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鬼の棲む家   作者: たまさ。
16/52

15

――先日嘉弘を襲ったのは、処断された罪人の友人だとか。

「まったく阿呆らしいこと。

旦那様はただそれをお勤めとなさっているだけだというのに。頭の悪い」


ミノの言葉に悪意は無い。

ただ当然のこととして不用意に雪花の前でもらしたのだろう。

雪花にも判る。

――嘉弘が討つのは罪人で、彼がしている仕事というのは将軍家へと献上される刀の試し斬りが名目。

 彼はあくまで「お試し切り役」であり「首切り役」というものではない。


ならば雪花の抱いた殺意は阿呆らしいの一言で終わるのだ。

父を殺したと言う嘉弘。

――だが父は罪人であったのだから、やはりそれは仕方の無いこと。せんないこと。

 そうして嘉弘は武家でなく、浪人。

あくまでも彼一個人。

つまり、汚れ役をやる彼は幕府と無縁。

ただ彼は一人で汚れ役をこなし、そして悪感情を受ける。それはおそらく、幕府の目論見。

悪いのは山田浅右衛門という、人の死を生業としている悪鬼のみ。

多大な報奨を受け取り、人を殺し、その臓腑をえぐる悪鬼。

それはまったく幕府の感知するものでない。


頭では理解しているのだ。

だが感情は――正直、宙に浮く。


父が悪いと気持ちがゆれ、そしてまた、嘉弘が手を掛けたのだと揺れる。

雪花の胸でくすぶるものは、今となっては父への恨みか、それともあの自らを食む男へのものなのか。


「では少し、基礎体力を作りましょう」


体が全快すれば、有村が雪花に微笑んだ。

だがその手には竹刀もない。腰には大小がさしてはあるが、それを使うとも思われぬ。

雪花が瞳を瞬くと、有村は足元にある石でもって地面に丸く円を引く。

「いらっしゃい」

ひらひらと手で招かれた。


描かれた円は大人が三人程は入れるほどの大きさ。

その中に入るようにと促され、雪花は首をかしげつつも言われたとおりに入る。

と、有村もその円に入り、ぱんぱんっと手を叩いて指先についた土を落とした。

「では、私を捕まえて下さい」

――雪花は眉を潜めた。


こんな狭い場で何を言っているのか?

手を伸ばせばすぐに有村に触れられる距離だ。

「掴むのは私の右手ですよ。ではどうぞ」

ひらひらと右手を示され、怪訝に思いつつも雪花は言われたように相手の手を掴もうとした。


ひょいと逃げる。


ひょい、ひょいひょい。ひらり。


「高い場所には逃げませんから、思う存分どうぞ」


にっこりと微笑む相手を、雪花は唖然と見つめた。

――こんなに狭い場所であるというのに、雪花の手が有村の手を捉えることができない。

夢中になって追い掛け回していると、やがて呆れたような吉次の声が聞こえた。

「まぁた楽しそうなことをしとるな、有村」

「おや、御前。お茶ですか?」

「そうじゃ。むさくるしい男共と渋茶をすすってもつまらぬからな」

 手にはいつも通り、菓子屋の包み。

「おいで雪花や。わしに茶をいれておくれ」


「まだはじめたばかりなんですよ、御前」

「雪花は汗をかいておるようじゃが?」

――それは雪花の基礎体力が無いからだ。

「そうですね。では、お茶にしましょうか」

有村は雪花が肩で息をするのを笑い、捕まえろといった右手で雪花の手首を引いた。


――今のにどんな意味があるのです?

 雪花は茶の用意をし、有村の手に指を走らせる。

ほんの少し、拗ねてもいた。

雪花が望んでいるのは、剣術だ。勿論、懐剣と長刀とはまったく使いも違うであろうことは理解している。だが、雪花の想像したのは竹刀を振ったり、刀の持ち方を倣うことだ。

 こんな児戯に意味があるのか。


雪花が恨みがましい目で見るのに多少たじろぎながら、有村は苦笑した。

「雪花さんは体力がまずない。

あと手の力が――」

すっと、手のひらをつかまれた。

せんだって吉次がしたように、むにむにと指をもまれるとなんとも気恥ずかしい気持ちになる。

「雪花さんの手は柔らかで、すぐに竹刀を持つには弱々しい。

私の手を握ってごらんなさい。判りますか? 無骨でしょう?」


そういう手は大きく分厚い。

表面の皮が硬い。

「ゆっくりと体力を作りましょうね」

教師の顔で言われれば、雪花とてそれ以上の文句も言えぬ。

「手の力もつけなければ、すぐに破れて痛い思いをすることになる」

――雪花は苦笑した。

 どんな時間をかけたところで雪花の手が有村の手のようになることは無いように思う。それが悔しくてぐいぐい手のひらを押していると、吉次が「ごほん」とずいぶんとわざとらしく咳をした。


「年寄りは邪魔かのぉ」

「………」

ぱっと、有村の手が雪花の手から逃れた。


「まぁいいわい。

雪花や、今度花見にいかんか? もう少しで桜も三分咲きになろう。そのあとは驚くほど早く満開になろう」


どうだ?

といわれ、雪花はきゅっと眉根を潜めた。

先日も到底外出などできなかった。

外は怖い――コワイのだ。


「籠をしたててな。墨田の川で船に乗るんじゃよ。

なぁに安心おし。舟遊びじゃからな。他の誰がいるわけでなし――月夜に美味い料理をつまみ、水面もにうつる桜と月を楽しむのじゃよ」

それは随分と贅沢な遊びだ。

 一般の庶民はただ一度もそんなことをすることは無い。

雪花は戸惑いに瞳を揺らした。

「承知しておきなさい、雪花さん。

この御前はここで貴女に袖にされれば、それこそ中のように桜木をこの庭に運びかねないのだから」

 さらりと有村が言った言葉だか、言った途端有村は失言に口元に手を当てそうになる。


「ほっ、中ときたか」

「――ただの知識ですよ」

「ほぉ。おまえもなかなか隅に置けんなぁ」


また判らぬ会話だ。

――吉原を示すその言葉を、知らぬはまた道理。

「そんなことは当代のほうがよくご存知でしょうよ」

いやそうに言う有村に、どうやらこれも聞いてはいけないのだろうと雪花は理解する。茶屋のことと同じく、そのうち嘉弘に尋ねるきかいもあるかもしれない。

「とにかく、行きましょう。雪花さん?」

「わしは別におまえは誘ってないぞ、有村」

「また冷たいことを」

「雪花が行くと言うてくれるんであれば、まぁ、おまえも末席にくわえてやっても良いがな」


そんなふうに言われては、雪花とて断りづらい。

雪花は戸惑いを隠さぬまま、


――夜でございますか?

と尋ねてみる。


「夜じゃよ。月の綺麗な晩にな」

――旦那様にお尋ねしてみます。


さすがに昼間でないのであれば、主の許しが必要だろう。

雪花はあくまでもこの屋敷の家人なのだ。


吉次は苦いものでも噛むように顔をしかめたが、やがて息をついて笑った。

「あれも孫じゃが、のぅ、雪花。

わしにしてみればおまえもわしにとって孫や娘じゃ。それだけは忘れてくれるな?」


優しく語るその意味が判らず、雪花は不思議そうに首をかしいだ。



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