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鬼の棲む家   作者: たまさ。
24/52

2

 初夏の入りになると決まって富士より至るものがある。

それは富士の氷室より切り出される氷。

屋敷の蔵のうちほぼ二つ、地下蔵となるそこにその氷は数多収められる。

雪花は最近ではそれを季節の楽しみの一つとしていた。氷が屋敷に届く日は、決まってそれをノミで削り落とし、甘蜜をかけた氷菓子が供される。

 幼い頃になど到底口にできなかった贅沢なそれを、はじめて雪花の前に突きつけたのは吉次であった。

 両親を亡くした子供はかたくなに身をすくませ、差し出されたものが毒だとでもいうように怯えをみせた。

 それを苦笑し吉次が「ほれほれ、溶けてしまうぞ」とせっつけば、有村が嘆息を一つ落としてその氷菓子を手にし、その一掬いをみずからの口に収めた。

「お食べなさい、雪花さん。ほうっておけば溶けてしまう。とても美味しいのですよ」

「――」

 口を利かぬ子供はそれでも頑なにぐっと口を噤んでいたが、有村は苦笑と共にもう一掬いを自らの口に収める。

「冬になると池に氷が張るでしょう? 固いそれを大工道具のノミで細かく削り取ったものです。氷だから溶けてしまいますよ」

 池の氷という単語に瞳をまたたかせる子供に、有村は微笑んだ。

「いえ、これ自体は富士の山から運ばれたものです。天下様もこの季節には好んで食べるとても美味しいものですよ」

 天下様、という言葉にさらに子供は瞳を見開いた。

雪花は元々武家の娘。天下様といえばそれは雲上人たる将軍を示す。そんな尊き方も好むという食べ物など、自分などが食べていいはずがない。

 更に身を強張らせると、吉次が嘆息した。

「まぁいい。今日は食べんでもまた機会はいくらでもある」

 ぽんっと頭に手を乗せて笑う老人を前に、雪花は自分の頑なな心を必死に守り続けていた。



「桃源堂の餡子に白玉、甘蜜をたっぷりとかけました」

 ミノがうやうやしく運んできた氷菓子に、雪花は古い記憶を呼び起こして淡い微笑を浮かべた。

――はじめてそれを口にしたのは、この屋敷に引き取られて二度目の夏。夏風邪を引いた頃合に、喉が痛く何も食べたくないと口をつぐみ続ける雪花の口に、吉次が珍しく乱暴に口を開かせて匙を押し込んだものだ。

「喉が痛むじゃろ? これは喉をよく通る。気持ちよかろ? うまかろう?」

怒ったように言いながら、ついでふにゃりと顔をゆがめた。

「のぅ雪花や。美味いもの栄養のあるものをたんと食べて早よう元気になっておくれ。氷ならいくらでもある。欲しいものがあれば何でも用意してやろうて。意地ばかり張って餓えや下らぬ病などで死ぬなど止めておくれ。水分だけでもきちんととらんと、のぅ、おまえのか細い命が儚くなってしまう」

――鬼の癖に。

 幼い雪花は泣きたい気持ちで与えられた氷を口に含んだ。

優しい顔をして、吉次は先々代の山田浅右衛門なのだという。ならば、自分の父を殺した嘉弘とかわらぬ鬼ではないか。

 誰も彼も、この屋敷の者は鬼にほかならぬ。

人を殺して血肉をむさぼり生きるもの。

 この贅沢な氷だとて、どこの藩で容易く手にいれることができよう。山田浅右衛門であるからこその贅沢ではないか。

 言いたいことは山とあった。不満だらけの子供はその全てに蓋をして、口など利くものかとその口を閉ざしていたものを。


 盆に置かれた氷菓子二つ。

餡子甘蜜まであわせたその菓子を前に、雪花はちらりと嘉弘をうかがった。

部屋には二人、雪花と嘉弘。ミノは盆を置いて一礼すると、そそくさと部屋を辞してしまっていた。

ミノも二つ用意したところでこの男が甘い氷菓子など受け付けぬだろうに、早く食べねば溶けてしまうと呆れたが、窓辺に片膝をたてて月夜をぼんやりと眺めていた男はふいに手を伸ばして無言でその一つを口にしはじめた。

 呆気に取られる雪花に、嘉弘はシャクシャクと食べていく。


今までそのように嘉弘が氷菓子は愚か菓子と名のつくものを食べているのを見たことは無い。そもそも共にいる時間は少なく、床を共にする前は出迎えて刀を受け取り膳を運ぶ時しかこの男と対峙することもなかったのだ。

「なんだ」

 雪花の不躾な眼差しに低く声がかかり、雪花はびくりと身をすくませ、咄嗟に「甘味をお召しになられるとは思いませんでした」と率直に言葉を口にしてしまった。

 それからその言葉が不躾すぎると慌て、口元に当てた指をぐいと掴まれた。


クっと嘉弘が喉を鳴らし、力まかせに雪花を引き寄せてその唇をふさいだ。

甘蜜の味が口腔に広がり、冷たい舌が雪花の舌の裏をなぞる。

ぞくぞくと背筋を走る悪寒に身を引こうとするが、掴まれた手を支点に固められたように動かなかった。

「甘いか?」

「……」

「私には――苦い。喰らうたびに苦味がはぜる。そうか、おまえにはこれは甘いのだな」

 どこがおかしいのか判らない。

喉を震わせて嘲笑う男は、もう片方の手でもって雪花の着物の裾を割った。


 嘉弘の体に押さえ込まれながら、雪花はその視界の端に溶ける氷を最後に認め、堕とされる甘い痛みに漏れ出でる喘ぎを必死で堪えた。

「――甘いものなどありはしない……」

 雪花の意識が果てる闇、嘉弘の声が嗤いながら囁いた。


「……いがいは」


 何がこの男を怒らせたのか、翻弄されるばかりの雪花にそれは判りはしなかった。

 



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