12
雪花が寝込んだのは、外出がたたったのだろうと――
ミノが有村に小言を言っている。
離れで一人床につきながら、それでもその喧騒は聞き取れた。
雪花は熱でぼんやりとする視界で雪見窓から外を眺めながら、有村への申し訳ないという思いと同時、ミノへの不満をくすぶらせた。
幼い頃――小娘であった頃にこの屋敷に引き取られ、その後は誰よりミノと顔をつき合わせてきた。娘らしい着物の着方も、浴衣の縫い方も、花の作法ももの言わぬ雪花に教えてくれたのはミノだ。
――だが、その全てが雪花を嘉弘の妾とする為の布石であるのは明らかだった。
時折、ミノが憎らしく感じる。
けれどそれは本当にミノが悪いのであろうか?
自らの非を、他人へと移し変えているのではないだろうか?
雪花は熱に体を支配されながら、せんないことばかりを考える。
「失礼しますよ」
熱も二日目。床についたままの雪花の耳に柔らかな声が入り込み、すすっと縁側に続く障子が開く。
笑みをたたえて現れたのは有村藤吉で、雪花は咄嗟に身を起こそうとした。
「いえ、そのままで――すみません、私のせいで」
苦笑をこぼす相手に、雪花はそれでも上半身を起こして首を振った。
――あなたのせいではない。
それだけは伝えたい。伝えねばならなかった。
障子から五歩の距離を、有村は音をさせずに近づく。
その手にあるのは、見慣れた桃源堂の菓子折り。雪花の布団の脇に置かれる茶器の盆にそれを載せ、ついで有村は自らの袂を探った。
「浅草様でこれをいただいて参りました。
お守り代わりに」
そうして差し出されたのは、ころりとまろやかな鈴。
組み紐に下げられた鈴は、手毬を小さくしたような様相で実に愛らしく、雪花はふわりと笑んだ。
ちりんっと鳴る音も愛らしい。
熱もだいぶ引いた雪花は、有村の手をとり、ゆっくりとその手の平に指先を走らせた。
―――うれしいです。
「喜んでいただけてよかった。
それでは、病床に長居をしてはあなたの体に障る。私はこれで失礼しますね」
こくりとうなずく雪花に、有村は一旦背を向けて縁側へと向かい、けれど途中で振り返った。
「体が本調子になりましたら、稽古をしましょう。
今度は無理をせずに中庭で」
では、と有村が頭をさげて下がるのを見送り、雪花は手の中に残された鈴をきゅっと一旦握りこみ、ついで耳元でゆっくりと振った。
有村の優しさが雪花の淀んだ気持ちをさらさらと流す。
鈴の音が闇を払うかのようにも聞こえる。
その一方で、雪花は瞳を震わせた。
――稽古を願い出たのは、嘉弘との絶対的な力の差を思い知ったからだ。
このままで嘉弘と向かい合うことなどできはしない。せめてもう少し太刀打ちできる何かが欲しい。
雪花の頬を涙が一筋落ちた。
なんて浅ましい――なんて愚かしい。
そして、優しいあの人を利用する自分はなんて恐ろしい鬼であろう。
江戸古地図を見ると、浅間さまは「浅草寺」と書かれていますので、「浅間様」ではなく「浅草様」と明記しました。