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鬼の棲む家   作者: たまさ。
23/52

1

 春の穏やかな風が夏のそれにゆっくりと変化する。

庭に咲いていた梅がいつの間に散り実を結び、そしてそれが姿を消していた。縁側で縫い物をしているとうっすらと額に汗を感じるようになる初夏。

 雪花は横に置いた濡れ手ぬぐいでそっと額の汗をぬぐい、吐息を落とした。

喉に良いというかりん湯はすっかりと冷めていた。日に幾度も女中頭のミノが離れを訪れてはいろいろと話しかけて雪花の口を開かせようとするが、生来のものがそう容易く払拭されることもない。

 口を開くのを渋る雪花に、ミノはじれたように「言葉を使わねばまた失ってしまいますよ」などと言うのだが、もともと雪花の言葉は失われていなかったのだから彼女の言葉は正しくは無い。

 そのてん有村藤吉などは穏やかに笑みを浮かべ「無理はなさらなくて良いのですよ」と言ってくれるので雪花としても心安い。彼の師範と共にいるときが一番心が穏やかにもなれる。

 その気持ちをこめて、雪花は慣れた調子で彼の指に文字を示したものだ。


――有村様はまるで父様のようです。


 優しく見守ってくれる第二の父のようだ。

その時にその手元を覗き込んで読解していた吉次は「ぶふっ」と奇妙な音をさせて笑い、有村は一瞬その顔色をなくしたがすぐに微笑を称えた。

 穏やかで優しい有村と共にいると雪花は心が安らぎ、自らを許せるのではないかとすら思うのだ。

――この醜き自らを。

 縁側で針仕事をしている雪花の手が止まったのは昼を過ぎてからのこと。足をこすりつけるように渡り廊下を歩む音に、吐息が漏れた。

 ミノがまた訪れる。

それをわずらわしいと考えるのは雪花の心が狭いのであろうか。

廊下を渡りきり、きちんと膝をついてミノが身を正す気配がする。その頃には雪花は針から伸びる細い糸をぷつりと糸切り歯で噛み切った。

「失礼いたします」

声がかけられ、以前であれば返事などなくとも――もともと返事など期待できるものではなかった為だが――開いた障子の前、ミノが静かに応えを待ちつづける。

それでも意地でしばらくの間何も告げずにいると、障子の向こうに座るミノがわざとらしくこほんとひとつ小さな咳を落として急き立てる。

 雪花は嘆息を隠して小さな声で告げた。

「どうぞ」

「お茶をお持ち致しました」

丁寧に頭を下げてミノは部屋に入り、雪花のそば近くに盆を置き、ついで茶を置いていく。

「浴衣でございますか? 旦那様にようお似合いの藍でございますね」

上機嫌なミノであったが、この手元の浴衣は嘉弘のものでは無い。有村へと日ごろの感謝を込めて縫い上げているものだがわざわざ訂正するのも馬鹿らしく、極力喋りたくも無い為に放置した。

まずは有村へ、ついで吉次へ、そして最後に気が許せば嘉弘の分も縫い上げようとは思っていたが、その思いは自らでも複雑な色合いを持っていた。

作りたいような、作りたくないような。

できれば作らなくてすめば良いと思うのだが、それならば元より嘉弘の分など念頭におかねば良いのだ。

 雪花は自らの思想に顔をしかめ、手を伸ばして湯のみを受けた。


「今宵は旦那様もお戻りになられるようですよ」

その言葉に、ぴくりと動きが止まった。

この数日、嘉弘は屋敷に戻っていなかった。勿論、その理由を考えることも無い。どこにいようがそれは嘉弘の勝手であり、雪花にはどうでも良い。

だが、夜にふと胸がざわめくのだ。

――その命のありかを。

 彼の男が、生きて存在しているのかと。

雪花は棚に置かれた絹の包みをちらりと意識した。

 まだ何事かを口にしようとするミノであったが、すぐにその顔に不満そうな色を乗せた。縁側に吉次と有村とが顔を出した為だ。

時には足音さえさせずに俊敏な動きを見せる吉次だが、わざとのように玉砂利を蹴散らしてその気配を隠すことなく陽気な調子で声をあげた。

「雪花や、茶に――なんだ、もう飲んでおったか」

吉次は肩をすくめどかりと縁台に腰を落とし、有村は手にある菓子の折りを軽く持ち上げた。見慣れた包みは桃源堂のもので、新作の梅もちを気に入った雪花の為にまた買ってきてくれたのだろう。

酸味のあるそれは甘酸っぱく甘いばかりでないところを気に入っている。

 雪花は持っていた湯のみを下げ、畳に軽く手を添えて体の向きをずらして微笑した。

そのまま火鉢の方へと移動しようとするのを見ながら、ミノはふくれっつらでたんっと膝を打って(いとま)を告げた。

「ではまたのちほど参ります。御前様、雪花様をあまり疲れさせるようなことはしないで下さいましよ」

 鼻を鳴らして出ていくミノを見送り、吉次は眉間に皺を寄せて不満そうに鼻を鳴らした。

「まったくあやつの口やかましさは日に日に酷くなる」


 雪花はそんな吉次と有村の為に茶の用意をし、微笑んだ。

言葉を操るようになったところでやはり言葉数の少ない雪花だった。だが、二人は言わずとも雪花の心を察するように示してくれる。とても居心地が良い。


そしてその居心地の良い場は、あの男の手が与えたものだと思えば、雪花は自然瞼を伏せて曖昧な微笑を口元に湛えていた。


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