六話 優しさの温もり
――ふと気づいた時には、もう朝だった。
「……はぁ」
窓から差し込む朝日を見て、思わずため息がこぼれる。
気分は最悪だ。何せ、一睡もできなかったのだから、それも当然である。
目を閉じると、どうしても昨日の出来事がフラッシュバックして、眠ることなんてできなかった。
裸で抱き合う武史と香里の姿が、忘れたいのに脳裏にこびりついている。俺を嘲笑う声も、聞きたくもなかった嬌声も、鼓膜にへばりついて離れない。
(もう、俺の部屋は使えそうにないな)
昨日は、リビングのソファで寝た。二階の自室は武史の部屋と向かい合わせなので、どうしても窓を見るたびにあの光景を思い出してしまう。
少しでも早く忘れるために部屋は使わなかったが、それでも眠れないなんて……思っているよりも、気分は最悪なのかもしれない。
(……今日は学校、休むか)
眠れなかったせいなのか、あるいはストレスが原因なのか。
体調が芳しくない。頭がフラフラしていたので、仮病というわけでもなかった。
今日は無理をせず、学校を休むことにしよう。
そうすれば、武史と香里とも顔を合わせずにすむ……そう思って、テレビをつけた。
朝のバラエティ番組を見ながらダラダラしていた、そんな時。
『ピンポーン』
インターホンの音が鳴った。こんな朝早くに誰だ?
俺の家に来る人間なんて、遠方に住んでいる親戚か、宅配業者くらいしかいない。どちらもこの時間帯に来るのは変なので、怪訝に思いながらも玄関の扉を開けてみると……そこには、エプロン姿の花菜さんがいた。
「あ、おはよう。巧くん、急にごめんね」
「……えっと」
どうして、俺がいると分かったのだろう?
時刻はもう九時を過ぎている。通常であれば、俺が学校に到着している時間帯なのに。
「もしかしたら、いるかなぁと思って訪ねてみたの」
「よく分かりましたね」
「いなければ、それはそれで良かったんだけど……ダメ元で来てみたの。いてくれて良かったわ」
と、花菜さんは言っているが、このあたりでようやく本意が読めた。
(……俺の事、心配だったのか?)
もし、登校しているのであれば、それくらい元気ということである。
ただ、家にいる場合は、登校する元気もないということになるわけで。
花菜さんは俺の状態を確かめるために、インターホンを押したのだろう。
「家、上がってもいい? 朝ごはん、作ってあげようと思って。あと、昨日はできなかったお掃除とか、買い出しもしたいの」
本当に、律儀な人だ。
昨日、花菜さんはこう言ってくれた。
『武史の罪を、償わせて』
俺のためになんでもやってくれるらしい。その言葉通り、昨日は散らかっていた家を軽く掃除してくれた。ただ、時間も遅くなりかけていたので、本格的な掃除はできずに花菜さんは帰宅していったのである。
その続きを、今日はやってくれるみたいだ。
まぁ、断る理由はない。
頷いて招き入れると、花菜さんは丁寧に頭を下げて家に入ってきた。
「お邪魔します……そういえば、巧くん? 顔色が悪いけど、大丈夫?」
「いえ。学校を休む程度には、体調は良くないですけど」
「それもそうね。ちょっと止まってくれる? あと、しゃがんでくれたら嬉しいわ」
「……はぁ」
言われた通り、立ち止まってしゃがみこんだ。
身長の低い花菜さんと目線が同じくらいになったのはいいのだが……一体何がしたいんだろう?
怪訝に思いながら様子を見守っていると、花菜さんは不意に顔を近づけてきて、俺のおでこに自分のおでこを当てた。
「っ……!」
少しだけびっくりした。
急に美人な女性が顔を近づけてきたのだから、それも無理はない。
「あの……何してるんですか?」
「んー? 熱があるか、確認してるの……ちょっと熱っぽいわね。消化に良いおかゆでも作ってあげようかしら」
そういうことか……熱を測るなら体温計でいいので、別に肌を合わせる必要なんてないのに。
無防備というか、無自覚というか……相変わらず、隙の多い人だと思った。
でも、悪い気分はしない。
(……心配されるのは、いつぶりかな)
数年前に祖父母がなくなって以来、かもしれない。
正直なところ、一人で過ごしたい気持ちもあった。
でも、やっぱり花菜さんがいてくれた方が、気持ちが楽になるのだろうか。
そんなことを考えてしまうくらい、久しぶりの人の温もりは、とても優しかった――
お読みくださりありがとうございます!
もし良ければ、ブックマーク、高評価、レビュー、いいね、感想などいただけますと、今後の更新のモチベーションになります!
これからもどうぞ、よろしくお願いいたしますm(__)m