十話 あいつの溺愛する妹
花菜さんの書置きで、一華ちゃんという名前を見たからだろうか。
夜、リビングでテレビをぼんやり眺めながら……俺は、あの子のことを思い出していた。
年齢は俺と二つ離れているが、子供のころは近所ということもあってよく遊んでいた。
いや、遊んでいたというか……パートで忙しかった花菜さんが、たまにうちの祖父母を頼って武史と一緒に我が家で預かっていたのだ。
武史はナマイキなクソガキだったので、うちの祖父母にも反抗していたが……一華ちゃんは、祖父母にもよく懐いてくれていたことを覚えている。
祖父母もデレデレで、来るたびにお菓子をあげて甘やかしていた。
さすがは花菜さんの娘だ。
あの子は人に可愛がられる才能を持っていると思う。
そんな女の子だからなのか、武史もかなり溺愛していた。あいつは家族を大切にしている……というか、ちょっとシスコン気味で、あとマザコンの気質も持っているような気もする。
態度こそ荒いが、なんだかんだ家族思いの愛情深い奴――と勘違いして、俺もあいつのことを信頼していたわけだが。
……いや、武史のことなんてどうでもいいか。こんな無駄な記憶、さっさと忘れてしまいたいところである。
とにかく、五味家には一華ちゃんという天使が存在しているということを、ふと思い出していたのだ。
そんなタイミングだからなのか。
なんの前触れもなく、リビングから見える庭に一華ちゃんっぽい女の子が見えた時は、幻覚かと思った。
あ、あれ?
おかしいな。窓越しに中学生くらいの女の子が見える。
明るい色に染めた、短めの金髪がやけに似合う制服姿の少女だ。
一華ちゃんが大きくなったら、きっとこんな姿になるだろうなぁと思わせる容姿である。
でも、うーん……幻覚にしては、やけに姿が鮮明では?
と、その幻影を凝視していたら、窓が何回かノックされた。
「おーい! たくみにぃっ。見えてるでしょ? 開けて!」
……やっぱり、幻覚じゃない!
今、うちの庭には、たしかに誰かいた。
どうしてインターホンを鳴らさないのだろう……というか、今は何時だ?
時間を確認すると二十二時を過ぎていた。
制服姿の少女が出歩くには危うい時間帯である。
いったい何だ?
明らかに不審ではあるのだが、彼女に一華ちゃんの面影を感じたので無視できず、結局窓を開けることにした。
「ふぅ、リビングにいてくれて良かった……たくみにぃ、久しぶりだねっ。わたしのこと、分かる?」
「……もしかして、一華ちゃん?」
恐る恐る、名前を読んでみる。
すると、彼女は嬉しそうにぴょんと跳ねて、俺の手をギュッと握った。
「良かった! 覚えててくれたっ……そうだよ、一華だよ? えへへ~」
いや、久しぶりの会話は、もちろん嬉しいけど。
しかし、それよりもこの状況が気がかりで、喜ぶどころではなかった。
「な、なんでこんな時間に?」
「……あ、そうだ! たくみにぃ、たいへんなのっ。緊急事態なの! どうしてもすぐに伝えないといけないことがあるの!」
「そ、そうなんだ……でも、なんで庭から?」
「こんな時間にインターホンを鳴らしたら、ご近所さんに迷惑でしょ?」
俺には迷惑と思ってくれないのだろうか。
ともあれ、このちょっと抜けているところが一華ちゃんらしくて、憎めなかった。
さて、いったい何があったのだろう?
詳しく話を聞くためにも、一華ちゃんには家に上がってもらうのだった――。