19
雀の声が、耳に届いた。
――朝の気配に雪花の瞼が小さく震え、同時にずきりとした鈍い痛みに顔をしかめた。
それは覚えのある痛みで、二日酔いというものであることはすぐに承知した。
そうして驚く。
自分が寝ている場所に。
自分の隣で寝ている男に。
単のみで横になっていた自分に――
昨夜は吉次と有村と共に屋形船で夜桜を楽しんでいたはずで、その時からの記憶が無い。
軽く目を見開いて、だから雪花はじっと隣で眠る男を見つめてしまった。
――嘉弘。
どう帰宅したのかも判らず、何故嘉弘と共に寝ているのかも判らない。
雪花は軽く動揺しながら、ふと布団の脇の朱塗りの盆に置かれている自らの着物に気づいた。きちんと揃えておかれている。
ならばそれをしたのはミノだろう。嘉弘が几帳面としてもそのようなことをする筈はない。
軽い混乱が収束すれば、ついで目に入るのは懐剣だった。
苦いものが口の中に広がる。
衝動でそれを手に、ゆっくりと白刃を引き出す。
こくりと喉が上下して、やがてそれを下に向けて両手でかかげ――雪花は嘉弘の胸元へといざなった。
この刃を、下げれば、嘉弘が――死ぬ。
腕に力が入り、わずかに震える。
口の壁がからからに乾き、うまく酸素を取り入れることができずに意識して抑える呼吸。その音すら出さぬようにすればするほど、喉の奥に唾液がたまった。
――嘉弘を、殺したいのだろうか。
もう幾度となく流れる思考に、つっと涙がこぼれた。
「ふっ……」
抑えていた嗚咽がもれる。
気分の高まりが、身を震わせた。
「――そのままさげればことたりるだろうに」
うんざりとしたように、嘉弘が手を伸ばして雪花の両手で支えられる懐剣に触れた。
ぐっと力が更に加えられる。まるで自らを傷つけるように。
強い力に驚愕し、雪花は慌てて懐剣をとりあげようと逆に力を振るう。
嘉弘の胸、わずかばかりの場所で懐剣の先端がふるふると振るえ、雪花は恐怖に首を振った。
「ヤ、やめ……」
「つまらん」
吐息と共に嘉弘の手がはずれ、反動で雪花の体は反対のほうへとはじき出された。
「あなたはっ……死にたいのですか!」
憤りがそう言わせた。
「おまえはオレを殺したいのではないのか」
「……」
静かな問いかけに、雪花は血の気が引くような気がした。
「私は……」
あなたを――
「わかりません」
言葉はぞんがい素直に落ちた。
嘉弘の片眉があがる。
「判らない……」
嘉弘は吐息を落とし、前髪をかきあげると乱暴に雪花の腕を捕らえ、抱き込むようにして床に横になる。
「寝ろ」
「……旦那様?」
「まだ早い――寝ろ、雪花」
寝ろ、と言われても。
他人の腕の中に囚われて眠るなどできようはずがない。
嘉弘の腕が片手で雪花を抱き、言葉の通りに寝入ろうとする。
どうして良いのか判らず体をこわばらせ、体全体に力が入っていたものの、抱き込んでいる男はやがて寝息をたててしまった。
困惑に眉を潜めながら、雪花はそっと嘉弘の胸に手を当てた。
とくとくと心音が手を通して雪花に流れる。
――あなたは死にたいのですか?
伏せた瞼が二度、ふるえた。