘の子、いつか……自らは鬼の子を、鬼を孕むのか?


このわが身に人を殺める為の鬼が宿るというのか。

それは雪花の意識を闇へとゆっくりとからめとっていった。



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