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鬼の棲む家   作者: たまさ。
12/52

11

 剣術を学ぼうという決意は、雪花の中に(おり)のように沈んでいたものをかき混ぜた。

それは一匙の細き棒。

たった一度の変化は――雪花の生活に違う風を起こす。


 雪花の世界は屋敷の一角のみで、道場も倉も彼女の世界ではない。

離れと屋敷の主のいる一角、浴室と(かわや)(くりや)のみ。それしかもたぬ雪花の前に、有村藤吉は柔らかな笑みを浮かべて手を差し伸べた。

「手、つないでいきましょうか」

久方ぶりの外に足がすくむ雪花に、有村はそう言った。


 正直外は怖かった。

外の空気が、人が、視線が、喧騒が――その全てが雪花を拒むように見える。ざわざわと揺れる喧騒が、まるで全て雪花を示すよう。

――あれが罪人の娘。

――あれが、物言わぬ妾。

――恥知らずの………


 ぐらりとかしぐ体を、有村が支える。

そうして困ったように淡い笑みを浮かべた。

「籠を呼びましょうか」

その言葉にふるりと首を振る。

 怖くて怖くて、今にも屋敷にたちもどりたい。けれど歩くことに意味があるのだと感じる。

細かく震える指先に、やがて有村は諦めた。

 屋敷の門を出て未だ四半刻、それすらたっていないかもしれないのに、雪花は自分の胸元を汗が伝うのを感じた。

「ゆっくり、慣らしていきましょう」

その言葉に雪花は自分の不甲斐なさと同時に、見捨てられた気持ちで泣きたくなった。

有村は雪花の肩を軽く押すようにその向きを変えさせると、支えるように歩き出す。屋敷に立ち戻るのだという思いに切なさを感じれば、有村は優しく口を開く。

「雪花さんはご存知ないと思いますけれど――」

 まっすぐ来た道を、それる。

四辻を折れてほどなくすれば、そこに茶屋。

「ここの団子もなかなかいけます」

 幾つか道端に出された長椅子を示し、雪花を座るようにと促せば、

「いらっしゃいまし。ああ、有村の旦那じゃありませんか」と、茶屋の暖簾から快活な娘の声。

雪花がその声に視線を上げれば、娘はほんの少し声の調子を変えて、

「いつもの団子で?」と有村の前で座っている雪花をちらちらと盗み見た。


「だんごを二つ。ああ、やっぱり三つかな――食べれるでしょう?」

楽しそうに顔を覗き込まれ、雪花は周りの視線を気にしながら縋るように有村を見た。

――帰りたい。

こんな場所で茶など、恐ろしい。

その感情を抑え込むことがこんなに困難だとは思わなかった。


外が――こんなにも怖い。

そんな雪花の心を知ってか知らずか、有村は茶屋の娘が運んだ湯のみを一つ手に小首をかしげた。

「雪花さん」

労わるようにそっと指先が雪花の手に触れた。

「武道は心です。大事なのはまず平常心――責めている訳ではありませんよ? 私も早計だったと思います。あなたは随分と屋敷の奥にいらしたのに、突然外に出されればやっぱり怖いですよね?」

 きゅっと胸が痛んだ。


有村は雪花に茶を飲むように促し、それから何が楽しいのか声をたてて笑った。

茶を胃に流し込むと、それでも幾分か落ち着く。隣に微笑む有村がいてくれることも雪花に平常心をゆっくりと与えた。

「いや、これはすいません」

笑ったことを謝罪し、それでもなお面白いのか有村はくつくつと肩を揺らす。

「いえ、あなたは不思議だなと思って」

 雪花はそっと首をかしげた。

「あなたは外が怖いのですね?

でもご存知ですか? 一般の人々は、あなたの暮らすあの家が――怖いのですよ?」

 その言葉は、何故かすとんと雪花の胸に落ちた。


「一般の方々に対して我々は決して刃を向けることは無いというのに、人々はまるで私達が日々楽しく人を殺しているとでも思っているのでしょうかね?

子供達の間で何と言われているか、あなたは知らないと思いますが……」

 さもおかしそうに有村は悪戯でもするように瞳を揺らめかせた。

「あの屋敷に迷い込んだものは切り刻まれる。

もしくは、悪戯ばかりの悪童には、あの屋敷に放り込むぞ、というのが脅し文句になるようです」

 庭も池もたいへん綺麗で素晴らしい場所なんですけどね、と有村は言う。

その言葉を聞きながら、雪花は幾度も瞳を瞬いた。


 莫迦みたい。

―――そう、莫迦みたい。

雪花は知っていたはずだ。

あの家は、鬼の棲む家だと。だというのに、何故こんなにも外のほうが怖いのだろう。


 少しだけ心が落ち着いた。

今も人の気配、視線、話し声が怖い。

けれど震える手はゆるりと止まり、雪花はこくりと茶を飲み下した。

 心の中で、ひーふーみーと数字を数え、有村を安心させる為に精一杯笑顔を向けた。

「落ち着きましたか?

良かった。でも、今日はこのまま戻りましょうね? ゆっくりと色々なものに慣れていけばいい」

 有村はにこにこと雪花を見つめていたが、ふと何かを思い出すように視線をそらし、喉の奥がからむのか「んっ」と小さく幾度か喉の奥を鳴らした。

「?―――」

「いえ、あの……あ、だんご、美味しいですよ?」

慌てた様子で団子をすすめられ、雪花は多少まわりの様子を意識しないように 努めながらっくりと三つついた串団子を咀嚼した。


 有村が何に気をとられたのだろうかと雪花は首をかしげたが、茶屋の奥、暖簾の向こうにここの看板娘の姿がちらつくのを見て、微笑んだ。

―――御二人は好きあっているのかしら?

そう思うとなんだか微笑ましく、ちらりと娘と視線があえば雪花はふわりと微笑んだ。


 いいな、と思う。

誰かが誰かを好きという感情は、いいな、と思う。

―――自分には到底ないものだ。

胸の奥に浮かんだのは、昔許婚として幾度か顔を合わせた千葉の家の次男。 雪花は長女で他に子もないものだから、千葉の家の次男が婿に入ることは決まっていた。

 思えば千葉の家が冷たくなるのは道理だ。


欲しかったのは婿入り先で、嫁が欲しかった訳ではないのだから。

いつか自分も誰か好いた人ができるのか、そう思った途端、その思いは自らの手で握りつぶした。

 もうこの身は嫁げるようなものではない。


しばらく茶屋でゆったりと過ごし、やがて有村は雪花を促した。

「帰りましょう」

 こくりとうなずき、有村の少しあとをつくように屋敷の正門へと向かいかけたのだが、有村の手が雪花をとどめるように前に出た。

「裏門から入りましょう」

その言葉にうかがうように雪花が有村の向こう、屋敷の正門の方へと視線を向ければ、数名の男が声を張り上げていた。


―――ヒトゴロシ、と。


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