蛍の光
収穫祭1日目。
空はどこまでも青く澄んで、気持ちの良い風が草原を駆け抜けていく。
今日は都市王が旧文明の頃の壁を草原に作り上げるそうだ、と市民の間では噂になっていた。
人々はその壁が出来上がるのをこの目で見ようと朝早くから街の外へ出て来ている。
だがそこにあるのは何もない草原。市民が不用意に近付かないよう兵士が見張りに立っているが、それ以外は特になんの変哲もない、ただの草原だった。
「本当に今日あそこに壁ができるのかね」
「いやあ、その準備をするという事なんじゃないのか?」
「だが旧文明のものだからな。どんな不思議があってもおかしくないさ」
「まあそれはそうだ」
呑気に遠巻きにして見物する市民たちの前でそれは始まった。
兵士たちの列を背に草原の端へと歩いていく1人の人物。
それが帝国からやってきた都市王だと、全員が知っている。
その彼がある地点で立ち止まり、しばらくすると。
大地が震えた。
あの日の悪夢が、災害が再び起きたのかと誰もが青ざめた。
兵士たちですら、その場を動かなくとも顔を引き攣らせている。
そして。
地面の下から何かが大地を押し上げて姿を現した。
土や岩が振動とともに『それ』から転がり、滑り落ちていく。
太陽を隠して影が草原に落ちていく。
それは壁だった。
巨大な壁の一部が、地下からせり上がってくる。
唖然とする人々に、ウォーダンは振り返った。
「次の壁を地下から出す! 手筈の通り、問題がないか確認せよ!」
壁はいくつもに分けて管理されている。
これからそれをひとつずつ、地上に出して検査することになっていた。
突然現れた草原の壁を前に、人々はただ呆然と兵士たちの仕事を眺めるのだった。
「壁を出す作業、見に行かなくていいの?」
ソウルに訊かれて、ツェツェーリアは串焼きのお肉を呑み下ろして言った。
「別に、将軍サマたちに任せていいんじゃない? それより、屋台の準備を見る方が絶対楽しいよ?」
《わたしもそう思う》
「ならいいんだけど」
ソウルとしては、少しばかり残念な気がしないでもないが久しぶりの収穫祭という事もあり、どちらへ向かうにしても文句はない。
むしろ、壁のほうは地下のモニターで映像を記録しているという事だし、それに見るなら昼に、兵士たちがもっと作業に慣れてからにしてくれとも言われている。
誰にとっても初めての事だ。
魔女の娘に万が一の事があってはいけないと、ウォーダンもエドガーも少しばかりピリピリしていた。
「どの屋台の料理を買うか、考えながら回るのも楽しいよね」
《ウォルとエドガーと、あとトゥインにもお土産選ばなきゃね》
トゥインは絶対に壁のほうへ行くのだと言い張って、半ば無理やりウォーダンについて行った。
目の前で壁が持ち上がってくる様子を見ておきたいのだそうだ。
何度も繰り返しその作業を見る事でわかる事があるかもしれないと、朝から張り切っていた。
普通であればソウルも見てみたいと思うのだろうが、あいにく彼はここしばらくの色んな出来事でお腹いっぱいだった。
軍馬に始まってドラゴンに魔女に契約に、聖女の霊にソーリャの聖女の間、しかも地下施設にまで行った。
壁の見物を諦めてくれと言われて、不満を感じるよりも「まあいいか」という気分になったのが正直なところだった。
壁は草原を大きく囲むようにして次々と立ち上がっていく。
人々は歓声とともにそれを眺め、兵士が確認して許可を出した壁があれば、それに近づいていって手で触れて確かめていた。
壁の中に取り残される魔物がいないよう、兵士たちは警備と巡回の手を緩めず、市民たちの行動も自ずと制限されてはいるが、それでも彼らは満足そうだった。
壁の建設も何もかも、彼らにとっては今日という日のイベントのひとつ。
存分に楽しんで後々家族で語り合う。
そのための今日だった。
彼らはみな、今日の空気を後世に伝えるため、全身で味わっているのだ。
夜。
通りには多くの屋台が立ち並び、辺りに美味しそうな香りを振りまいて、楽しげな人々が料理を次々と買っていく。
人の流れは通りだけでなく神殿へと向かい、広場に入りきれなかった者たちは門の外で溢れんばかりにその時を待っていた。
そして、神殿の広場の灯りがその明るさを一層増して夜を照らし出す。
全ての壁の立ち上げを休む間もなく大急ぎで終えて、疲労困憊しているはずのウォーダンは、疲れた様子など微塵もみせずに神殿の広場に姿を現した。
街中の多くの場所で、そしてあちこちの壁面にその様子が映し出される。
歓声が上がる中、ウォーダンは片手でそれに答えると話し出した。
「ソーリャの人々よ! 今日はこれより3日間続く収穫祭の初日だ! 今日、わたしはこのソーリャを囲む旧文明の壁を蘇らせた!」
人々が湧き立つ。
その興奮を収めて、ウォーダンは続けた。
「今日のこの素晴らしい夜に、わたしはこれまで結界を作り続け、守り続けて来た聖女たちの魂を天へと還したい! ソーリャの人々よ、長きに渡りソーリャを守り、愛し続けてくれた母なる聖女たちのために祈ってほしい! 彼女たちの魂が安らかで在らんことを!」
「聖女様のために!」
「聖女様のために!」
「聖女様のために!」
ツェツェーリアはその様子を見ながら、地下の人工知能に念話で話しかける。
『聖女たちを解放して。この街にいる誰の目にもはっきりと分かるように』
『かしこまりました。貯蔵された全ての魔力を使い切りますが問題ありませんか?』
『いいよ。あ、もし足りないなら犯罪者の魔力から先に使っちゃって』
『了解しました。聖女たちを解放します』
夜の街の中、ソーリャのあちこちで蛍のような小さな光が飛び交い始めた。




