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鬼の棲む家   作者: たまさ。
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 木枯らしが冷たく耳に触れた。

感情はどこで落としてきたのか、どこか空々しく、冷たい。

判っていることと言えば、それまでの生活はすべて失われたのだということ。

 

 江戸にある藩の組屋敷に暮らしていたそれまでの生活は、砂塵(さじん)のごとく崩れ去り、差し向けられた眼差しはどこまでも冷たいものとなった。


――おまえが殺されないのは、慈悲なのだ。


 ほんの数日前まで、顔を見せればやわらかく微笑み、いつまでも幼子をあやすようにその大きな手で頭を撫でてくれた久遠様の固い口調。父の登城に付き従っていた下男が、労わるようなそぶりで雪花を苦界へと売ろうとするのも、他に術が無いのだと、身寄りの無い子供を、誰も抱えることなどできないのだと。

 向けられる冷たさに、もう気力すらない。


 母が死に、父が死んだ。


 それまでの生活は失われ、十ニ才の子供には成す術などありはしない。

涙は枯れた。

 下男が何を思ったか、売り物にしようという小娘の衣類すら剥ぎ取ろうとしたところで――心は動こうとしない。

 もうこのまま死んでしまっても……

ぐいっと着物の襟首を開かれ、酒臭い息が掛かる。恐怖すらわかぬ心の前に、ふいに、奇妙なものが入り込む。


「ひ、ひぃっっっ」

 泡粒を飛ばして、下男の手が襟首から外された。

突き飛ばされ、そのまま背後に尻をつく。まるで鏡面のように、反対側にいる下男も同じ様に地面に尻をついた。

 その間に、刀――

ぎらりと冷たい白銀の光。二人の間を割るように現れたそれに、下男はぎゃあと悲鳴をあげた。

――殺されるのかな。

 雪花は無表情にそれを眺めた。

刀の冷たい刀身を見つめたのは二度目だ。否、かりにも武家の娘だ。父の手入れするそれを幾度も見たことがある。

 だが、殺されると思うのは、二度目。

しかし、その刀はするりと空を切り、男の腰の鞘に収まった。

静かな、静かな所作。

 がたがたと震える下男などものともせず、男は静かに地面に尻をついて自らをぼんやりと見つめる雪花を見た。

「――雪花」

 名を呼ばれた。

何故、名を知っているのだろうか?

それとも、知っている人だったろうか?

 小首をかしげた。

みあげる相手はまだ二十代になったばかりか、もしかしたらそれよりも若い。武士ではないのか、その髪は髷を結わず、ただ頭の高い場所で一つに結ばれている。浪人という風情の男だ。

 知らない、人。

雪花はそう判断した。


 少なくとも、父のいた藩の人間ではない。目つきが鋭く、何か奇妙な香りがした――香だ。男だというのに香を焚きしめているなんて、雪花は奇妙だと思った。

「おまえは今日から俺の屋敷で暮らせ」

 静かな言葉。

その言葉に、下男が思い出すように口をはさもうとしたが男はそれを冷たい一瞥で黙らせた。

 雪花は男の言葉に眉間に皺を刻んだ。

この男は知らないのだろうか?

――誰も雪花と関わろうなどという酔狂はおこさなかった。仲の良かった隣屋敷の人間も、口約束だけだったとはいえ、婚約者という間柄だった千葉の家も。

 罪人の……――

「俺の名は山田浅右衛門嘉弘やまだあそうえもんよしひろ

――おまえの父親を殺した男だ」


凪いだ心が、ざわめいた。



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