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鬼の棲む家   作者: たまさ。
10/52

9

 嘉弘(よしひろ)の寝間を整え直したからそこで休めと言われたが、雪花はそればかりは完全に拒絶し、自らの離れに引きこもった。

 体の痛みを逃すようにぺたりと縁側にすわり、温かな日差しを受ける。ミノが共にいようとしたが、ぐいぐいと追い立てた。

「そんなにてれずとも」

と、ミノは勘違いをして忍びわらっていたが、ただたんに今は誰とも会いたくないだけだ。

 下半身が痛いし、体全体がだるい。

先ほどミノが用意した薬湯をゆっくりと飲みながら、雪花は嘆息した。

時がたつに連れて、だんだんと嘉弘に対して腹がたってきた。ミノもミノだ。なんだか色々なものに対して腹がたつ。


 むかむかとして唇を尖らせ、嘉弘が帰宅したならば絶対にこの口を開いて文句の一つもぶつけてやろう。

雪花はむくむくと怒りを育てていたのだが――其の日はおろか、五日の間、主は帰宅しなかった。



 ミノははじめのうちこそ雪花を労わるようにしていたのだが、だんだんと雪花に当たるような態度を取り出した。

そうすると雪花を放置するようになり、むしろ雪花としては気が楽だったのだが。

「雪花さんがですか?」

金花堂の饅頭を持って茶にしようと訪れた吉次と有村藤吉を前に、雪花は指文字でもって指南を受けたいと伝えた。

 言葉を喋ろうとは思わない。

それは怠慢なのか億劫さなのか、雪花自身わからない感情によるものだ。

 こくりとうなずく雪花に、有村は瞳を何度も瞬く。

「えっと……何故?」

理由を尋ねる有村と違い、吉次は一旦は驚いたものの微笑んだ。

――剣術を、覚えたいのです。

「そうじゃな、またいつ無頼なものが現れるか知らぬ」

「御前、ですがあんなことは滅多にありませんでしょうに。ここは山田浅右衛門の屋敷なのですよ」

「そうおもっとったからこそ、馬鹿がやすやすと入り込んだのじゃないのかい?

雪花だとて元は武家の娘だ。薙刀(なぎなた)なんぞはわしらにとって門外漢じゃが、なに剣ならばいくらでも教えてやれる」

好々爺の顔で言いながら、吉次は雪花の手に触れる。

むにむにと手のひらを押すようにしながら、苦笑した。

「武芸の手とは程遠いのぉ」

そういわれると恥ずかしい。

「ではの、有村」

「はい」

「これからは午後は雪花を鍛えてやってくれ。

まぁ、はじめは体力を作るところからかの。ほほほ、わしも随分と親切じゃのう、有村?

優しいと思わんか、有村? 感謝したくなろう? 有村? のぅ?」

 意味ありげにしつこく言われ、有村は苦笑し、顔を顰めた。


「なんですかその言い方」

「桃源堂のあんこは絶品だぞ」

「上野は近いからいいですけれど……」

有村は嘆息したが、すぐに雪花へと視線をめぐらせてにこりと微笑んだ。

「ということで雪花さん、明日私は上野に行かされるようなのですが、ご一緒にいかがですか? 歩く、というのも大事な鍛錬ですよ」

「うおっ、何気におまえ手が早いなぁ」

「御前、茶化すと怒りますよ? 夕餉に椎茸だしますよ?」

 にこにこしながら有村に言われ、吉次はぶるりと身を震わせた。

「椎茸は駄目じゃぁ……」

ぶつぶつという吉次を無視し、もう一度うながすように言われたが、雪花は困惑にそっと小さく首振った。

 外に……――実はここを訪れてからというもの、外に出たことは無い。

外に出なくとも何の不自由もなく過ごせたし、何より――外は、恐ろしい。身に染み付いた感覚が身を竦ませる。

 罪人の娘として冷たい眼差しと言葉とを投げつけられた日々を、体が、覚えているのだ。有村の優しい眼差しがじっと見つめ、微笑む。

「怖いことはありませんよ。

私もこれでこの家では師範の一人として生きている身ですしね。あなた一人を守るのに不足があるとは思いません」

 強く言われ、雪花はちらりと吉次へと視線を向け、握られたままの手を軽く叩き、慣れた指文字で問い掛けた。

――出て、良いのでしょうか?

すると吉次が苦笑する。

「嘉弘が出るなと命じたか?」

ふるりと首を振る。

嘉弘はそんなことは何も言っていない。

ただここから出なかったのは自分の意志だ。

「では、いってごらん。

まだ春先も春先、冷たい風ばりで櫻の花も咲かぬがの、蕾は膨らんどるから、きっとうっすらと櫻色を感じるじゃろう。散歩に上野は丁度よい距離だろうしの」

 こくり、と雪花はうなずいた。



おやつを済ませ、吉次と有村が道場へと戻って一刻程が過ぎたころあいに聞き慣れた足をするような音が耳についた。

 ミノだと気づくと、途端に雪花は気を滅入らせた。

今日のおやつも明日の約束も、とても雪花の心を晴らしてくれたというのに、ミノが来るというだけで気が滅入る。

 雪花は立ち上がり、棚に置かれた懐剣を胸元にぐっと挟み込んだ。

「雪花さま、旦那様がおもどりです」


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