七十話 初恋
一華ちゃんのおかげで香里への思いを吹っ切れることができた。
そのことでお礼を伝えると、彼女はようやく笑ってくれた。
「えへへ……良かった」
嬉しそうにほおを緩めて、それから――俺の手を握ってきた。
「何が良かったの?」
「たくみにぃが、悪い女の子に騙されなくて……良かった」
返す言葉もない。
俺は本当に人を見る目がないのだろう……武史といい、香里といい、どうしてあんな人間を信頼していたのか、今になって考えるともう分からない。
思い返してみると、幼いころから他人を疑ったことなんてなかった。
性善説……と、いうのだろうか。両親こそいなかったものの、祖父母も親族もみんなすごくいい人で、だからこそ他人を警戒なんてしてこなかったのである。
そのせいで、武史や香里には傷つけられることになったのだが……とはいえ、それがあったからこそ、花菜さんや一華ちゃんとの距離が近くなったと、今ならポジティブに考えられた。
「……たくみにぃの初恋は、辛い思い出になったかもしれないけど」
それから、一華ちゃんはこんなことも呟いた。
「でも、次は絶対に――幸せになってほしい」
一華ちゃんは、もう泣いていない。
今度は俺をまっすぐ見つめて、力強い口調でこう宣言した。
「そして、その隣にいるべき人は、たくみにぃを一番好きな人がいいと思う」
俺にとって、彼女は未だに近所の子供というイメージが強い。
体つきこそグラマラスではあれども、顔立ちは幼いわけで……やっぱりまだ、子供扱いしてしまうときがある。
「たくみにぃ……わたしの初恋は、まだ終わってないからね?」
だからこそ、時折見せる大人びた顔には、ドキッとさせられた。
「いつか、たくみにぃがあの人のことを完全に忘れた時――覚悟しててね? わたしの初恋は、幸せにしてみせるからっ」
「――っ」
手を握りながら伝えられた告白の言葉に、俺は――言葉が詰まって、何も言えなかった。
鼓動も大きく、早く、激しくなっていて……少し、緊張してしまっている。
今、初めて一華ちゃんを異性として意識したような気がした。
もう子供じゃない、と……そう主張されているみたいで、うまく言葉が返せなかったのである。
そして、緊張していたのは……俺だけじゃなかったようで。
「じゃ、じゃあ……そういうことだからっ。また、後でね! お母さん、もうお風呂から上がってるはずだから、わたしも入ってくるっ」
一華ちゃんは、もう耐えられないと言わんばかりにソファから立ち上がって、リビングから出て行ってしまった。
「……ふぅ」
慌しい足音を耳にしながら、俺は高鳴る心臓を抑えて大きく息をついた。危なかった……あのままだったら、へたれて俺が逃げていたかもしれない。
でも、いつかちゃんと向き合おう。
今はまだ、香里のこともあって準備ができていないけど……今度はしっかり一華ちゃんの気持ちを受け止めたいと、そう思ったのである。
と、そんなことを考えながら胸をなでおろしていたら。
「――若いっていいわね」
「っ!?!?!?」
いきなり声をかけられて、またしても心臓が飛び上がった。
いつの間に接近していたのだろう……花菜さんが俺の耳元に顔を近づけて囁いてきたのである。
勢いよく振り向くと、そこにはニマニマと笑っているお風呂上がりの花菜さんがいた。
「青春って感じかしら」
……もしかして、俺と一華ちゃんのやり取りを隠れて見ていたのだろうか。
だとしたら、ものすごく気まずいのだが。
「……娘をよろしくね。幸せにしてあげてくれると嬉しいわ」
「ちょっ、花菜さんっ。からかわないでください!」
抵抗しても無意味。花菜さんはそれからしばらく、俺を見てはからかうように笑ってばかりだった。
もちろんそれは、すごく恥ずかしい。
でも、なんというか……家族みたいなやり取りができて、少し楽しかった――。




