都市と結界
神殿には、貴賓室のようなものはない。
したがって、食事をする場所は基本自室か食堂である。
それ以外にも客間のようなものがあるにはあるが、簡単な軽食ならともかく、夕食を食べるには向いていない。
ウォーダンは仕事を片付けながら適当に済ませるつもりでいた夕食を、自分は肉を中心に、エドガーには肉と野菜をバランス良く用意してもらい、自身の部屋へ運ぶよう言いつけた。
「まだ少しかかる、先に部屋へ入っていてくれ」
「いえいえ、良ければここで待たせていただきます」
エドガーがそう言ったとき、すでにセレフィアムは部屋の一角にあるソファに腰を下ろしている。
誰にも姿が見えないとなって、本来の自由にすぎる性格が表に出ているようだった。
エドガーは自分もソファに座ると、セレフィアムに念話で今日の事を聞いた。
『セレフィアム様、ウォーダンの仕事の様子を見てきたのでしょう? どうでした?』
『うん、なんで壁を作るんだって言ってる人もいたけど、大体の人は楽しそうに仕事をしてたよ。あと、聖女のこと説明したんだね』
『ええ。1人の人間を犠牲にする結界などあってはいけないと、そう言って。あれがウォーダンの初の都市王としての演説でした』
『見たかったなあ』
『記録が取ってありますよ。都市のシステムにも探せば残っているでしょうが、やはりできないのですか?』
『うん。ソーリャのシステムはほぼ全部ウォルのものになってて、他は誰も入れないようになってる。お母さんとかこれまでの聖女の意識は結界のシステムの中に制限されていて、都市と結界のシステムはきれいに分かれてる。ウォルがソーリャをコントロールするのに、代々の聖女の意識が邪魔をしないようにそうしたみたい』
アナスタシア含め、歴代の聖女ははっきりした意識はなくともシステムの中に揺蕩うようにして生きている。
肉体もなく、ぼんやりと夢見るような意識のそれを「生きている」と言っていいのかどうかは人により意見が分かれるだろうが、少なくとも聖女たちはまだここにいた。
その意識や感情は、明確なものではなくとも都市を動かす当代聖女の無意識に働きかける。
頭では分かっている、理屈でもそうすべきだと分かっている、しかしどうしても二の足を踏んでしまう、そういう形で。
はっきりと会話をするわけでもない過去の聖女たちだが、彼女たちの思いはさまざまに今の聖女へ繋がっている。
それは決していい事ばかりではなかったが、冷凍睡眠装置の中に入った若い聖女の助けとなり、同時に慰めともなったのは事実だ。
そのため、聖女たちは装置の中に入ると途端に成熟し、老成したような発言をする者が多い。
彼女たちは間違いなく1人ではなく、装置に入ると同時に「聖女」という生き物へと変貌することにも間違いはなかった。
『お母さんは代々の聖女たちの思いにたくさん助けられたけど、同じくらい邪魔もされたから、ウォルにそんな事が起こらないように、わたしが帰って来ていた場合と、帰って来ていなかった場合とで色々対処を考えていたみたい』
『結界システムがウォーダンから切り離されているとしたら、彼はなぜ結界のオン・オフができるんでしょうね?』
ふと気になってエドガーが問う。
セレフィアムはそれに何を気にしたふうもなく答えた。
『聖女の結界システムは、結界にエネルギーを送り込むためのものだから。結界そのものを操るシステムは都市のものなの』
『そうなんですね』
何気なく見えるように返して、エドガーはまた聖女システムが一層嫌いになった。
聖女というのは本当に結界を構築するためのエネルギー源なのだと理解して。
ソーリャは犯罪者から魔力を引き出して死ぬまで使い倒している。
それは、人類の数がいつ絶滅してもおかしくないほど少なかった頃、社会や集団を傷付ける人間を同じ人間として扱わないと決めていた頃の考え方に由来する。
全ての聖女にとって、ソーリャに住む全ては我が子のようなものだ。
初代聖女ターニャ・ソーリャのこの街とそこに住む人々への想いが、彼女たちをそうさせていた。
それは深く深く、当人たちにもどうしようもないほど深く、聖女たちの心の奥底に根付いてしまうものなのだ。
そしてまた厄介な事に、聖女それぞれの子や孫、家族への思いというものもある。
聖女たちにとってソーリャに住む者は我が子同然、しかしその我が子の中には明確な序列があり、聖女の血を引く者の犯罪を赦せ、見逃せと心が騒ぐ。
犯罪者たちに厳しく当たりながら、一方で本当に人々にとって害になる、『法を犯していないだけの犯罪者と変わりない者』や『弱者を不幸にして肥え太る者』らを放置する矛盾。
聖女として生きる事はその葛藤と戦う事でもあった。
アナスタシアはウォーダンを、そしてソーリャをそれらから解放した。
ソーリャはこれから大きく変わっていくのだろう。
それはまるで成長し、母親の元から離れて旅立っていく子どものように。
これからソーリャは大人になり、自らの意思と考え方で生きていくようになるのだ。
壁はその予兆のひとつに過ぎない。
アナスタシアは今のソーリャを見てなんと言うだろう。
エドガーは目の前のテーブルに視線を落とした。
淹れたての温かいお茶が湯気を上げている。
新しい茶葉が手に入ると、どんな匂いか、味はどうだとさかんに訊いてくる彼女が思い出された。
『アナスタシア様は、まだ肉体はあるのですか?』
緊張しながらもそれを悟られないよう、お茶のカップを持ち上げ、平静を装いながらエドガーは口にする。
するとセレフィアムは表情を曇らせた。
『それが、分からないの』
エドガーは顔を上げてまっすぐにセレフィアムを見つめた。
目を軽く見開き、その表情からは何をどう感じたのかは分かりづらい。
けれどセレフィアムには分かった。
彼女にとってアナスタシアは母のような存在で、そしてエドガーは父のような存在だったのだ。
『分からない? と、言うと?』
『ウォルが都市王になった時、お母さんの体の入った装置は聖女システムから外されて、都市の管理下に移ったみたいなの。どうしてそうなったのか分からないけど、多分お母さんがそうしたんだと思う。時々お母さんの気配は感じるから、意識は聖女システムの中にいるんだけど、肉体の方は今、どうなってるかわたしには分からないの』
カシャ──ン、と部屋の中にエドガーが取り落としたカップが割れる音が響いた。




