はじめまして、将軍サマ
翌日、エドガーはソウルとトゥイン、そして魔女の娘だという黒い子猫を連れてウォーダンの執務室へ向かった。
セレフィアムはウォーダンのそばを離れて、エドガーと一緒に彼らを迎えに出、今はふわふわと廊下を浮かんで進みながら、ソウルに抱かれた子猫と何やら会話をしている。
セレフィアムにしてみれば、初めての気のおけない女の子の友人だ。
夢の中の事は全く記憶にないようだが、それでも話し出すと止まらないようでやけに楽しそうだった。
エドガーなどにはその様子が微笑ましく見えるのだが、トゥインには違うようで顔をしかめると苦々しく見やる。
「全く女ってのは。何かあるとそうやってぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、少しは黙っていられないのかね」
ソウルはその言い方に苦笑した。
「しょうがないよ。女の人はそうなんだって、父さんが昔そう言ってたな、そういえば」
「お前はあの猫に甘すぎだ。あいつはほんと、なに見てもあれはなんだこれはなんだ、あれ食べたいあれも欲しい、それ買ってとほんとにまあ……」
これまでの道中の事を思い出し、うんざりしたように目を閉じて天を仰いで見せたトゥインに、ソウルは子猫の背を撫で、その艶やかな毛並みのうっとりするような手触りを楽しみながら答える。
「ずっと寝てたんだから、なんでも珍しいんだよ、きっと」
トゥインには妹がいない。
リェラという従妹はいるが、彼女はそもそもが大人しい上に、トゥインの前では絶対にわがままを言わなかったため、ソウルの忍耐力が驚異的なものに見えた。
妹のいるソウルにしてみれば、自分よりも年が下の女の子というものは騒がしくて生意気で、でも守ってやらなければならないものなのだ。
そこに我慢や忍耐といった認識はない。
「まあ年頃の女の子というものは皆、ああいうものなのでしょう」
そしてアナスタシアの傍若無人ぶりに慣れ、セレフィアムを甘やかして育てたエドガーは少女たちの様子を微塵も気にしていなかった。
ウォーダンの執務室の前には、いつも兵士とメイドが待機している。
この仕事はメイドたちに人気で、お茶を上手く淹れられるようになると指名される事もあるため、神殿勤めのメイドたちは腕を上げるための訓練に余念がない。
だがそこまでしても彼女たちが会話できるのは仕事の事だけ。
騎士や将軍と親しくなる事はできないと理解して、移動を願い出る者もまた少なくはなかった。
そんな事は知らないエドガーは、ドアの前で入室を許されるのを待つ間にメイドに微笑みながら声をかける。
「いつもご苦労様ですね。あとでわたしにも美味しい紅茶をお願いしますね」
職務中は一切無駄口を叩かない帝国兵たちに飽き飽きしていたメイドの娘は、今日は腕を奮ってとびきりのお茶を淹れよう、と決意する。
それを見ていたトゥインは、『なるほどああすればいいのか』と、またひとつ人付き合いのコツを覚えた。
素朴な村人や妻帯者の神官、無骨者のダイナからは得られなかった知識である。
自分もメイドに微笑もうとして、背後でセレフィアムがソウルに話しかけるのが耳に入った。
《いい、ああいうのは絶対に真似しちゃダメよ。あなたはツェーラの騎士なんでしょう? ああいう事をよその女の人にやると誤解されて大変な事になっちゃうんだから》
「大変って?」
こそこそと小声でソウルが確認する。
《エドガーはね、昔から女の人によくモテるの。でも誰の事も本気じゃなくて、女の人同士で勘違いしてケンカになっても、なぜそんな事になってるのか分からない、って冷たく言ったりするのよ》
まじか、ひでえ。
トゥインが心の中だけで思った事に反応するかのように、エドガーの気分を害したとでも言いたげな念話が響く。
《わたしは誰にも言い寄った事はありませんよ。神官として丁寧に接していたら、相手の方がなぜか誤解してしまうだけです。それからソウル、後で念話を教えてあげますから、あまりうかつな事は口にしないでくださいね》
ソウルが叱られたように肩を小さくすくめ、エドガーを見てうなずく。
《誤解させるような事するほうも悪いのよ?》
《相手の真意を勝手に作り上げて周囲に吹聴するほうも悪いんですよ?》
楽しげなセレフィアムに、気にしたふうもなくエドガーが返す。
それは聖女と神官というよりも仲の良い兄と妹のようで、ソウルは抱いている子猫と顔を見合わせ、にっこり笑う。
子猫が答えるように「にゃあ」と鳴いた。
招き入れられた執務室には、ウォーダンが1人で待っていた。
中にいた文官や騎士たちは入れ違いに外へ出ている。
メイドが心の中で宣言した通りにとびきり美味しいお茶を淹れ、お菓子と軽食が届くと、ウォーダンもソファに腰を下ろした。
「仕事は問題ありませんでしたか?」
「大丈夫だ。それに、今これ以上に重要な事は何もない」
エドガーはその言葉に小さく笑みを浮かべる。
ウォーダンは聖女システムを破壊し、セレフィアムを救い出すためにアナスタシアが選んだ人物だ。
そのために、セレフィアムと年が近く、魔力を多く持っている子どもの中から選び出したと聞いている。
そして彼自身も、セレフィアムを救けるために遠いモルカ大陸まで行き、帝国の将軍となって戻ってきた。
並大抵の苦労ではなかっただろう。
だが、それでも彼はセレフィアムを救う事を第一に、これより重要な事はないと言う。
それが何より嬉しかった。
そして今日、それが叶おうとしている事が。
「ではまず、ご紹介しましょう」
エドガーが言うと、ソウルの隣にちょこんと行儀よく座っていた子猫がソファから飛び降りた。
同時にその姿が12、3才くらいの伸びやかな少女のものへと変わる。
眠りについたとき、まだ赤ん坊だった彼女が、今成長した姿でいるのはセレフィアムの影響だった。
魔女の娘は、魔女の眠りに引きずりこまれたセレフィアムを自身の夢の中へと呼び込み、一緒に過ごしていた。
夢の中の森で駆け回り、花畑で花を摘み、おしゃべりをし、つまらないケンカをし、仲直りをし。
初めての友達と同じ年頃の姿で、ずっと。
最初は、母親の眠りに取り込まれた人間に興味があっただけだった。
その記憶を覗き込んで、それからさらに興味を持って、同じくらいの背格好になって夢の中で一緒に遊んだ。
セレフィアムはそれを覚えていないが、ツェツェーリアには充分だった。
だから彼女は、一刻も早くセレフィアムを助けたくて、力になりたくて、母親に頼んでソーリャに来る事を許してもらったのだ。
驚いた表情のウォーダンに、ツェツェーリアは笑いかけた。
「彼女はツェツェーリア・ラインベルト。アーフマンの森の魔女の娘です」
「そしてセレフィの親友だよ。よろしくね、将軍サマ!」




