あの日の言葉
小さな光がふわふわと漂いながら、空へと昇っていく。
ソーリャの人々は、それを何か分からず見つめた。
その小さな光は、どうやら地面近くから現れてるらしい。
子どもたちはくすくす笑いながら光に手を伸ばす。
親たちは、その光が危ないものだとは全く思わずに、ただ見惚れていた。
光が数を増やす中、屋根の上や屋台のテントの上、広場の時計の上、壁の上。
高い場所の至る所に金色に光る人型のものが、ひとつ、またひとつと人々の視界に入り始めた。
「おい、あれはなんだ」
「金色の……人のように見える」
「それより、ねえ、歌が聞こえない?」
「歌?」
「かすかに……音楽? ううん、やっぱり歌よ、これ。誰かが歌ってる」
それはハミングのようで、意味をなさないにも関わらず、多くの人が涙を流している。
悲しいのか。
苦しいのか。
嬉しいのか。
言葉にならない言葉が人々の胸に迫る。
それは別れを告げる歌だった。
街のあちこちに、果ては路地裏にまで光る人影が現れ、歌が重なっていく。
そして、1人が飛び立った。
それを追うように、また1人。
次々と輝く影は空へと飛び上がる。
光の残像を残しながら、高く、高く、遥かなる天へと還っていく。
ひとつを残して全ての影が空の向こうへと姿を消すと、辺りはすっかり暗くなっていた。
街の灯りや屋台の灯りはそのままなのに、なぜか世界から光が消え去ったような、そんな薄暗さが感じられた。
ウォーダンは、広場の時計の上に座った最後の光る影に向かい、膝をつく。
「ターニャ・ソーリャ。初代聖女様」
人々は息を呑んだ。
初代聖女の魂がまだそこにあった事に。
最後の1人になるまで見送っていた事に。
聖女たちの魂が囚われている、それは当然、初代聖女であるターニャ・ソーリャの魂も囚われているということなのだ。
人々はその事実を今、目の当たりにした。
分かってはいても理解できていなかった事実。
ターニャ・ソーリャの魂はゆっくりと腰掛けていた時計から降りて、静かに音も立てずにウォーダンの元へと歩いて来た。
一歩、また一歩と輝きが弱まってはっきりと姿かたちが見えてくる。
それは、誰もが歴史で習う初代聖女の年老いた姿だった。
ターニャ・ソーリャはウォーダンのそばまでやってくると、微笑みを浮かべてその頭に手を置いた。
途端、まばゆい光が溢れて誰もが一瞬視界を失った。
だがそれはほんの一瞬のことで、光が落ち着くとそこにはウォーダン1人がひざまずいていた。
聖女たちは全て、天へと還っていったのだ。
ウォーダンは立ち上がると、宣言した。
「我々は、2度と聖女という犠牲を誰かに強いたりしない。人間を犠牲にして作動させる結界を、ソーリャは未来永劫破棄する事をここに宣言する!」
誰もが納得の上で、承知しているものではなかっただろう。
だが、ソーリャの多くの人々はこれを受け入れた。
啜り泣きとともに、少しずつではあったが拍手が聞こえ始めた。
神官たちが前へ出てきて、膝をつく。
「祈りましょう、皆さん。全ての聖女のために。彼女たちの魂に祝福があるように」
喝采はなく、感動の涙なども存在せず。
人々はただ泣き、祈り、静かに祭りの最初の夜は過ぎて行った。
ウォーダンは神官たちが前へ出てきたのと同時に後ろへ下がり、そして広場を離れて走り出した。
行き先はもちろん、聖女の間だ。
そこにはセレフィアムがいる。いるはずだ。
全力で走り続け、息を切らしてたどり着いた聖女の間は、その扉を静かに閉じていた。
周囲には誰もいない。
あの騒がしい魔女の娘もいなかった。
ここではないのか、もう目覚めてどこかへ移ってしまったのか。
そう思いながら、扉を開く。
冷凍睡眠装置の前に、少女が1人座り込んでいた。
扉が開いた音を聞いて、少女は弱々しく顔を上げる。
金色の長い髪。
透き通った白い肌。
美しく整っている顔立ちなのに、どこかいたずらな印象の少女。
「セレ」
「ウォル」
呼びかけてそのそばに膝をつくと、少女はその大きな瞳に涙を浮かべて彼に抱きついた。
「ウォル! ウォル! ごめんなさい、ごめんなさい! やっと会えた、ごめんなさい!」
「セレ……」
ウォーダンは腕に中にすっぽりとおさまる小さな少女を、夢ではないのか、壊れはしないかと震えながらそっと抱きしめる。
謝らなくていい。
泣かなくていい。
ただ笑ってくれればいい。
全てはそのためだった。
彼女に笑っていてほしくて、そばにいてほしくて、幸せでいてほしくて。
やっと。
やっと。
「セレ」
抱きしめると、涙がこぼれた。
「ずっと一緒にいてくれ。もうどこにもいかない。ずっとそばにいるから。幸せにするから」
セレフィアムがぼろぼろと涙をこぼしながら頬を擦り寄せる。
「うん。うん、一緒にいる。ずっと一緒にいる。ウォルと一緒にいる」
そして頬を染めて笑うと、あの日言えなかった言葉を告げた。
「好き。ウォルが一番好き。他の誰より、一番、一番大好き」
ウォーダンは笑って、セレフィアムの額に自分の額をぴたりとつけると、「愛してる」と囁いた。
「愛してる。ずっと、ずっと。永遠に、セレ」
セレフィアムはただひと言、「うん」と答えて目を閉じた。




