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鬼の棲む家   作者: たまさ。
22/52

21 

未だ七つ刻、屋敷の主の帰宅に、ミノは上機嫌であった。

籠から身を滑らせ、刀を片手に玄関口に立つ嘉弘に、満面の笑みでミノが言う。

「お喜び下さいませ、旦那様。

雪花さまが言葉を取り戻されました」

 家人までもがちいさくざわめく。雪花は静かに頭をたれて刀を受けようとしたのだが、ミノがせっつくように喋るようにとうながす。


――ああ、口など開くものではない。

雪花は暗澹たる気持ちのまま、刀を受け取りながら小さく口を開いた。

「お帰りなさいませ、旦那様」

声が震える。

嘉弘は何を言うでなくその手に大小の刀を預け、その脇を抜ける。

ミノは拍子抜けしたように吐息を落とした。

――それとも、ミノはこの嘉弘が諸手をあげて喜ぶことでも期待したのであろうか。それは無茶というものだが。

 嘉弘の私室へと向かい刀を置く、その背にミノの声が届く。

「もうご報告は上がっていると思いますが、昼間のうちに植木屋の――」

「下がれ、ミノ」

「あの、御酒は……」

「要らぬ」

低い威圧的な言葉にミノは吐息を落とし、一礼して下がる。

それを一顧だにせずに、嘉弘は雪花に命じた。

「来い」

「……」

それが何を意味するのか、すでに雪花には判っていた。


自らを鋭く睨む男の眼差しを、怯えを隠すように見つめて小さく息を呑む。

――何故、あの時に咄嗟に嘉弘を思ったのだろうか。

何かの間違いだ。

立ち上がり、ゆるりと近づく雪花の腕を掴んで抱きこまれる。

 唇が強く吸われ、そのまま抱かれるものと覚悟を定める雪花に――吐息のように嘉弘がその耳に囁いた。

「出かける、したくせよ」

「……散歩、でございますか?」

半ばうんざりと呟いた。


雪花とて判っている。

あの数日の外出の意味を。散歩などと戯言であるなどということは。

「花見だ」

「……」

言葉と共にもう一度唇が触れる。

「散る桜こそ、美しい」

――背筋にひやりとしたものが走る。雪花は我知らず胸元の懐剣に触れ、それと同時に鈴音が小さく、鳴った。


未だ夕刻よりも少し早い。

嘉弘の言葉に従い外出した雪花だが、かわらず嘉弘の行動の意味はつかめない。

花見、という言葉の通り確かにそこに花はある。

だが、嘉弘が足を向けた先――桜木よりも雪花の気を引いたのは、墓である。

 寺の境内の裏手、雪花の前を嘉弘が歩む。

墓場などに縁の無い雪花はほんの少しばかりぞくりと寒気を覚え、自分の腕を我知らずさすった。

「旦那様……」

心細さにそっと呼べば、やがて嘉弘が足を止めた。


それは見事な枝垂桜――風に枝葉がゆれ、薄桃の花弁が大気にゆれ、散る。

吐息が漏れ、心の時が留まる。

それは確かに見事な。

ただし、桜木の下は墓所。

花の嵐に心を振るわせたものの、墓石の様子に困ったような笑みが自然と浮かんだ。

なんとも嘉弘らしい。

何故かそう思った。


 ふと雪花の視線が墓石に落ちる。

まったく知らぬその名の墓を、嘉弘が一瞥している。

「どなたの墓でございます」

「親父だ」

「……名が」

「死んでからも背負う名ではあるまい」

 つまらなそうに言うその言葉に、ああそうかと納得する。広く取られたその墓所に、幾つかの墓石が並んでいる。そして一つ、まるきり名の無い墓石を見つけて首をかしげる。

「こちらは?」

小ぶりの小さな墓は、まるで他の墓に隠れるようにひっそりとすえられている。

嘉弘は枝垂桜の枝を一つつまみあげ、まるきりそんなものは興味が無いという様子で口を開いた。


「名も罪もない哀れなものの墓だ」

淡々と言い、息をつく。

「花見だ、花をみろ」

「……」

くっと腕を引かれて嘉弘の腕に抱きこまれる。

身を硬くしても相手の力は強く、仕方なく雪花はその胸に耳を当てた。


とくとくと心音が伝わる。

あたたかな体温が雪花を包む。

花を見ろ、という言葉を思い出し、その腕の中で視線をめぐらせて自らの頭上に咲く桜木を見上げた。

 雪花の動きに、胸元の鈴が音をさせる。

舌打ちが、漏れた。

「……旦那様?」

「耳障りだ」

低い言葉に、それが鈴の音だと気づく。

雪花は小首をかしげ、嘉弘から少しだけ間をあけるようにして鈴に触れた。

「良い音色でございますが」

「……おまえのそれはわざとなのか?」

「は?」

雪花が眉をひそめると、嘉弘が眉間に皺を刻む。

「良い――判っている。

おまえは男の気など少しも頓着せぬ最悪の女子(おなご)だ」

吐き捨てると、更に強く雪花を引き寄せてその唇を塞ぐ。

場は外、しかも墓場という場でのその行為に雪花が焦る。


雪花から酸素を奪い、吐息をさらい、意識さえ奪いつくし、嘉弘は喉の奥を震わせて笑う。

「オレを殺せ、雪花」

砕けそうな腰を、必死に相手の着物にすがって堪える雪花の耳元に、嘉弘は小さく小さく囁く。


「オレを殺せるのは……おまえだけだ」


 吐き出される言葉はひどく物騒だというのに、まるで甘いもののように雪花の耳に注がれた。

雪花はぼんやりと滲む瞳に、薄桃色の桜木と青白く光る月を入れ、嘉弘の吐息を感じていた。


――あなたは死にたいのですか。

同じ言葉が胸のうちで木霊する。

問いかけても応えなど無いと承知して、雪花はその腕の中で瞼を伏せた。


――いつか、いつか、この男を殺す日が訪れるのか。

自らの心すら判らないのに。

罪があるのか無いのであるか、それすら判らぬのに。


この男を殺した時に、自分は何を手に入れ、そして失うのだろうか。

雪花はそっと嘉弘を見上げた。



鬼が――笑う。

それはひどく綺麗な鬼が。

誰より不可解で誰より怖ろしい鬼。


――生きて下さいませ。

そっと囁いた。


――私が、討つその時まで……死なずにいて下さいませ。


相手には決して届かぬ囁き。

雪花は迷いを迷いのままに飲み込んだ。

いつか、その時は訪れる。

ならば(すべ)を求め、この男を見つめ、答えがでるその日まで……


鬼となって生きてゆく。

あの鬼の棲む家で。



春~了~

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